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青木栄瞳詩集『マジョ・リカ 解離録』ノート



 青木栄瞳さんの詩集『マジョ・リカ 解離録』を面白く読んだ。作品の基調としては、私たちがふだんなにげなく目にしたり、耳にしたりしている様々な情報が、著者の独特な感覚でピックアップされ、多くの作品のなかで(異化)効果的にさりげなく配置されている、というのが、いつもながらの印象的だ。こういう「ブリコラージュ」(注1)とでもよびたいような詩の手法は、現代詩では特別に珍しいことでもないのかもしれないが、その発想の柔軟さや、応用の自在さ、といったことでいうと、ちょっととびぬけていて、いつも作品の中で企てられている新しい試みが、楽しい驚きをもたらしてくれる。たとえば、この新詩集の中では、第一章に収録されている、「マオリイ語」を多用した「ロロヘロ・ロヘーロの恋人」は(意味的には不勉強で判読できていないことをことわっておくが)、カタカナで書かれた呪文のような言葉の連なり(殆どがマオリイ語の固有名詞だとある)に圧倒されるし、囲碁のテレビ対局から棋譜の一部を引用した「ナルシスの変貌「巨大・TSUNAMI」」や、将棋の「棋聖戦」の棋譜の一部を引用した「秘境「男と女の世界遺産」(88手了)」などは、詩の中で一瞬別の本にであったかのような、視覚的な驚きをもたらしてくれる。


間もなく、正午です。
10秒、20秒、25秒、28秒
----「蜘蛛」や「カマキリ」は、肉食性で、生きたものしか、食べません。

10秒、20秒、25秒、28秒
  ●黒18の12 ●黒18の12
  ○白16の11 ○白16の11
  ●黒13の14 ●黒13の14
  ○白 8の18 ○白 8の18

----完璧ですね、誰も止められません

  チュチュチイ
  チュチュチイ
  グイ・グイ・グイ

10秒、20秒、25秒、28秒
  ●黒 9の18 ●黒 9の18
  ○白 9の17 ○白 9の17
  ●黒10の18 ●黒10の18
  ○白 8の17 ○白 8の17

      (「ナルシスの変貌「巨大・TSUNAMI」」冒頭より)


 けれど、この詩集の特質をいえば、やはり第二章の「宇宙に作曲家はいるのだろうか?----詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 序章」、第三章の「われわれの目に、可視光だけでなくマイクロ波も見えたなら。----詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 第一楽章・直球と変化球」、第四章の「ミッチェルの「黒い星」(ブラックホール)と「マオ」----詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論  第二楽章・牛乳100%」といった3作品にみられる、ミチオ・カク著『パラレルワールド』からの膨大な引用だろう。『パラレルワールド』という書物自体、理論物理学者による人類の宇宙論に関する歴史と現代の理論をわかりやすく一般向けに紹介解説した科学啓蒙書なのだが、これらの作品には、その書物から選び抜かれた文章が引用の形で多数ちりばめられている。作品を読んで、引用個所の質量が、詩作品としてのバランスをこわしている、という見方さえできるかもしれないが、たぶんそういう事態をひきおこした理由が、引用個所の内容にある、ということもつたわってくる。『パラレルワールド』にみられる、現代の宇宙論が直面している問題についての、著者の科学者として率直な驚きや戸惑い、また、近年人類が手にいれた宇宙に関する新たな知識や、自らの専門分野で研究されている新理論を、一般にひろく紹介したいという熱意やその執筆姿勢に、詩の作者が共振している(注2)、ということが、たぶんその核心にあるからだとおもう。


はじめに

 宇宙論の革命は、いくたびかの、急変革を経ており、生きる人間の、脳と意識をゆさぶっ
てきた歴史がある。現代の科学者、超ひも理論の権威であり現代理論物理学の第一人者、
ニューヨーク市立大学理論物理学教授ミチオ・カク氏の著書によれば、第三の革命が、
現在進行中で、はじまったのは、わずか5年ほど前になるという
(第一の革命は、ガリレ
オ・ガレリイ、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュート
ン、第二の革命は、エドウィン・ハップル、アインシュタイン、ジョージ・ガモフ、フレッ
ド・ホイル、など)。


まもなく5月です。

 本日は、2006・4・27、東京のソメイヨシノは、もう、青葉ですが、葉桜もき
れいですね。
 ニュースによれば、日本列島の南、沖縄県より、スタートした桜の開花前線は、い
まだに、東北の弘前城あたりで、うろうろ、しているそうですが、サクランボの果樹
園を、満開にさせ、津軽海峡を飛び越えたりして、弾みをつけながら、北海道の最北
点まで辿り着くのには、まだまだ、時間がかかりそうです。その開花リレーのスピー
ドが、地表を潜っていく「花の気持ち」として、速いのか、遅いのか、また、日本列
島、南北の、実際の距離というものが、「私のこころ」に向き合う感覚として、長距離
なのか、短距離なのか、と、不思議に想います。
 ケータイでは、この南北、たったの、1秒かしら?
 時間も不思議。距離も不思議。ボーイフレンドとの距離も、不思議。そんな、この
「遊星」、「地球」の、表面を覆う海と陸の、日々の喧噪とは、別に、地下の奥深くで、
「息をしている物質」とは?

 なに?
 さて、いま、パソコンで、この、ワードを打っている私の、足元の下、の下、の、
天球としての地球の中心点、(地表より約6377km)に実在する、地球の内部心臓、
とろける「マントル」は、昼も無く、夜も無く、意識もなく、たぶん、人間の血液の
ように赤いであろうと、詩人が期待する色と高熱をもって、ドロドロ、と、ウトウト、
と、しているかしら、そろそろ、起こしてみようかな、まだまだ、危険かなと、たま
に、は、火傷させて欲しい、ボーイフレンドのように、本生(ほんなま)なのです。
 マイクロ宇宙のこと、ミクロの科学のこと、高次元の多宇宙世界の存在のこと、揺
れる物質と、生命の発動の瞬間の、神秘のこと、花の香りのこと、天の脳(が、有る
とすれば)の、独創力と意識の謎、など、を、詩人・EIMEの独眼流感知をもって、
述べさせて、いただきます。                  栄瞳(えいめ)


----朝マック食べた?

----飲み物は、何になさいます?
----朝食は抜きです。

  (この付近には、ペースメーカーを使用されている患者様が非常に多く集まります。
   皆様の御協力、御理解をお願い申しあげます。)
  ----心臓エコー検査室・A

----光線が、まぶしいかな、と、

定説を覆していく、最新の宇宙論の新事実を紹介する

  (p408)
   科学と宗教と哲学の組み合わせは本当に重大な結果をもたらし、一触即発の危険をはらん
  でいる
。じっさい偉大な哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、1600年、天空には無数の惑
  星があって無数の生物がすんでいるという考えの放棄を拒んだため、ローマ市街で火刑に処
  された
。・・・・・・ガリレオとブルーのの罪状は、天の法則を言い当てたことではなかっ
  た。人類を、宇宙の中心という高い地位から引きずり下ろしたことだったのだ。ヴァチカン
  がガリレオに遅すぎる謝罪をしたのは、三百五十年も経った1992年のことだ。ブルーノ
  への謝罪はいまだなされていない。

  (p411)
   コペルニクス原理は、宇宙におけるわれわれの地位になんら特別なところはないとする見
  方である。これまでのところ、天文学の発見はどれも、この見方を裏づけているように見え
  る。コペルニクスが地球を宇宙の中心から追い出しただけでなく、ハッブルは天の川銀河を
  宇宙の中心からはずし、代わりに何十億もの銀河からなる膨張宇宙を提示した。さらに、最
  近のダークマターとダークエネルギーの発見は、われわれの体を構成する比較的重い元素が、
  宇宙の物質/エネルギーの総量の0.03パーセントしか占めない事実を明らかにしてい
  る。また、インフレーション理論にもとづけば、観測可能な宇宙がもっとだだっ広い宇宙に
  存在する砂粒のようなもので、この宇宙自体がつねに新しい宇宙を芽生えさせている可能性
  も考えなければならない。そして最後に、M理論が正しいとわかったら、おなじみの空間と
  時間の次元さえ、十一次元に広げる必要に迫られるだろう。われわれは、宇宙の中心から追
  い出されたばかりか、観測可能な宇宙までも、はるかに大きなマルチバース(多宇宙...注著
  者)のごく一部にすぎない事実に気づかされるかもしれないのだ。
   (マルチバース理論==宇宙から別の宇宙が芽吹くたびにもとの宇宙とは異なる物質定数
    が生まれ新しい物理法則ができ、それぞれの宇宙にまったく新しい現実世界が生じるこ
    とになる。)

  (p412)
   しかしこの一対極に、人間原理がある。・・・・スティーヴン・ホーキングはこう述べてい
  る。「ビッグバンから一秒午後の膨張の速度が千億分の一でも小さかったなら(宇宙は)現在
  のサイズになる前に再びつぶれてしまっていただろう。  ......われわれのいるような宇宙が
  ビッグバンのようなものから生まれる可能性は途方もなく低い。ここには明らかに宗教的な意
  味があると私は思う。」


----検査中です。しばらくお待ち下さい。
     (こちらで上半身を全部脱いでいただいて、座ってお待ち下さい。)
     ----脳誘発電位筋電図検査室・B


  (p421)
  宇宙に対するワインバーグのかなり厳しい見方を受け入れていた人はごくわずかだった。ワ
  インバーグを断固支持したひとりが、リック天文台を抱えるカリフォルニア大学のサンタク
  ルーズ校に籍を置く、サンドラ・フェイバーだ。彼女は言っている。「私は地球が人間のため
  に作られたとは思いません。地球は自然のプロセスによって作られた惑星で、そのプロセス
  の延長線上に、生物と知的生命が現れたのです。これとまったく同じように、宇宙もなにか
  自然のプロセスによって作られ、そこに私たちが現れたのは、ちょうどこの場所で物理法則
  が自然にもたらした結果なのだと思います。これは、人間の存在を超えた目的をもつなにか
  の原動力があるということのようでもありますが、そうは思いません。つまり私は、宇宙が
  人間から見て完全に無意味だというワインバーグの意見に賛成なのです」・・・しかし、は
  るかに多くの宇宙論者は、はっきりとは言わなくても、ワインバーグが間違っていて、宇宙
  には意味があると考えている。

  (p422)
   創造主の問題は、「科学は神の実在について何かを語れるのか?」という問題も提起する。か
  つて神学者のパウル・ティリッヒは、「神」という言葉を臆面もなしに語れる科学者は物理学
  者だけだといった。実際、人類にとって最大級の疑問----大いなる設計は存在するのか? 
  存在するとすれば設計者はいるのか? 理性と啓示のどちらが真理に到達する正しい道なの
  か?----に取り組んでいるのは科学者では物理学者しかいない。
   ひも理論によって、素粒子は振動するひもの奏でる音と見ることができる
。化学法則はこ
  れらのひもで演奏できるメロディにあたり、物理法則はひもを支配する和音の法則(和声法)
  に対応する。宇宙はひもの交響楽で、神の心は超空間に響きわたる宇宙の音楽だ。このたと
  えが妥当なら、次に「作曲家はいるのか?」と問わなければならない



----朝マック食べた?


----自動ドアーの使用方法
   (もうあいている----まだあいてる)


    AM6:00----AM3:00

----お願いです! このペーパータオルは、・・・絶対に流さないで下さい。
                          (湘南マクドナルド・1号店 店主)

  (p191)
   科学では、自然界の究極の謎を解くことはできない。なぜなら、突き詰めてみると、わ
  れわれ自身が、解き明かそうとしている謎の一部だからである。 (マックス・ブランク)


----朝マック食べた?



            (「宇宙に作曲家はいるのだろうか?
             ----詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 序章」より)


 ここまでで、詩の冒頭から三分の一強の分量を転記してみたことになる。引用はさらに続いて、詩人の直観ということが、現代の宇宙観を先取りしていたポーの「ユリイカ」の一節を引用しながら話題にされ、最後に、夜空の暗黒とみえる世界は、実際にはビッグバンによるマイクロ波背景放射を発しているので、(もし人々の目に可視光線だけでなく、マイクロ波もみえたら、)夜空が暗いとはいえないだろう(宇宙創成そのものの存在が見えるだろう)、という印象的な個所の引用で終わっている。

 この作品では、「朝マック食べた?」とか、「飲み物は何になさいますか?」といった、どこかの街角できこえてきそうな人の会話の断片や、病院の検査室に貼られている注意書きの文面のような語句(後半には警察署の貼り紙も登場するし「われわれの目に、可視光だけでなくマイクロ波も見えたなら。----詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 第一楽章・直球と変化球」では、なんと野球の実況中継が挿入されている。)が、引用個所の間に挿入されているが、それらの言葉と、宇宙論の著書の引用個所に直接の関連をみいだすことはできない。むしろ無関係な語句として挿入されることで、引用個所の内容を浮き立たせるような効果をうみだしているように思う。もちろん、これらの語句から、想像されるところの誰か(マジョ・リカ?)が、マクドナルドのテーブルのうえや、病院の待合室で膝の上に本を広げて、この宇宙論の書物を読んでいる、という空想も可能かもしれないが、とりたてて、そういう物語の道筋が示されているわけでもない。ただそのことで、引用個所の言葉は、内容の深刻さのようなものをそがれて、明るい外気に満たされた世界のなかで、弾むような軽い言葉が交錯する、EIMEワールドとでもいいたいような世界に置き直されている。

注1)  ブリコラージュ(ウィキペディアより)
ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される。元来はフランス語で、「繕う」「ごまかす」を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に由来する。

ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。

ブリコラージュする職人などの人物を「ブリコルール」(bricoleur)という。ブリコルールは既にある物を寄せ集めて物を作る人であり、創造性と機智が必要とされる。また雑多な物や情報などを集めて組み合わせ、その本来の用途とは違う用途のために使う物や情報を生み出す人である。端切れから日用品を作り出す世界各国の普通の人々から、情報システムを組み立てる技術者、その場にあるものをうまく使ってピンチを脱するフィクションや神話の登場人物まで、ブリコルールとされる人々の幅は広い。

注2)
「この章では、科学という、一応の、確定の世界の常識に、直球の強い精神力で、頭脳と、
こころをぶつけてきた、宇宙物理学者たちを称え、我ら、地球人、の真摯な、独創力の苦
悩と、発見の喜び、の声を、前回に引き続き、ミチオ・カク氏の著書より、発光したいと、
おもいます。」 (「われわれの目に、可視光だけでなくマイクロ波も見えたなら、」冒頭より)


付記)

 いつだったかもう定かでないのだが、10年近く前だろうか。新聞で、観測によって宇宙の大きさがこれまで考えられていたより相当広大だということが判明した、というような記事を目にしたことがあった。詳しい数値もたしか書いてあったのだが、そうした詳細は、すっかり忘れている。その時の、書かれていた新事実の内容と、そのさほど大きくもない科学記事としての取り扱われ方のアンバランスさ、という印象が、ぼんやりと残っていて(人類の空間観念の拡張としてみれば、大事件のはずなのに、そのことがマスコミ等でほとんど話題にもならず、またこちら側の実感もまるでついていかないことの奇妙さ、というようなこと)、それ以後、「宇宙」という言葉をきくと、そのことを何度か思いだすことがあった。基本的に、この宇宙の大きさが、現在どのくらいであると考えられていて、明日その数値が100倍であるということが判明したからといって、何かが変わったといえるのだろうか。何がかわったとも思えないような日常に私たちが生きていて、そのことはまたあたりまえのようなことなのだが、そういうあたりまえのようなあり方で生きている、ということはまたどこか不思議な感じもする。
 宇宙といえば、星のきらめく夜空、というイメージくらいが実感できるところだが、現代の科学の示す宇宙像は、こういう実感からかけ離れて久しく、すっかり手の届かないところにあるように思える。その手の届かないところで、ここ数年ほどのあいだに、革命的な変化が起こっているのだという。この革命的な変化、ということさえ、実感がわかない。実は革命以前の宇宙像(たとえば10年前の宇宙像)というものさえ腑に落ちるように理解していたのかどうか、はなはだこころもとないからだ。ミチオ・カク著『パラレルワールド』(NHK出版)は、そんな疑問に答えてくれる本で、この青木さんの詩集に導かれるようにして(理論的なことはさっぱり判らないながら)楽しく読んだ。たとえば、詩の引用とも重なるけれど、こんな個所がある。


 「WMAPは、宇宙の構成要素にかんする議論に予想外の展開をもたらした。宇宙を形作っているものは何かという疑問は、そもそも二千年以上も前に古代ギリシャ人が提起していた。前世紀のあいだ、科学者はこの疑問の答えがわかったつもりになっていた。それまでに骨の折れる実験を数限りなくおこない、「宇宙の構成要素は基本的に百種類の原子で、それらは水素から順に周期的に並ぶ表を作る」と結論づけていたのだ。これが近代科学の土台となっており、じっさいどこの高校でも科学の授業で教わる。ところがWMAPは、この常識を覆した。
 WMAP以前にもいくつか実験結果が出ていたが、WMAPは、これを裏づけるように、われわれの目に見える物質(山、惑星、恒星、銀河などのような)が宇宙を構成する物質とエネルギーの総体のたった四パーセントにすぎないことを明らかにした(その四パーセントのほとんどが水素やヘリウムの形で存在し、重い元素はおそらく0,03パーセントにすぎない)。宇宙の大半は、実のところまったく素性のわからない見えない物質で構成されているのだ。われわれの世界を構成するなじみ深い元素は、宇宙全体では0,03パーセントしかない。ある意味で科学は、何世紀も昔、原子説が登場する前まで引き戻され、物理学者は、宇宙がまったく新しい未知の物質やエネルギーに支配されている事実に直面しているのだ。」(『パラレルワールド』P20)


 前世紀、といわれているのが、今から数えても、ほんの八年前までのことなのが妙に刺激的だ(^^)。今の高校生は、宇宙の組成のほとんどががダークマター(まったく見えず、光学的な歪みの量から存在が知られる、重さをもつ暗黒物質)や、ダークエネルギー(真空の空間にひそむ未知の形態のエネルギー)からできていることを教えられているのだろうか。  




ARCH

青木栄瞳詩集『マジョ・リカ 解難録』(2007年9月30日発行・思潮社)






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