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美しい町



 一連の学園紛争を指揮して、詰め腹を切らされるみたいに
学校を中退した二年先輩は大検を受け、浪人してやっとこさ
横浜にある大学の経済学部にすべり込んだが、そのときの同
期が私と同い年の彼だった。隣町に下宿していた珍しい名を
持つ彼は九州出身で、一村全体がその姓である彼の地元の集
落に大学の調査団が入ったこともあるという。柔道は黒帯の
腕前の彼の好みはもっぱら日本酒で、私鉄の駅前の戦前から
あるみたいな酒屋で、日出盛や富翁や多聞といった二級酒を
買ってきて春夏秋冬と一緒に実によく飲んだ。革命や詩の話
などまったくしなかったけれど、意外なことにシャンソンの
話題では大いに興に乗ってきて、エレーヌ・マルタンやムス
タキの盤を隠し持っていることなど判明した。二人で二升近
くあけて朝焼けの空を見たこともあるし、一人の女に二人同
時に振られたこともある。やがてまた春がやって来て、卒業
ということになる。大手の一部上場企業に入った彼の振り出
しはまずY市。けっこう長くそこにいてだんだん偉くなって
ゆく。ある夏に遊びに行ったら、若いのに宵の内の小料理屋
から始まってバー、スナックをはしごするのに付き合う羽目
になった。何軒目かで、さっきの店の女と妙なことになっち
まってねと言いだす。暫くしたら、馴染の女郎というのも気
が休まるねと言う。数年後に見合いで結婚して、東京本社付
や金沢や大阪の支店長を歴任する。絶頂がおとずれたのだ。
金沢のころ、また遊びに行った。綺麗な水の犀川にかかる橋
のたもとの、料亭というのでもない、土地の人間がよく使う
ような魚料理の店で、随分久しぶりに女っ気なしで二人で酒
を酌んだ。あたりは夕ぐれで、対岸に水銀灯が灯り始めて金
沢の町全体が金泥の闇に沈んでゆくようだった。そこでは彼
は名前で呼ばれず、みんなから支店長と声をかけられていた。
そのあと赴任した大阪のころのことはよく知らない。夢のよ
うに時が過ぎ、ある日彼から突然電話がかかってきて、いま
横浜の支店にいる、今夜会えるかと言う。再会した彼の身体
の右半分が風のない旗みたいにひらひらして見える。単身赴
任の大阪で倒れたという。担ぎ込まれた病院で、おれはもう
死ぬんだなと静かに考えたそうだが酒はやめない。ラインか
ら外され、二十も下の女総合職に顎で使われて、退社してか
ら家に帰る前に必ず、途中下車の海浜駅の凍りつくように深
い色の夜のバールでシングルモルトをひっかけてゆく。むか
し愛人だった中国人の彼女は上海で起業していて、その上海
の、死後の町のようなかがやきを見つめながら。

 ミラボー橋の下セーヌは流れ

 夜は来い
 鐘は鳴れ
 日は過ぎ去り
 わたしは残る
(「ミラボー橋」アポリネール、飯島耕一訳)


初出「倉田良成詩文片「ゆぎょう」第41号」


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