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饗宴



 女と別れて一念発起し、オホーツク海の蟹工船で八か月ほ
ど重労働をして金を稼ぎ、杉並の妙法寺近くにいおりを結ぶ
みたいにアパートを借りた男がいた。少しばかりの貯えはあ
るのでしばらくおれは高等遊民で過ごすんだと言った彼の部
屋が、詩を書いたり楽器を鳴らしたり、きわめて非政治的に
学生運動をやったりする若者たちの溜まり場となった。サロ
ンと私たちが呼んでいたその場所には色んな人間が出入りし
たが、なかに外交官である父親の赴任先のアルゼンチンで少
年時代を過ごしたという変わり種がいて、彼の見果てぬ夢は
この日本でも日々思う存分の量の牛肉にありつくということ
だった。あるとき彼の発案でフランス料理のタン・シチュー
を一から本格的に作って宴会をしようということになった。
資金とレシピの載った大百科事典一揃いは蟹工船が持ってい
る。スタッフは蟹工船とアルゼンチン、私と、それにこの当
時でも詩の第一は若菜集だというところからどうしても抜け
出すことができずに苦しんでいる都の西北の学生の四人であ
る。みんなで地下鉄に乗って新宿のデパートの肉売場まで行
き、アルゼンチンの指示と欲求にしたがって三キロほどの生
の牛の舌まるごと一本の塊を仕入れた。アパートに帰って下
ごしらえから始める。厨房は部屋とは別のアパート共同のも
ので、そこで四人の男がレシピどおり厳密に黙々と作業を進
める。最初の難関はびっしりと密集した剣山みたいな棘の生
えた表皮をむき、芯ともいうべき可食部分を出現させること
だった。それからローリエを含む数種のドライハーブと凧糸
で縛ったブーケガルニ、丁子をいちめんに刺したまるごとの
玉葱数個などを放り込んだ大鍋に、苦労してフライパンで一
度焼いたカットしない牛舌をしずしずと進水させる。ブラウ
ンソース作りは清水の舞台から飛び降りる気持ちで私が担当
した。そう非道いことにもならずソースは大鍋に入れられる。
人間のすることはそこまでで、あとはひたすら待つ。煮える
のを待つ。待っているあいだ誰かが、これだけの量を四人だ
けでとても食べきれるものではないし、だいいちこんな御馳
走を前にして四人きりというのはいかにも寂しい。人を呼ぼ
うと言う。名乗りを上げて私が使者に立つ。夜八時。妙法寺
の裏を抜けて環七を渡り、鍋屋横丁まではるかに糸のように
つづく旧道を見えない翼のついたみたいなサンダルの足でひ
た走り、青梅街道沿い、新中野杉山公園のむかいのアパート
に同棲している一組の男女にまず声をかける。それから青梅
街道をはすかいに東行し、中野公会堂前に至る抜け道に左折
し、闇の桜花が枝垂れかかる堀越学園近くの大久保通りを突
っ切って中央線のガードをくぐり、早稲田通りを越えた先に
ある上高田の学生寮に着いたころには私も疲れた。そこにも
ぐりで住み込んで、激しい練習を自分に課しているがいつデ
ビューとも知れない高校中退ピアニストと中退仲間のその友
達を招待した。全員が揃った夜十時過ぎタン・シチューが完
成する。ビールのジャンボボトルにウイスキー、ワイン。カ
ーリングのストーン大の紅い表面のエダムチーズもころがり
出て宴は深更に及び、シュールレアリスムを信奉する蟹工船
が若菜集を罵倒し始め、誰かがコップを倒し、杉山公園の女
のほうが泣きだして、アルゼンチンは目の色を変えてむさぼ
り食い、ピアニストはあまり食わずに強い酒を呷り続ける。
すっかりできあがった中退仲間のいびきが高まるころ、空費
され蕩尽した豪奢な休日の空を背景に、私のなかで、鋭いガ
ラスの破片のむこうに透けて見えるみたいな、静謐な聖画が
開闢したのだ。

 この道を歩んでいった人たちは、ねえ酒姫[サーキイ]
 もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。
 酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
  あの人たちの言ったことはただの風だよ。
     (「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム、小川亮作訳)


《「現代詩図鑑」2006・5/6月合併号より。》


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