[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]



岡島弘子詩集『野川』について



 岡島弘子さんの詩集『野川』には、29編の作品が収録されているが、そのうち「イチョウの木の午後」や「搬入」といった少数の作品をのぞけば、ほとんどの作品に水にまつわる言葉やイメージが登場する。それは複数の作品に登場する「野川」(注1)の川の水であるばかりか、旅先でであった池水、少女期の故郷の川の思い出、雨やはげしい雷雨の情景、また植物のしなった茎の形状や髪の毛から水が連想されたり、記憶や内面心理のたとえとされたりもする。これらのテーマのことなる作品を横断して無意識から湧出してくるような水のイメージとの親和性がこの詩集の大きな特徴になっているように思える。

 詩集に付せられた栞には「野川と私」というタイトルの、著者が実在の川「野川」の水源地を訪ねたときの様子を記したエッセイが収録されているが、その冒頭近くに「野川というと私は「1+1=1」という言葉を思い出す。」と印象的な言葉が書かれていて、エッセイ末尾でその理由があかされている。


「 私が毎日野川の遊歩道を散歩するのも多くの生き物に出会える
楽しみがあるからだ。地続きのところでこれらの生き物たちと生活
を共にしている、という実感が持てる。そしてやはり「1+1=1」
と確信できるのがなんといっても嬉しい。「1+1=1」はタルコフ
スキーの映画「ノスタルジア」の中で狂人ドメニコが壁に書いた言
葉だ。そして水の一滴と一滴が出会っても決して二滴にはならない。
大きな一滴になるのだ。とったようなことを話した。
 ひとつの魂がもうひとつの魂と出会って大きなひとつの魂になる、
とそのあとに続けて私はいいたい。人間が死んだらその魂は大きな
魂の流れに流れ込み融合する。それは生き物共通の大きな記憶に融
けこむ。野の湧き水と水辺の生き物と私のいのちが野川で融合する。
ほら「1+1=1」だ。」


 著者が後半で語られている古代的な生命観(注2)や存在論的なもののみかたをどんなふうに確信されるにいたったのかはわからないが、ここから伝わってくるのは、この世界で、個別性として認識されている事象が、本来はひとつのものなのだ、といった、事象の融合というイメージへの著者の強い関心である。身近にあってそのことを知らしめてくれるのが、たとえば複数の水源から発する野川の流れであり、「1+1=1」であるような水のイメージであると。


青空ツアー


空への路をたずねて
遊歩道を果てまであるき
オオシマザクラの幹をよじのぼる
枝から梢へ
葉の先端へ
言葉の先が私をうながす
手をひかれるようにして
葉先から身をのりだす
向かい側の
ハナモモの葉まで
絨い糸が渡されている
風が 一本 もう一本
と糸を流す
めくらむ空間も
数本の糸が
あやとりで埋める
さあこちらへ と
糸に繰られるままに
雑念はぬぎすてて
魂と肢だけになり
綱渡りのようりょうでわたる
糸のまんなか ゆれながら みおろすと
川面にうつっているのは
女郎グモ
句読点についた八本のながい肢が
空を しっかりとつかんでいる


 この詩集の巻頭におかれた「青空ツアー」という作品には、「遊歩道を果てまであるき」ということばがでてくるし、オオシマザクラの枝先から向かいのハナモモの葉の間に巣をかけている女郎グモをみつけたときの体験がそのまま作品のベースになっているように思われるという意味で、エッセイにあったように、作者が野川の川沿いの遊歩道を散歩した時の「生き物に出会える楽しみ」そのものがうたわれているといっていいのだと思う。また、この作品を作品として魅力的なものにしているのは、そうした実際の体験をベースにしながら、対象を見ている視線がその動きにつれて独特な身体性のようなものを獲得していくといった詩の言葉の表現としてのみごとさにあるのだと思う。

 作品冒頭からみていくと、「空への路をたずねて」野川沿いの遊歩道を果てまで歩いてきたのは現実の「私」だが、3行目の「オオシマザクラの幹をよじのぼる」のは、すでに「私」(の身体)ではなく、「私」の視線の動きである。「枝から梢へ」「葉の先端へ」と移動していくのも、幹や梢を見ている「私」の視線であるはずなのに、表現は、いつのまにか、幻の「私」の身体が縮小して、実際にサクラの幹をよじのぼって葉の先端まで移動していったかのような二重性を帯びている。「葉先から身をのりだす」ところで、この幻の「私」の身体は、本当は路上から樹木の葉先を観察しているような「私」からはみえないところの、固有な視線を獲得する。向かいのハナモモの葉につながっている糸や、風が一本、また一本と吹き流す糸は、葉先にいて小さな身をのりだしている「私」にだけ見える光景であり、もう路上から葉先を観察している「私」のものではない。だからその高所から臨む光景は「めくらむ空間」なのだ。糸に繰られるれるままに「私」が綱渡りの要領でその糸を渡りはじめ、風にゆられながら糸のまんなかから川面にうつる自分の姿をみおろすと、そこに映っているのは一匹の女郎グモだった、というこの作品の後段は、この不思議な幻の身体の空中サーカスの世界の種明かしをして、いっきょに現実にひきもどすところだ。この川面にうつる女郎グモをみているのは、糸のうえの幻の「私」であると同時に、巣をかけているクモの影が川面に映るのを路上から観察している現実の私のものでもあるようなところで、世界はふたたび二重性を獲得していて、そのことで幻の「私」はうっすらと世界から退いていく。このスリルにみちた視線の冒険が、「言葉の先(導)」によってうながされた記述の世界固有のものであることも「句読点についた八本の長い足」という言い方で暗示されて作品はおわる。

 結果的にいうと、ここに一種の変身譚をよむこともできるが、この変身自体にはたぶん主題的な意味はこめられていない。自分が女郎グモであったことの発見と驚きは、それを糸のうえでみている「私」のものである、というよりも、その気づきと同時に、幻の「私」はその物語とともにきえうせ、現実の私がのこされてしまうからだ。そのことで、かすかな空想の線がひかれて、川面にうつる女郎グモの姿(というより言葉としての「女郎グモ」の語感的なイメージ)を、故意に自分の本性にみたてているような、作者の機知にとんだセンスがうつりこんで、作品を味わい深くひきたてている。

 この作品を別の角度から読むこともできる。冒頭に「空への路をたずねて」という言葉があるが、この作品は文字通り、空へと続く路を訪ねる物語なのだ、というように。その見えない想像上の路は遊歩道の「果て」からさらに、オオシマザクラの幹のうえに続いていて、幹から枝へ、枝から葉の先まで続いている。終着点のような葉先にたどり着いてみると、さらにその先に細い糸の形で空への路はひとすじにつづいている。「雑念はぬぎすてて/魂と肢だけに」になることで、私はさらにその路をたどっていき、糸の路のなかほどで川面にうつる自分の姿を見下ろしてみる。するとそこには、「空を しっかりとつかんでいる」自分の姿が映っているのに気が付いた。というところで作品は終わっていることになる。この流れからすると、空への路をたずねていた「私」は、最終的に、空をしっかりつかまえることができた(目的である空に至りついた)ということになる。では、空に至るとはどういうことなのか。象徴的にうけとれば、それは死を意味するように思えるが、この作品に死の影はない。あるとすれば、「雑念」という意識の死であって、魂と肢だけになることで、この願望はかなえられるのだとされる。もし雑念をぬぎすてて「空」に至るというならば、それはふつう「魂」だけの存在になる、ということを意味するのではないか。しかし、この作品では「肢」という言葉が、それに付け加えられて重要な意味を与えられている。「肢」とはなにか。そのヒントはたぶん「句読点についた八本のながい肢が/空を しっかりとつかんでいる」という詩行のなかにかくされている。これを「魂と肢」という言葉にかさねて読むと、「魂」が、「句読点」という言葉に言い換えられていることがわかる。なぜこんなふうな一見唐突な言い換えがされているのかといえば、句読点についた「肢」といういいかたで、作者は「肢」が、句読点によって区切られた文章の文字列を意味することを暗示したがっているからのように思える。空への路をたどるのは「肢」であり、空をしっかりつかまえるのも「肢」である。これはそのまま言葉の文字列の行う歩行であり、句読点である魂は、まさに言葉の連なりである「肢」によって新たな場所に移動し運ばれていく。とすれば、この歩行が意味するのは、作品を書くという行為そのもののプロセスであり、作品が書き上げられることが、その歩行の完了をいみする、というように。


ひめすみれ曲線


あかりのとどかない のどの奥に
わかれの記憶を凍らせて

太陽をおびた黄水仙の
瞳をさけて
背くらがりの こいむらさき

たんぽぽが足下から照らすので
これ以上はうつむけない

毛すじ一本 くねりまとい からみつくような
水の背骨をしならせて

よもや ぬかれ たばねられても
たばねられない におい ひとすじ
とどけ


 この作品はとても不思議な魅力をたたえている。たぶんその秘密は、観察による植物の形態的な特徴の描写から植物そのもののしっかりした実在感を留めながら、そこに(女性の)身体のイメージを重ね、さらに、失意にまつわるような心情のイメージを重ねるという、重層的な言葉の世界が形成されているからのように思える。暗がりに濃い紫色のひめすみれの花が咲いている。現実にみえているのはそれだけだが、花がひとりの女性として擬人化されたとき、つらい(恋人との)別れの記憶を心に留めたまま人目をさけて暗がりで苦しげな姿勢で佇んでいる女性というイメージがつけくわえられていて、その女性がもし囚われの身になったとしても、その内なる思い(におい)だけは相手に届くよう願っている、といった悲劇的な情緒がくわえられていることになる。すみれの花にあたえられたこの物語的な情緒は、その花をみている作者の感情が投影されたものなのかどうかはわからない。というよりそんなふうに花にたくして何か作者の心情が語られているというよりも、花が花そのものでありながら、人でもあるような、作者の言葉をかりれば足し合わされた複数のイメージのみごとな「融合」がここでおきていることになる。


青い服 金の服


はだしで はしってきた
はだかの水に
青空が青い服着せても
たちまち
ぬぎ散らかして
にげる

はだしで はしってきた
はだかの水に
お陽さまが金の服着せても
やっぱり
ぬぎ散らかして
にげた

青い服 金の服
晴れ着の思い出もぬぎ散らかして
水ははだかのまま
きらきらわらう


 この愛すべき小品で「融合」がおきているとすれば、みかけの水の色合いの変化とその本質の違いということと、おてんばな少女の身体のような動きがイメージとして重ねられたところに、自然賛美のような価値のイメージがくわわって渾然一体となっている、というようなことだろうか。川の水がすくいあげてみれば無色透明にちかい本来の色合いをしているのに、光の反射によって水面に青空をうつしこんだり、金色にひかってみえたりすることがある。そういう気づきのレベルの事実と、風呂場の更衣室かどこかで、はだかではしりまわって、大人たちが服を着せようとしてもすぐ脱ぎ散らかしてしまうといったお転婆な少女のイメージが重ねられている。このふたつのことは本当はすこしも似ていないけれど、水面の色合いを変える原因である青空や太陽が、少女に服をきせかける大人たちにたとえられ、川面に波風がたって染まっていた色合いが乱れる様が、衣服を「ぬぎ散らかす」ことにたとえられ、またこのきらめく水面の光の散乱が、最後に少女のくったくのない笑顔のイメージに重ねあわせられることで緊密に一体化されている。そのことで本来形状を想像できないような「はだしで はしってきた/はだかの水」というイメージがさほどの違和感もなくふにおちてしまう。また今の読み方では幼い少女としてみたが、読み方によっては、妙齢の女性(「晴れ着の思い出もぬぎ散らかして」というところに、隠し味のように生活感がこめられている)が汀を走ってくるというようなイメージを思い浮かべて健康なエロティシズムを感じるかもしれない。逃げ水のように追い求めても逃れさる水は永遠の女性性の化身のようにかがやいている。


**

(注1)栞の文章冒頭には、実在の「野川」についての説明があり、「野川の名前は「野に湧く水を集め流れ行くから」が由来とされる。東京の国分寺市から小金井市三鷹市、調布市、狛江市、世田谷区と流れ進み、ふたごたまがわで多摩川に合流するまでの二十キロメートル。その流れをささえるのは国分寺崖線(土地の言葉で「ハケ」)からの無数の湧き水だ。」と書かれている。

(注2)古代的な生命観、という言葉でいってみたのは、魂が実在して、死後の魂は大きな魂の流れと融合し、生き物共通の大きな記憶に融けこむ、といった記述をさしているが、こういう考え方は西欧風にいえば異質かもしれないが、現代でも私たちにはむしろ親しみ深いものだということはつけくわえておきたい。古代の神話には、人の嘆きや感情が天候の異変に結びつくという考え方は珍しくない。そういう強い実感が私たちをときに「1+1=1」の世界に触れ合わせることがあるのを、作者は幾つかの作品のなかで書き留めておられるように思う。



湿度をいっぱいにはらんだ外気が入ってきて
とりかこむ
「もうすこし知りたいのです」
太古に届くよう
空気に返事する私
(「空気に返事する私」)


雲が厚みを増し風がうなるのが聞こえる
はじめはひくく やがてはっきりと
私を叱っているのだと気づいたとき おそく 雹を投げつけられた
大つぶの雨もおちてくる
雷鳴と罵声がかさなる
父が叱っている 父の父が叱っている また雷がとどろく
(「翅の飛翔」)


 かって自殺を思いとどまったことのある「私」が、部屋でひとりきりの時間にむきあっているとき、ふいに部屋の空気の変化のようなものを察知して、なにかにとりかこまれているように感じる。そのなにかが「私」を死後の世界から呼びにきた祖霊(たち)にちがいない、と感覚の糸がひかれたときに、おもわず「もうすこし知りたいのです」(もうすこしこの世にとどまって、この世のことが知りたいのです)と、誰もいないはずの部屋の空気に向かって返事をしていた。
 散歩していて急に風が出てきて天候があやしくなってきた。そのとき「私」はこの異変は「祖霊(父や父の父たち)」が「私」(私のおかしたなんらかの所業)を叱っているのだ、という想念に囚われてしまう。

**

 野川とその川筋にある遊歩道を背景にした作品が多く含まれるこの詩集を読んでいて、とくに親しく感じられ理由のひとつは、ちょうど私の住まいもずっと上流にあたるが、おなじ多摩川の河岸段丘のふちにあるからだと思う。多摩川の両岸には川が蛇行した歴史の痕跡のように幾段もの段丘状の地形がうまれ、その崖の斜面から地下水が湧いて低地にそそぐ。それが野川を形成するといわれているが、私の住まいのほぼ真下の崖際からもやはり湧き水がでて子どもの事には幅数メートルほどの溝川に濯いでいた。この溝川はのちに暗渠にされてしまったが、今ではそのうえに人工の小さな小川と遊歩道がつくられている。至近の多摩川もふくめた川筋の小道が、子どもの頃からのかっこうの散歩道であることもよく似ていて、川の水や川辺の風景にみいった踊り場のような時間がとてもなつかしく感じられたのだった。







ARCH

岡島弘子詩集『野川』(2008年7月31日発行・思潮社)






[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]