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木村恭子『六月のサーカス』について



さぶりしん


とよこさんが通信省で働いていた頃
さぶりしんが好きだわ
と 言いふらすことがあったらしい
結婚退職の挨拶に回ったら
さぶりしんに似ているのかね相手は
と 上司が聞いたそうだ
がりがりに痩せていたまさおさんが似ていたところ?
さぁ 上背のありそうなとこぐらいだったのかな

まさおさんの働いている工場は
給料の遅配が重なり
どうしようもないまさおさんは
履いていた靴を売りに出かけた
そんな汚い靴は売れもしないから
そこへ置いていけ と古物商に言われ
そこへ置いて帰ったらしい
それから苗屋に寄り 一番弱々しい茄子の苗を買った

三種の神器も何かと揃った頃には
冷蔵庫の牛乳は冷たいから 外に出しておいて
とよこさんにそう言われ
玄関先に牛乳瓶を出したという話もあるが
病気がちだったまさおさんは 末の娘を嫁がせた後
早々にこの世の玄関から出て行った

さぶりしんがどうであったかは知らないし
私に さぶりしんは似ていない
でも
戦争で右足の指をなくしたまさおさんが
靴先に ちぎった新聞紙を詰めてよく働き
とよこさんと二人で
必死に私達を育ててくれたことなど
私はよく知っているし
まさおさんは私にとてもよく似ていた


 この作品には深い味わいがあるが、そのひとつの理由は、とよこさん、まさおさん、と呼ばれている男女と「私」の関係が最初に明らかにされておらず、最後の連ではじめて「私」の両親であることが明かされるという作品の流れにあるように思える。普通わたしたちは、両親のことをこんなふうにさんずけで呼ばないから、最後の連でかるい驚きにさそわれ、「私」の知人の夫婦の逸話でも読んでいたつもりでいたところが、両親のことだと明かされて、心のなかで作りあげていた読み解きの了解作用のようなものが、そのとき微妙な変更を強いられるのを感じるのだ。そう知ってから二度目に読み返してみると、この作品にちりばめられているいくつものエピソードが、どうやら「私」が直接に「母」(とよこさん)から聞いた話として語られているのがわかってくる。このほのぼのとした母子の語らいの情景は、何処にも書かれていないけれど、言葉のむこうからイメージとしてたちあがってきて、作品をある種のほのかな幸福感でつつみこんでいる。

 「母」が語っているのは、夫との長い結婚生活のなかで印象に残っているいくつかのエピソードで、結婚当初のはなし、若く貧しかった時代のはなし、戦後ようやく生活にゆとりがでてきた時代のはなし、とバランス良く配されていて、ひとには些細なことに思えることが当事者には深い印象として心に刻まれる、という記憶のありかたをとてもよく再現している。さぶりしん(佐分利信)という俳優は、私には後年の小津映画にでてくる貫禄十分の壮年男性という印象が強いが、ウィキによると、「1932年に『感情山脈』(清水宏監督)、、1936年に『人妻椿』(野村浩将監督)と順調に売り出し、同年の『新道・前後篇』で上原謙、佐野周二と松竹三羽烏を結成し、翌年の三人で主演した『婚約三羽烏』が大ヒットする。、、、三人を目当てに女性ファンが殺到したという。」という戦前の二枚目スター。結婚前の「とよこさん」が、そんな映画スターに憧れていた時期があったところから語りだし、そんな憧れと対照的な「とよこさん」たちの悲喜こもごもの実人生をおいて、最後に、むしろ若き日の母親の憧れの存在だった「さぶりしん」に似ていないことで、亡くなった父と「私」の結びつきを示す、という構成は、人が人生にいだく夢と現実のかたちを同時にすくいあげていて、短い作品のなかに豊かな広がりを感じさせるものになっているように思えるのだった。







それはどんなお花が咲きますか
苗屋でしゃがんでいたら
どこかのおばあさんが私に問いかけてきた
六月から七月にかけて黄色い花が 三十センチ程の高さで一
杯咲きます スプーンのような花びらで 釦ほどの蕊を囲み
二十二枚 とても丈夫で陽の当たらない場所でも咲きます
こっちはどんな花が咲くのですか
淡い紫の小さな帽子の形をしています やはり六月頃 蔓の
先から下に向いて咲きます 雨の日が続いても次々に咲きま
す ハンギングにすると綺麗です

私はたくさん喋り おばあさんは苗を一杯買った
私は得意でしかたなかった
難しい花の名前まで言えたのだ

ただ知らなかっただけなのだ
いつだったか
そのおばあさんの見た夢に 私が立っていたことを
おばあさんがスコップと如雨露を持って出てきた時
赤ん坊を抱いた私が 泣いていたことを



 この作品は、かなり不思議な味わいがある。というのは、この世の人と人との関係のありよう、というものを、どこか時空をこえた超越的な場所からみている、といえそうに思えるからだ。「私」にとっては、苗屋の前でしゃがみこんで苗をみていたら、みしらぬおばあさんがその苗に咲く花について質問してきた。「私」はきかれるままに、得意になって質問に答えた。起きているのはそういうことで、いってみればありふれた、ごくふつうに店先で見聞きするような、客どうしのやりとりが描かれている。そこになにも不自然なことはないのに、作品の後段の解釈では、「私」のその場での「得意でしかたなかった」という感情のうごきと、そのときの「私」には思いもうかばず、しるすべもなかった出来事の実情がむすびつけられている。その説明によると、おばあさんは、かって夢のなかで悲しげに泣いていた「私」をみたことがあり、その夢のなかにでてきた「私」とそっくりの現実の「私」を、夢の中とよく似たシチュエーションのなかで見いだしたから、その場で「私」をなぐさめようと声をかけたのだ、ということになっている。

 これはどういうことだろう。ひとつのみかたをすれば、これもまたよくあることといえるのかもしれない。おばあさんも「私」もそれぞれの思いを抱いて生きている。偶然の出会いが、なにか普段とは別の過剰な反応をもたらしたとき、その原因は、その出来事そのもののなかにはなくて、それぞれがかかえていた過去の思いとの関連のなかにある。おばあさんはおばあさんなりの事情があってある行動をしているのだが、その事情があかされないかぎり、「私」は、その行動の結果だけに対応するしかない。ふつう事情はあかされないし、事情は無数にありえるから、おばあさんが苗を沢山かったのは、「私」の丁寧な花の説明が上手だったせいなのか、たまたまおばあさんが上機嫌だったせいなのか、この日はもともと沢山苗をかうつもりでやってきていたのか、本当はよくわからないはずだ。けれど、ここで示されているのは、おばあさんが自分が夢のなかでみたことを、現実とある意味混同して、みずしらずのはずの「私」に情けをかけた、というようなことだ。まれにはそういうこともありうるかもしれない、と考えることはできる。しかしおばあさんのそういう思いこみがもたらした偶然によって、「私」に上機嫌の得意な気分がもたらされた、という一種の奇縁のようなものが、作品の軸におかれているわけではないのだと思う。

 ではどういうことなのか。ひとつの読み解きをしめすと、たぶんこの「おばあさん」も「私」も、同一人物としての自己像をしめしている。ここで描かれているのは、老齢になった自分が過去の自分(赤ん坊を抱いて泣いていた自分)に会いにいく、というようなことではないのか。もうすこし深読みをすると、「おばあさん」はグレートマザーとでも呼びたいような「私」の表現意識の源泉をしめしていて、いってみれば「私」に詩をかく動機をあたえているような存在といっていいかもしれない。苗をみている「私」は、作者の表層の意識や、現実感覚をしめしている。おばあさんの夢にでてきた「私」は心象の奥深くにたたみこまれているような記憶としての自己像であり、意識のしこりのようなものを示している。そんなふうに考えてみると、「私」が得意になって、苗のつける花の説明をすること、「難しい花の名前」までいえること、は、そのまま詩を書くことの比喩になっているといえそうに思う。「私」は「私」のその説明(表現)が効をそうして、おばあさんによろこんでもらえて、沢山の苗をかってもらえた、「私」はそのことが嬉しくもあり誇らしくもあり、というつもりでいるのだが、実際にその背後におきていたことはもうすこし別の次元のことだった。花の説明はおばあさんの問いかけからはじまっている。なぜおばあさんが「私」に問いかけてくれたのか。ということは、この解釈でいえば、何が「私」に詩をかかしめる動機になったのか、ということだが、それは自分の過去像(赤ん坊を抱いて泣いている自分)を、うち消したり、なぐさめたりすること、いわば記憶の浄化作用によるものだった、と作品はいっているように思える。そんな風に読むと、ここには作者の深い自己洞察や倫理性がこめられているのがわかる。






草の株を盗掘しに出かける 泥のついた小さなスコップとビ
ニール袋 長靴を履き懐中電灯を持って 古くからよく知ら
れたさみしい草は 今では相当な値がつくのだ 停留所まで
は自転車を漕いで行く ガランとした駐輪場 置き去りにさ
れている自転車は 夕方ここから電車に乗って どこかへ帰
って行った人のものだ 音がしないようにスタンドをたてる

こんな真夜中にも電車に乗る人たちがいる 私たちは軽く会
釈を交わす
F駅ってまだあるのでしょうか
誰かが訊ねている 同じ所に行くのだ
いいえ ずいぶん前に廃駅になりました
私の番がきた Fまで一枚と言う 次の人も同じ駅の名を告
げている 私たちは別々の車輌に腰をおろす

長い雨期の終わり あの庭では草が 今も かすかな煙色の
花をつけているだろう
あっちの方にたくさん咲いているよ
暗がりで私は声をかけられるだろう 錆びついた裏門をこじ
開けてくれたのだ
その子もかなしい草なのだろう



 深夜に電車に乗って高値がついているという草の株を盗掘しに出かける。電車の中には同じ場所にむかう人が何人も乗っていて、しかも目的地はとうに廃駅になっているというのだが、その異様さにだれも気が付かない。リアルで謎めいた夢のような雰囲気のある情景が描かれている。目的の場所につくと、目的の草があり、「私」はとりたてて障害にであうこともなく、むしろ手助けする子どもまであらわれて、草を盗掘するのに成功したように描かれて作品は終わっている。この作品の最後の一行がなければ、夢でみた出来事をそのまま写し取った作品といった印象で終わってしまうかもしれない。それだけでもこの盗掘のための小旅行が、過去の記憶を訪ねることに関わっていることがうかがい知れる。古くから知られている草、置き去りにされた自転車、廃駅、錆び付いた裏門、といった言葉からやってくるイメージは、すべて過去の記憶に関わっていて、長い間忘れていた過去の記憶にある場所に、そこに咲いていた草花(価値や意味としての出来事)を盗みだしにいく(想起するために訪れる)、という読み解きはできそうに思える。そうすると、そこでまちうけていたのが、盗掘を防ぐための警護の人ではなく、むしろ門の中の庭に導きいれてくれるような子どもであった、とはどういうことなのか。「その子もかなしい草なのだろう」という言葉にむきあってみよう。

 ここで「かなしい草」ということばは、直接は最初の連の「さみしい草」ということばと響き合っているが、なぜかなしいのか、という理由はかかれていない。「さみしい草」であるのは、それが人々に忘れられた記憶のなかでひっそりと生きているからだ、とはいえるだろう。むしろ草たちは、人々が盗掘して自分にあたらしい世界と光をあたえてくれるのを待ち望んでいる。そうした草の思いというものを体現しているのが、その寂れた庭の番人であるかのような「その子」なのであれば、その子もまた草であるといって不思議はない。では、どうして「かなしい」のだろうか。ここでとりたてて「さみしい」「かなしい」という言い方にこだわる必要はないのかもしれない。作者はここに「さみしい」ゆえに「かなしい」、という言い方以上のものをこめていない、と考えることもできそうだからだ。けれどすこしこだわってみたいのは、「かなしい」という言い方は、より限定的な使い方に思えるからだ。ここで上記の「庭」という作品の最終連を思い返してみよう。


ただ知らなかっただけなのだ
いつだったか
そのおばあさんの見た夢に 私が立っていたことを
おばあさんがスコップと如雨露を持って出てきた時
赤ん坊を抱いた私が 泣いていたことを


 この夢の場所と、さみしい草の生えている庭は、よくにている。もちろんそこにおばあさんは、スコップと如雨露をもってでてきたのであり、盗掘というより、植物の植え替えをしに出てきた、という感じだし、「赤ん坊を抱い」て「泣いていた私」と、裏門をこじ開けてくれた「そこ子」は、違う人物のようだ。けれどむしろイメージの類似性がここにはきわだっていて、「庭」では、「かなしみ」が「泣いていた」という形姿の具体性でしめされている。たぶんこの二つの作品は、ふしぎなつながりかたでイメージが重ねられている。「その子」はただ忘れられているがゆえに「さびしい草」なのでなく、「赤ん坊を抱いた私」のかなしみ(過去の悲しかった出来事)をわかちもっているがゆえに「かなしい草」なのだというように。「庭」というタイトルの作品のなかには、苗屋のまえでのできごとが描かれていて、「庭」という言葉はでてこない。けれどイメージとして「庭」という言葉は、このおばあさんのみた夢の場所をさすのだと思われる。




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木村恭子『六月のサーカス』(2009年9月30日発行・土曜美術社出版販売)






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