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残光論
岡ニ棲ム
発句 のぼり来れば昔の匂ふ花茨 解酲子
脇 海の方より白南風の吹く 天女
第三 のびのびと渚走る子犬連れて 弘子
四 傘のま下に読む物語 美江
五 灯を消してより新涼の庭となる 天
月 六 空かうかうと月こぼしつつ 解
一 門付のほほ尖りたる秋の風 美
二 何あらむとも飽きぬ世の中 弘
三 一国の山河をぬらす初時雨 解
四 けふはいづくに宿や借りなむ 天
五 くりの実の庭石打つか真夜の音 弘
六 野山の錦まなうらに満つ 美
月 七 漁りや残んの月に棹さして 天
八 はや住吉(すみのえ)のかんさびの岸 解
花 九 老松の合ひ間を花のしらしらと 美
十 都の春を遠く想ふ日 弘
十一 買置きの酒とり出せば暮れ遅く 解
十二 わかき庵主の猪口は鍋島 天
一 奴等は涼しさうなと袴着け 弘
二 塀越しにきく新内流し 美
三 おかつぱの童に使ひことづけて 天
四 いぬきがすゞめ逃がしつるかな 解
五 きぬぎぬの恨みの衾ひき被り 美
六 冥き道へと迷ひ初めてき 弘
七 円相のほのかへ世こそ致仕の身は 解
八 昼もねぶたき縁のまろび寝 天
九 岩組の白石にしむ秋の水 弘
月 十 ゆらぎて渡る十六夜の月 美
十一 吊橋の向ふ全山紅葉して 天
十二 木守の下まづ鑽火(きりび)吹く 解
一 春雷にしばらく足をとめられて 美
二 詠むる水辺葦の角ぐむ 弘
三 あさき世の春と知りせば急がれて 解
四 宙(そら)に浮んで見る蜃気楼 天
花 五 連らなれるかなたの花の匂ひかな 弘
挙句 家遠くして堤のどけし 美
自分のものも入っている一巻を評釈、とまではいかなくても論評するなどとなると、どうにも心の坐りがわるいものだが、まして正客となったものを論じることはいよいよもって居心地がわるい。連衆の覓めにしたがって駆け足でこれを書く。
発句について、自句自解をやらざるを得ない。始まったのが初夏の候。「岡ニ棲ム」とは文字どおり、自宅が生麦の背後に立つ岡の上にあるのでそう書いた事実は事実として、この岡のある鶴見という場所がかつて私が小学生のころに棲んでいた昔の土地でもあるので、帰去来の思いをいささか込めた。退院して家に帰ってきたとの感懐もある。句の裏には当然、「さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(よみびと知らず)があり、花橘をひるがえした花茨には蕪村の「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」「花茨故郷の道に似たる哉」や詞書の「かの東皐に登れば」の、まあ、それやこれやがあるというわけだ。当季は夏。脇の白南風は、偶然だけれどもわが陋屋のベランダの向く方向と一致して、よく見、カンを働かせれば、思い返すに「偶然」ということだけではこういうふうに書けないものだと実感できる。
第三と平句の四句目は、雑でしかも両者とも海の俤を曳いている。五句目の「新涼」がつけられることにより、四句目の「傘のま下」がビーチパラソルとはがらっと違ったものに変じてくるのが、つけつけられることの面白いところだ。初折表、折端の「月こぼしつつ」は、月の定座が初折五句目であるのを零した(後ろにずらした)ことの駄洒落。次の初折裏、折立の「門付」とともにここいらは三句以上詠む約束の秋季である。愚生はこの「ほほ尖り」をこよなく好む。次句「何あらむとも」はヒロコさんという連衆の顔・表情まで浮かんでくるようで、思わず「一国」(イッコク=頑な)の語呂合わせで応えてしまった。これは一句だけの冬。
四五六七句は、後半の三句の固まりが月の定座とて秋句で、四句目の「宿」はそれを準備したと、予めには言えないけれど、秋句を出やすくさせる遣り句という、それ自体はさしたるものではないが、軽くもない役割の軽い句である。芭蕉翁など極論して「三十六句すべてやり句なり」とまで言っているほどだ。七八九句あたり、月の秋と花の春が交錯し輻輳する、捌き手・天女さんの正念場。とりわけて神祇を老松でうけた「しらしら」とした花の句のたけ高さですんなりと切り抜けたあたりは大いに賞翫に値すると、ワタクシ的には考える。
つづく名残折三句くらいまで、酒やわけありの尼さんや新内流し、カムロさんなど、なんとなく色っぽい雰囲気になってきたところで愚生が出した句は「いぬき」。これには少々説明が要るのでは。知っておられる向きには、申し上げる方も赤い恥なのだが、これは『源氏物語』若紫帖に出てくる、幼いころの紫の上の侍女の名で「犬君」と宛てる。この者が愛玩の雀を逃がしてしまったと、若紫が祖母の尼に訴えるのだが、これを見初めた光源氏が強奪同様に彼女を奪って自らの邸に連れてきてから、彼・源氏と彼女・紫の上の長い長い物語が始まる。今で言うなら立派な犯罪というところだろう。酒や尼さんや流しの三味線だとかカムロが出てきて、恋含みのすったもんだがはじまりそうではじまらない。ではいっそ、運びをむしろ徹底的な恋の重くれとして、もつれにもつれさせたほうがそこからの脱出もしやすいのでは、と解酲子が仕掛けたわけである。
結果、みほとけの手であっさり霧消した恋のモツレは、濡れ縁のまろび寝へと長長出して爽やかな秋を迎えることとはなるのである。この「まろび寝」の句、ことにそれが「昼」のものであるとて、一句だけの夏句に近いのではないかと睨む。言うまでもなく「昼寝」は夏の季語だ。それかあらぬか、秋の水がしむ白石も、ゆらいで渡る十六夜も、その向こうの全山紅葉も、何か夏の闇をくぐり抜けたあとの時間の光に当てられたもののような感じがする。折端のキリ火はいわば一巻のとぢ目に閃いた小さな御神火であり、名残折裏六句すべてへの準備だと言えよう。
名残裏六句、じつは連衆ひとりひとりの詠んださいご四句はライブであった。一時間ばかりのうちに即興で詠まれたのである。ほんとうのことをいえば三十六句ことごとく、面突き合わせて詠むのが本道であることは、少し経験のある方には当然のことと受け止められるはずである。それがなかなか出来ないのは、現代特有のことのようでいてじつはむかしもあまり事情に変化はなかったようだ。芭蕉たちは自分らのことを夏炉冬扇、そのおこないを、風雅、と言ったのである。面突き合わせているときにむしろ無常迅速の風のごときものが高速度でうごいている。『三冊子』に次のような芭蕉の言がある。「師ある方に客に行て、食の後、蝋燭をはや取べしといへり。夜の更る事眼に見へて心せはしきと也。かく物の見ゆる所、その自心の趣俳諧也。つゞけていはく、いのちも又かくのごとしと也。無常の観、猶亡師の心なり。」物の見えているあいだは光があり、光は瞬間の命そのものであることを、俳聖と凡愚の違いこそあれ、この言葉はよくわれわれに伝えて余すところがないのではないか。
とまれ新丸ビル三十五階、東京湾岸のあえかな夕日にかがやく港湾構造物と、水を隔てたその向こう、房総の青い海岸線を見晴るかしつつ詠まれたこの、早春賦の俤から遠い蜃気楼の花々、そして連衆それぞれの半世紀を閲した春の堤の感懐によって、歳余をかけた一巻は文台からめでたく「引下」されたのである。
炎(かぎろひ)にはつか見えたる風の色 解
平成十六甲申七月十四日解酲子倉田良成識
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