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王子たち



 学校を中途でやめて、先輩の三人が共同で借りている下宿
の二階にころがりこんだ。荷物も何もない、無一物、完全な
食客として。三人は、一人はガラス屋のせがれでフルートが
専門のジャズマン志望、一人は翻訳物の海外文学におそろし
く詳しいというよりは五月蠅い、クラシック好きの金満再婚
女性のひとり息子、三人目は湘南辺に家のある会社社長の後
継ぎで、ジャン・ジュネを好み、朝には必ず念入りにマニキ
ュアをする自称A感覚愛好者。夜が中心の生活で、みんない
つも空腹だったが何故か酒だけは欠かすことがなかった。ガ
ラス屋はジャズ志望だけれど本当はフランスの歌謡をこよな
く愛していて、バルバラやヴォケールやピアフの盤を使って
の音楽講義は私を飽きさせることがなかった。彼にとり音楽
で食うということはそれら聖女たちへの信仰告白みたいなも
のだ。翻訳文学者には、いつも夜の散歩に付き合った。近く
にあった大学の、イエズス会の創立者の名を冠した教会に忍
び込んだら、思いがけないことにパイプオルガンの大音響が
鳴り渡った。翻訳文学者はあれはパレストリーナだとこっそ
りと囁いて、その五月蠅さがただものではないことを私に示
した。時としてそれは、彼を病の淵にまで連れて行くもので
もあったが。ジュネ男は、私を狙っているといつも標榜して
憚らなかったが、ジュネやタルホはむかしから彼に買い与え
られつづけた、エアプレーンの精密模型やぴかぴかのラジコ
ン・カーの域を出るものではない感じがした。彼には性の匂
いがせず、偏差値以上の知性は持たず、体躯は虚弱であった。
ある晩、ちょっとした諍いからすべてにわたる大喧嘩になっ
て、部屋の長であるガラス屋が彼を下宿から叩き出した。も
う戻ってくるな。深夜の曙橋を嗚咽しながら歩く後ろ姿に、
女物のサンダルをつっかけた翻訳文学が追いつき、肩をさす
って宥めながらタクシーを拾ってやるため手を挙げる。春な
のに秋の終わりのような深い霧がたちこめていた気がする。
霧を割って夢のようにタクシーが現れ、マニキュアの指の少
年を失意の王子みたいに乗せて、小さな月の出た外苑の森の
彼方に連れ去った。晩年はもう始まっているのだと思った。

 もう秋か。――それにしても、何故に、永遠の太陽を惜し
 むのか、俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないの
 か。――季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。
           (「地獄の季節」ランボー、小林秀雄訳)  


初出「『現代詩図鑑』3月号 」


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