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ラジオ



 まだ昼になる前から気温は猛烈に上昇した。アブラゼミの
鳴き声で神社の森は緑色の光の塊みたいに浮かんで見え、背
後の空のまがまがしいまでの青さのむこうへと国道は消えて
いた。豚骨ラーメン屋の壊れかけたエアコンが喘ぎ、貴重な
水脈のような冷気を頬に受けて、1637JQ、ヨコハマ放
送に耳を傾ける。136号線は柳町でいつもの渋滞で、浜見
橋まで断続的に混んでいるようだ。5号車のハヤシさんとは
中継が繋がらない。ヨコハマ市長がリクエストしてきたのは
「南のすべての星」が歌う《砂まじりの茅ヶ崎》。エボシ岩
の影の彼方には逞しい積乱雲が湧いているにちがいない。厚
木から江ノ島まで、空も地も、遮るものがなにもない。軍用
機とスポーツカー。ただ海沿いの路だけが、夏の間、神も権
力も若者も手をつけることの出来ない、宿命的な渋滞に覆わ
れる。浜ではオイルを塗った裸の背中が太陽に反射して、ま
るで悲哀の鏡のように渚の果てまで夥しくきらめいている。
もう八月も二週目に入るので、女たちが悲鳴をあげる波打ち
際からはるか、暗い碧を湛えた沖合では亡霊のような水母が
発生するころだ。辻堂の松並木まで車を移動したハヤシさん
と中継が繋がって、アイスキャンディ売りのおじさんのコメ
ントが入る。暑さはこたえるけどキャンディの売れ行きは例
年になく好調。気をつけて帰ってきて下さいと言うDJの声
のあと、レンタカーのCMのいつもの歌が流れ、交通管制セ
ンターのオカダさんのアルトの声質の報告が入る。大井松田
インターや川崎インターの夏空、厚木インターの蜩のせみし
ぐれ、まだ見ぬ大師線の海に映えるコンクリートの白さなど、
次々に出現しては消え、カナガワの版図は東からゆっくりと
翳り始める。いつのまにか波の音が徐々に高まっているのに
気づく。まだ渋滞が続く海岸道路の下では海の家に駄菓子屋
のようなあかりが灯りだし、傷つきやすいけだものみたいな
恋人たちを深い闇が呑んだあと、夜空には「南のすべての星」が
千の匕首のように輝きだす。やがて秋だ。


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