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ドルチェ・ヴィータ



 日吉の学校から出講してきた、イタリア経済が専門の講師
をぶん殴って刑事告発され、逃亡生活を余儀なくされた痩身
巨躯の先輩に言わせると、ぶん殴った相手は「存在そのもの
が低劣」であるそうだ。東京にいると何かとまずいので、京
都や奈良の学生寮にしばらくのあいだ潜伏していたが、路銀
その他のこともあって京浜地域に舞い戻り、やがて東横線沿
線にあった私の友人夫婦のところや、そのまた友人や、まあ
落ち着くべきところに落ち着いたと言うべきか大倉山の私の
アパートでしばらく匿うことになる。先輩の糧道は有志によ
るカンパであり、私のそれはときたまの短期間のアルバイト
と教員をしている姉からの家賃程度の仕送りのほかにはなか
ったから、当然のことながらゆたかな共同生活というわけに
はゆかない。けれど奇妙なまでにpoorでsadという感じはな
かった。毎日が宴会とは言わないが、乾物屋で生の大豆を買
い込んで煮豆をこしらえ、飯の菜や、一番安い酒であるさつ
ま無双という芋焼酎でやる男二人のひっそりした晩酌の肴に
仕立てたが、その晩酌は一日たりとも闕(か)くことはなかった。
そのころには妙法寺裏のサロンはもう無くなっていて、同じ
ようなメンバーによる読書会が私の部屋で行われていたし、
先輩がいる学生寮の仲間もひそかに連絡のために訪れてきた
から、大倉山はおのずといろんな男女の群れつどう、第二の
サロンの様相を呈してきた。大倉山駅から私のアパートまで
は二十分ほど歩かなくてはならないが、ある夜、駅から出て
しばらく行くと前方に、帰宅するらしい女の後ろ姿がある。
これくらいの距離ならとそのころの私の癖で追い抜きにかか
ったところ、それに倍する勢いで歩速を速め、抜かせない。
こっちが足を速めるとさらに足を速め、まるで真夜中の逃げ
水か遠野物語や今昔物語集に出てくる異界のモノのように、
絶対に追い抜くことができなかった。そのうち、その女が目
指しているのが私の帰る場所と同じ方向だと気づいて少し総
毛立つが、まさしく私のアパートの鉄の階段をカンカンと上
ってゆく彼女の横顔が先輩の思い人のそれであると知る。彼
女は、変な男が後をつけてきたので怖かったのと笑ったのだ
ったが。ほかにも二人の男のあいだを行ったり来たりしてい
る女や、ボクも家を出たいので一緒に住まわせて欲しいです
と申し入れてくる高校中退生、ウィトゲンシュタインを完璧
に誤解している塗装工場労働者などが入り交じり、連日の大
饗宴に、堪忍袋の緒を切らした隣人と薄い壁越しに怒鳴りあ
う日々だったが、あるとき流謫の民を率いるモーセみたいな
先輩に率いられ、どこまで行けるか、横浜の繁華街を指して
みんなで歩いたことがある。ふだんは電車で乗り過ぎてしま
う風景が、奥行きをもって一枚、また一枚と展開し、われわ
れは見たこともなかった午後深い池を過ぎ、木陰に出現する
知らないバイパス道路の十字路を曲がり、見えない星のきら
めきを躰の奥処に感じはじめる時刻に、横浜の街角に立つ。
野毛や伊勢佐木町の濃密な灯りの滾る酒場に入り、酒を浴び、
歌をうたい、さらに酒場から酒場づたいを渡り歩いて、落下
したシャンデリアみたいに完全な酩酊の光源に倒れ込んだ。
同志がかき集めたモーセのひと月分はこれで雲散したそうだ
が、そのちぎれ雲さえ残らない空の淡さは、いまでもあまい
歌声のようにわれわれをいざなう。

 ある朝私たちは出発する、脳の中は焔にみちて、
 心臓は恨みとにがい欲望にふくれ上がって、
 私たちは行くのだ、大波のリズムのままに、
 限りない思いを限りある海に揺らせながら。

 ある者は、恥ずべき祖国から喜んで逃げ出すところ。
 別の者は、われとわが揺籃の恐怖から、そして幾人かは、
 女の目の中に身を溺らせた占星術師か、
 危険な香りを放つ暴虐の魔女キルケから逃げ出すところ。
        (「旅」シャルル・ボードレール、安藤元雄訳)


初出「倉田良成詩文片「ゆぎょう」第40号」


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