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雲のいづくに ――私の小倉百首から



  月のおもしろかりける夜あか月がたによめる
夏の夜はまだ宵ながら明ぬるを雲のいづくに月やどるらむ   清原深養父


 オダさんといつも深夜の酒場で詩の話をした。私よりひと
回り年長の彼は、こんなとこで詩のことを言うてたら、なん
や、てな顔されるけど、あんたとならその話ができる、と詩
の話題に入る前、マクラのように言うのが常だった。髭をた
くわえたオダさんは、頭髪は少ないがいつもよい服を着込ん
で、店でも高いシングルモルトの瓶を入れ、ストレートで少
しずつ飲んでいた。けれど何の仕事をしているのか、何回聞
いてもよく分からなかった。彼と私はそれぞれ薄い詩集を一
冊ずつ出していて、私たちのように無名の存在ではない詩人
も共通して、個人的に知っていた。落ち合う店は決まってい
て、ほぼ同じ人間が同じ時間に、ほぼ毎日やって来る。店が
はねたあと、そこの女主人と別の店に流れる面々もだいたい
決まっていて、オダさんと私もそのなかに入っている。店の
ない日曜など、女主人と客であるわれわれが、食事会と称し
て昼間っから飲むこともあった。そして平日の夜はせっせと
店に通いつめるのである。ところがある夜からバー・カウン
ターの端にみごとな花が飾られるようになった。それが毎日
新しいのだ。男の眼ではよく判らないが、さぞかししたであ
ろうし、これが毎日新しいとなると、女主人にとってただな
らぬ何かが起きていると推測された。客がいくら贈り主の名
を聞いても彼女は明かさない。オダさんとはここ以外のとこ
ろでもよく飲み歩いたが、別れぎわに郷里のみやげをくれた
ことがある。家に帰って開けてみたら、富山のいかの黒作り
だった。そういえば別の県に富山のとはちがう実の母がいて、
それでわしは人に愛情を示すのが苦手なんや、と言っていた。
そしてだんだん、女主人の店では黙り込みがちになり、違う
店では神様や霊の話をするようになっていった。花の贈り主
はオダさんである。けれど女主人には決まった相手がいて、
店がはねたあと、彼女と別の店に流れてゆく客の一団のなか
には当然彼もいた。私も、そしてオダさんも。女主人の店は
だいたい夜中の二時か三時には閉まる。夜もだいぶ明けやす
くなった時分、みんなで区役所の通りを越えて、中国人経営
の朝までやっている料理屋に入った。薄い青島ビールなどを
舐めていると、突然背後で物の派手に倒れる音がする。振り
向くと女主人の彼が頭の部分をかかえ、背の小さいオダさん
が鬼のような顔をして仁王立ちになり、片手に割れた灰皿を
握っている。オダさんが彼を殴ったらしい。坐ってものの三
分とたたないうちに、一切の言葉や視線のやりとりもなく、
突然に。オダさんは割れた灰皿で掌を切り、女主人の相手で
なく、殴ったオダさんのために救急車がやって来た。その後、
オダさんは手の傷なのに神経の薬を処方されたと言って憤り、
一方で女主人に、あんたは悪霊や、と言ってみたり、無名で
ない詩人と私を呼び出して、イエスのことを聞かせてくれへ
んやろか、と言ったりしているが、救急車はあのときからオ
ダさんを連れ去ったまま、私たちのところに帰してくれてい
ない。彼はいま、さまざまな霊の飛び交う店で飲んでいるの
だろうか。明けてゆく空の、どこ有るとも知れない浮薄な月
をつくづくと見る後ろ姿で。次第にあきらかになってゆく、
まばゆい残骸のような街区へ棄てられた児どもみたいに。



(「tab」15号)



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