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小さな演奏会 ――「大和千賀子&小田求コンサート」について



 三月三日上巳の夜、その日はちぎれ雲のあいだからふいに太陽が輝いたり、冷たい突風が吹いたり、西の空が異様に暗くなったかと思えば烈しい驟雨がアスファルトを叩きつけたりなどしたのだが、日が没してから漸く収まり、妻がその彼女の子どもの時にピアノのレッスンをつけたという、今ではもう立派な声楽家となっている女性の主宰する小さなコンサートに行ってきた。会場は、ティアラこうとう小ホール。
 結論めいたことを先に言っておけば、ライブの音楽鑑賞とはつくづく、芸能体験なのだということだった。これは私のような、レコードや放送を通して音楽の世界に目覚めた、といった世代の人間にとっては新鮮な感覚である。じっさいにそののち、何かの機会にジャズライブや演奏会のたぐいに足を運ばせることがあっても、鑑賞態度というかなんというか、私たちのその姿勢にはなにかしら(じっさいに目の前でやっているのに)放送やレコード等再生機の皮膜を通して音や映像を感覚しているに似たみたいなところがあったのではないか。どこか素直でないといったふうな。直接に見ようとし、聞こうとしなければ、いまこの目の前で現実に生起していることどもであってさえ、絶対に見えないし、聞こえてもこないものなのだ。
 芸能体験とは、オペラを始めとしてガムラン体験やロックのライブはもちろん、日本で言えば歌舞伎や文楽を見ることに類し、宝塚、美空ひばりや北島三郎の座長公演を見ることをも意味し、また能楽や流鏑馬に立ち会い、鎮魂の叙事詩としての浪曲、また平家語りを拝聴すること、田遊びの神事に臨場すること等も意味している。演歌で三十年四十年、一番を張っている歌い手には、生では恐らくテレビで観る以上の迫力ある存在感が男女を問わず湛えられているのであり、そうした人間が嘯く小節[こぶし]を間近で聞いてみたいと心から思う。人目に晒されればおのずと付いてくる浮気な派手さとは別の、たぶん「異常な」要素が彼ら彼女ら本物にはあるのだと考える。楽屋落ちの刻薄なおはしゃぎで公共電波を独占している塩化ビニールみたいなタレントたちと、「芸能者」はちがうのだ。
 そんなことを思ったのも、ことは以上述べた如き大仰さとは趣を異にするけれど、大和千賀子さんという個性に、ある種の濃やかな芸能性、その源泉となっているある種の憑依の素質体質を感じたからだ。舞台の板の上に立つという意味では、彼女に限らず、どんなに偉大なあるいはどんなに無名の、だけれども一晩聴衆を沈思させたことのある歌手であるならば誰にでも、この憑依は訪れているに相違なく、歌手も聴衆もこの憑依の到来をほとんど動物的な感覚の深さ鋭さで同時に嗅ぎ分けて、一夜の舞台の成否を瞬時に判断するのだろう。その到来の感じを言い換えて、一夜の夢を見たとひとは言うのだ。
 舞台は2部に分かたれ、1部は(このコンサートの副題「美味しい曲のア・ラ・カルト」に倣えば)いわばアントレないしアンティパスト・ミスト、2部はメインディッシュであるセコンド・ピアットというところか。さまざまな独立した歌曲から成る1部は大石綾乃さんという伴奏者によるピアノ独奏も交えて(この演奏が面白かった。こんなシャープな遺作のノクターンを聴いたのは初めてで、ちょっとびっくりした)、まさに酒肴[おつまみ]といっていいのに対し、2部はア・ラ・カルトとは銘打つものの、コース料理の一部をそのまま抜き取って持ってきたみたいな、オペラとオペレッタのなかの存在感ある詠唱群である。
 1部冒頭のフォーレは大和と小田求さんが声を合わせるかたちのものだが、ちょっと硬かった。男声のほうはキーが低いせいなのか、高いせいなのか、シロウトの耳にはよく分からなかったけれど、ほんの少し音程が不安定で、特に彼が学んできたとプログラムにあるベルカント唱法が存分に生かされていないような気がした。だけれども、あとになるにつれて、つまり舞台が練れて来、熱くなるにつれてこの問題は解消されてゆく。そして声はふたりとも、凄く大きい。ときどき耳の奥が痒くなるほどに。
 次の、同じ詩に中田喜直と別宮貞雄の二人の作曲家が別々のメロディをつけたという、そしてそれを大和と小田がそれぞれに歌うかたちの「さくら横ちょう」は、ある意味音楽とは別の私の専門分野(?)からの視点で見て面白かった。詩の作者は加藤周一で、この作品はマチネ・ポエティクのものだという。詩史論的な意味では無残かつ非道なまでの悪評を蒙っている、中村真一郎や福永武彦らの日本語による、敗戦期を挟んだ数年間の韻文詩運動(日本語でおこなう詩に、シラブル数の規定や押韻・脚韻といった西欧詩の有する音楽性を持ち込もうという試み)「マチネ・ポエティク」の仲間に加藤周一がいたとは(また詩人だったことがあるとは)まことに赤い恥ながら今さらに知って驚いたのだけれど、この(二つの)曲のどちらかというとリズムをあまり感じさせない、誤解を恐れずに言ってしまえばレチタティーヴォ的な無調の色合いは(不安な空の色を思わせる)、この頃の若い文学エリートたちを捉えていた前衛的芸術の時空というものがどういう雰囲気を持つものであったか、作曲者も含めそのフリーズされた時間が解凍するさまを如実に見る気がして、貴重な体験をさせてもらった。
 このあと、大和の歌うグリーグの「遅い春に」を聴いていて、普段なら首っ引きのはずの訳詞カードを、さして重要視していない自分に気づきほんのわずか動揺した。詞は歌の、メロディを別とすれば最大の構成要素のはずなのに。ちらっとそこに目を落としていくつかの言葉、例えば「春が私の方へ 運んでくれたすべてのもの/そして 私が摘んだ花/それは 父祖の霊だと私は信じた」など、その零れてくる光の世界をカーテンの隙間から窺うみたいなわずかな仕種で、すべてを理解できるような気持ちがした。要するに大和の声で胸がいっぱいになったのである。いわゆる国民楽派といわれるグリーグ作曲のこの歌曲は、歌詞が「ブークモール語」というデンマーク語系の土着の言語で書かれているそうだが、その歌詞の具体性は翻訳されたいちいちの日本語の中にあるのではないと感じた。どんなに精妙に訳出しても、ここに出てくるノルウェーの「笛」や「常緑樹」や「ウワミズザクラ」とは何か、絶対に了解不能のところがある。文化が違い、当然それに対する日常の感覚も違うのだから。大和の歌はそれが例えば英語にしたら、日本語にしたら「何」であるかという、共通性という抽象に向かわず、その一つ一つがそれ自体としてただ「有る」ものであるということをつぶ立てて、いってみれば「記号言語(signe)とは違った音楽という言語」の具体性でもって現前させた。意味は辞書的にはまったく分からないけれど、グリーグや国民楽派とされる音楽者たちの理念(神話に通ずる)、実はナショナリズムをさえ超出したところをめざすその理念のようなものを遥かに想起するようだったのは、西欧伝統のものとは微妙に異質な和音やメロディ進行のほかに、大和の歌いの巫女的な側面が翳を落としていたせいもあるだろうと思う。この選曲で、彼女がじぶんの資質の傾向をよく自覚していることが知られよう。
 2部は冒頭の小田による歌劇『カルメン』中のアリア「花の歌」がよかった。中肉中背の若い小田の白面に、無謀で直情径行、野卑ではないけれど猛々しい、ドン=ホセという青年の面貌がふとよぎったようで、体格さえもくろぐろと大きく見え、その愚かしさと、愚かしさゆえのけだかさとが背理ではなく、アマルガムのように共在する輝かしさを明快に歌いきった。彼のベルカントを私はここではっきりと確認したわけだ。フランスにとってのスペイン、またビゼーにおけるメリメの意味するところを考えて、私は密かにうなる思いである。  この『カルメン』と、オペレッタ『こうもり』中の詠唱群から2部の全体が構成されているけれど、大和はこの2部で、ホセの若い許嫁ミカエラ(『カルメン』)、浮気者の亭主アイゼンシュタインを持つロザリンデ(『こうもり』)、ロザリンデ扮するハンガリーの伯爵夫人をまた演じるなど、私から見るとまさに八面六臂という印象である。イニシアチブをとっているのは大和だが、当然小田のほうも許嫁ミカエラを持つホセ、ハンガリーの伯爵夫人に化けた妻ロザリンデにそうとは知らず言い寄る好色なアイゼンシュタイン、といった役柄を避けがたく割り振られるわけで、舞台の上は男女という、仮の役柄のようにさえ感じられる対照的かつ対称的な魂が、互いに求め合い、反撥し、交錯する、小さくて濃密なコスモスという様相を帯びてくる。
 舞台なので当然、録音録画や編集の手など全く無意味なわけで、私たちがいまこの音楽という名の現場にまさにいる、そのざらざらした現実感の一つともいえるが、ちょっとしたミスや失着に類することもしばしば認められた。しかしそれらの出現を圧倒する瑞々しい感触で、目睫の間、とくに二重唱のそこここに、深い、ほとんど荒々しい甘さ(ドルチェ)ともいうべき極小の天国の顕現(Epiphany)を私は見た。オペラとはこんなに善いものであったかと溜息をつく思いだ。
 舞台上で大和は歌い、笑い、あるいは恐怖に身を震わせ、男の肩にしなだれかかる媚態を見せ、おおきな悲しみに耐え、滑稽に怒り、さいごに羽のような軽さで、じぶんをハンガリーの貴婦人と思い込んでいる男からあっという間に大切な時計を取り上げて舞台上から立ち去る。この瞬間、小ホールにいたすべての聴衆の時間も盗み取られたのだ。ハンガリーの貴婦人を演じているロザリンデに扮している(とみんなが思い込んでいる)、大和千賀子という芸能者のかたちをとって、今夜このホールで嬉遊している、なにものかに。
 柳田國男や折口信夫を通じて知ったのだが、芸能者はしばしば、その聴衆や観衆から彼や彼女が語り演じる物語の主人公と同一視されるということがある。中世の都市や集落を渡り歩いた琵琶法師や八島語りの芸能者は、数百年の過去世に生きた平知盛や九郎判官義経その人として、ほとんど神ともいうべき貴さに耀映しつつこの時ばかりはまざまざと聴き手の前に立っていたのである。卑近な例で心苦しいが、私の母親など、おおむかしテレビの画面で森進一が「命かれても」などを嫋々と歌っているのを見て、こうして流行歌手はいっとき売れては儚く消えてゆくんだねえ、などと言っていたものだが、このころ彼は豪邸に住んでいたはずである。浪曲の森の石松は荒ぶる片目の英雄神の如く死者のなかから呼び出されるし、こまどり姉妹など、極限の貧しさ惨めさを持った出自の連想を離れないことが、成功した芸能人であることの絶対必須の条件と言えるのだ。つまり、私たちが歌手や役者として理解している彼ら彼女らに、歌手や役者以外のディメンションで相会うことは理論的にあり得ない。背後にあるはずの彼らの「ほんとうの姿」を探っても、私たちはそこに何もない空無(neant)をつかむだけである。
 この夜、大和千賀子という人は、妻の教え子と芸能者と、二つの面を併せ持っていたとは私には到底思えない。舞台上の芸能者・大和千賀子の背景には何もない、つまり過去がないという空無ばかり(だから彼女は何にでもなれる。お望みとあれば、男にでさえ)。花束を抱えてにこにこと妻に挨拶するステージ後の千賀子さんは、どう考えてもコンサートを仕切るまでに成長を遂げた、妻のかつての教え子にすぎなかった。芸能者のいる場所は、この世界の外側なのだ。               


初出「メタ    十四号 」(06/03/12~15)


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