[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]



ゆふづつ



 きらきらとした水の反射を浴びて、気がつけば長い橋を渡
っていた。河は蛇行しながらはるかな川下の、鉄構や煙突、
糸屑のようなクレーンやらでにぎやかな、河口の果てのガラ
ス板みたいに平らな海へ消えている。若昼、とでもいうのか、
日は中天に懸かるにはまだ早く、私たちのGパンの朝露はま
だ消えていない。私たちは全員長髪で、ひとりふたり、Tシ
ャツを着て、飛び抜けて長い髪をした娘たちの肢体も見える。
結晶が砕けるときの音のような笑い声をあげて、向う側の岸
の河原に下り、水切りの石を逆光で眩しい川面につぎつぎに
投擲する。それから開いたばかりの店で、みんなで金を出し
合って一級酒を一本買う。これからまがい物のパルテノン神
殿をてっぺんに戴く、小さな丘に登るのだ。丘の上の公園は
白梅が満開で、見物人も少なくはないのに、なぜだか桜花の
ときとは異なって、しんとした音楽に聴き入るようだ。白梅
はかなしくなるほど綺麗な匂いをただよわす。私たちは日の
当たる斜面に腰を下ろし、紙コップをてんでに取り出して昼
の梅見を始める。光はもう春のものだが風はまだ冷たいので、
嚥下するたびにはらわたで燃える日本酒が痛快だ。一杯また
一杯とやるうちに、むしろ意識はさえざえとしてくる。やが
て誰かが歌いだす。「目の前が暗くなるSans toi m'amie」
――このなかで、誰が誰を求めていて、誰が誰を裏切ったか、
誰が誰を断念して、誰が世界の何を断念したか、みんなお互
い解りつくしていることだ。なにも言わない代わりに、こう
してただ酒を飲み、歌をうたい、花を見つづける。浅い春の、
これがみんなで集まる最後の一日だということを、私たちは
痛切に知っている。やがて暗くなり、私たちはかがやく街に
降り立つだろう。踊り、うたい、酔いつぶれて、店の灯りか
ら、ひとり、またひとりと消えてゆく。

 夕星は、
 かがやく朝が八方に
 ちらしたものを、
 みな もとへ
 つれかへす
 羊をかへし
 山羊をかへし
 母の手に
 子をつれかへす
               (サッフォー、呉茂一訳)  


初出「『索』第39号 」


[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]