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昭和歌謡



 年度替わりということで、また、近頃の流行歌に昔年のパワーが無いということもあるせいか、テレビではこのところ昭和歌謡の特別番組がさかんに放映されている。この方面ではテレビ東京が老舗と言えるけれど、私が一、二の点について面白く観じた番組はテレビ朝日で流していたそれで、むかしから横好きのするこの世界の消息について、ちょっとがまんして、耳を傾けていただきたい。
 番組も後半のことだが、加藤登紀子が登場して「知床旅情」を歌った。この歌は、はやりだし、また聞いたそのとき(昭和四十五年)から、おおよその詩情は感得されはするものの、もうひとつテニヲハがおかしいというか、意味のつかみかねるところがあったのだが、そのひとつがこのときの加藤登紀子の言葉によって解決された(ような気がした)。
 彼女はこの歌の第三コーラス最終部で「忘れちゃいやだよ/気まぐれカラスさん/私を泣かすな/白いかもめよ」と、ながいあいだ歌っていて、私などもそう聴いて、前2行と後2行では同じようなことを、いわば異なる主格が言い掛け合う相聞体のように思いなしていた。しかるに加藤は作者の森繁久彌から、ここの「白いかもめよ」は「白いかもめを」であると間違いを正されたそうだ。そうなると、この詞の構造はまったく違ってくる。この末尾は、「私」が「気まぐれカラス」に「(私を)忘れちゃいやだよ」と言いかけてみたり、いっぽう「白いかもめ」に「私を泣かすな」と言いかけたりする二文の並立とはならない。「白いかもめ」である「私」が、「気まぐれカラス」である「あなた」にむかい、忘れるという悲しい仕打ちで「私」を泣かせるようなことをしてくれるな、というきちんとした骨格を持った一文であることが判明するのである。
 だけれどもこの「知床旅情」という歌、もともと主格が揺れ動くようなところがあって、第一コーラスから見てゆくと、知床という異境に旅でやって来た者は誰か、旅人を迎え入れる側は誰か、主語も「俺たち」「私」と揺れ、連れて「君」も単に女性である「あなた」のことを言っているのか、それとも「あなた」等から見た「俺」のことを言っているのか、判然としないところがある。まあ、ふつうに読めば旅で来た側は男である「俺たち」であるだろうけれども、なんだか「俺たち」の「抱きしめんと」する女性の側のほうがマレビトに似た存在のようにも見えて、ここいらのあたり非常に朦朧としている。朦朧としてはいるが、ある種醒めながら見る夢のような完結した感じは、テニヲハは合わないけれどそれ自身としては完結している伝説や説話の世界にも通うようで、これは歌の掉尾が「白いかもめよ」ではなく「白いかもめを」の、みずからを神格化するような象徴性でなければならなかったこととも関係して納得されるというものだ。こんなところにも森繁久彌の、人が一般的につよく感じていて何となく口で言い表せなかった美質というか資質のようなものが隠見していて、そこから却って、はやり歌というものの秘密が透けて見えるような気がする。
 そのはやり歌という言葉だが、番組のさいごに出てきた八代亜紀の「舟唄」は、きわめて古典的な意味合いでの流行歌、歌謡曲というものを、あたかもそれ自身喩のようになぞるものだと言えるのではないか。
 この歌が発売されたのは昭和五十四年のことだが、私などにとってはこの時期が昭和歌謡の全盛、極致ともいえるものだった。ここからほぼ十年後のバブル期の昭和、況や平成の治世など、正像末法でいえば像法にもあたらない世の末も末にすぎない。それはさておき、この「舟唄」で阿久悠が試みたのは、パターン化された、戦前期から続くような「歌謡曲」の世界を、そのパターン自体も含めて極限にまで押し進めることだった。歌詞の基本は「なくていい」「でいい」というもので、それはいわば否定形の積み重ねで進行してゆく。酒、肴、女、酒場の灯り、霧笛といった道具立ては、あたかも一本の扇で酒杯や打ち物を現象(エフェクト)させ、舞台の板のうえのひと巡りで京から日向までの長旅を現出させる謡曲のように、極端なまでに殺ぎ落とされた影像をともなっている。そしてその否定形は、「はやりの歌などなくていい」という、下手をすると自己抹殺の事態にもなりかねないところまで進むのだ。
 この「はやりの歌などなくていい」という歌詞が、「舟唄」という「はやり歌」のなかでどうして成立しうるかを考えるところに、「舟唄」の世界が持つほんとうの意味があるのだと思う。それ自身、八代亜紀における最大級のヒットとなったこの歌が、あらかじめヒットを予想できたにせよそうでないにせよ、もとより「はやりの歌」でないわけがない。いいかえれば、はやる・はやらないという両義性の世界と無縁のものであるわけはない。しかし「舟唄」で「なくていい」とされる「はやりの歌」が、「舟唄」自体であるということは自己撞着的にのみ、ただその意味においてのみ、語られうる事柄なのである。
 なぜなら、はやりの歌であっても、なくても、「舟唄」はその詞章でもってその世界を構成することはできても、同じディメンションに属するその詞章でもっては、おのれを含むその世界の構成について何かを語るということはできないからである。「舟唄」のなかで何が語られようが、自分自身でさえ、歌表現の内部でしかなく、どこまで行っても歌表現というものの分出にほかならないのだ。それがたとえ自らを否定する体のものでも、「否定された自己」として歌表現の内部で客体化され、そのように無限に自らを分出してゆく。「舟唄」で「なくていい」とされる「はやりの歌」のイメージを思い浮かべることは比較的容易であるが、「なくていい」はやりの歌がただいま歌われている「舟唄」自体であることを納得するのには可成りの抵抗がある。「はやりの歌などなくていい」という言明は、どちらかというと「舟唄」にとって、撥無肯定的に「舟唄」のうちに収斂するのだ。
 このことが「舟唄」自体にとって何を意味するかというと、通俗、ということの極めてしたたかな骨法を見せつけられた気がする。「はやりの歌などなくていい」という滴を、「舟唄」の現存に一粒垂らすだけで、はやりのものに限りなく背を向けてゆく志向を有した「はやり歌」、あるいは圧倒的な・物量的な大衆性から限りなくそむいてゆく(というコンセプトを有した)、それこそ何十万、何百万人もの支持を得た通俗性、という捩れ・スパイラルが展開する。この時期昭和はひとつの極致・極地であったのであり、阿久悠はこのときたしかに神の手(ゴッドハンド)で詞を書いていたのである。
         05/3/28



「メタ  9号 」(2005・4月)


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