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アリア



 あらゆる熱狂が去って現れた広場に、大きな躯体が想像さ
れる。その架空の中心からまずニ長調の錘鉛がはるかに垂ら
される。そして無名で勤勉で悦ばしい手により、煉瓦の飛び
石みたいな、時を刻むコンティヌオ(バス、チェロ、チェン
バロから成る)が着実に嵌め込まれる。それは躯体の全構造
にまで及ぶ。構築物は便宜上、四つからなる拵え物の層の重
なりで組み立てられて行くことになるであろう。むろん第一
の層はいま言ったコンティヌオということで、ニ長調が形と
なる最初の陰翳をなす。「花は光を含んで匂う」、という文
における、「は」「を」「で」「う」に相当するもので、そ
こに初めて建物にとって本質的な時間の出現を見る。第二の
層はそこよりも少し高いところを推移する声で、構築物の主
題の片われが、耳を澄ますとところどころ露出している。
「は」に「花」が、「を」に「光」が、結び付いた形とでも
言えばよいか。ほんのちょっと甘美な鐘の声を、遠くから聞
くようだ。第三の層はこれに較べ、いくぶんか武骨に「花」
が「匂う」ものであることを、強靱な構造のうちに指し示す。
構造自体に蜜の甘さはないけれど、ここに平面ではない「高
さ」というものが存在するのを私たちが感知することにより、
形象を構成するおびただしい放物線と面がいっとき揺らぐの
だ(その声が画き貫[ぬ]く大きな窓は、外界をそのまま移
すことで大きな祭壇と区別がつかず、そこで烈しく舞ってい
る白い落葉)。第四の、最後の層は比較的天に近いところに
あって、翼の付いた金髪やシルクロードの打楽器を抱えた小
ドラゴンを嬉遊させている。例えば「花」が「匂う」ことに
関し「光を含んで」は修飾でなく、一文を「匂う」まで言い
終えたときに初めて一文を被う光輝、グローリアなのだ。躯
体の内側はすでに構造の天空だ。あらゆるラやソ、嬰ハ、コ
ンティヌオの楔形、たえまない音階の接近と乖離は堂の空間
を夜空みたいにこんじきにきらめかせ、複雑な拵え物の入れ
子からなる数理的な組織が、稠密で単純な装いで青空の下に
露わになる。熟れきったぶどうや梨、搾られた新酒。私たち
の庭に、秋を収めるための建築が出現している。


*J・S・バッハ『管弦楽組曲第3番』第2曲「アリア」(いわゆるG線上のアリア)が、4声で多重録音されてゆくのを聞きながらこれを書いた。いわば、音楽のスケルトン・モデルといった印象。


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