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夏のすずしいくらがり ――堀川正美に捧ぐ3



玻璃に似たセミの影が降りしきる
髪ふり乱したグランドピアノのひびきの破片にみちて
夏のすずしいくらがりの
迷走するおびただしい三連符のかがやきのように、スコールみたいに
大樹冠という鬱蒼たる伽藍のないぶで行じられる
華厳にしずむ誦経の渦の中心をなす涅槃(ネアン)
野に風が吹くまでの夏安居の門外で
はかないくだもののようにうるわしい八月が匂いたつ
クイナが叩いていった清浄な夜のとびらをおしあけて、朝
山河という庭を掃く
われわれは
森に隠れた彫金師の徒弟
ゆがんだ夜明けの蒼穹を騒々しく打ちつけてなめらかにする鋭利な賤民
または八本の脚で伝承と伝承を注意深くつないで、編んで
夏のすずしいくらがりのなかぞらに
にじいろの仕掛け網だけでこさえたサーカス小屋を出現させる
高貴なドレスに身をつつんだ蜘蛛という名の跳躍する奇蹟に魅入られている
ふるまいしるきササガニの昼下り
まがまがしいほど高光る雲の峰
おろかしくて胸が苦しいくらい愉しかった若いころはなんでこう
金銀モールのうらおもてみたいにいまに到ってせわしなく輪廻してくる?
丸太ん棒よりも未練なく倒れ
それは次の棒からその先の棒にさわって倒れ
やがて世界中のぜんぶの棒が倒れつくすまで水しぶきの悲鳴がやまない
永劫という浮動する海に囲まれたもうひとつの水の場所で
片肺のない男が
むかしのタバコに火をつけ
空を見上げる
もうひとりの
ない肺の方の男は、わが帰る路いくすじの
春ならぬ夏草をたどり
つわものの鎖帷子を少しひからせて
アシナガバチや
蜆蝶の舞うハッカの花咲く路を帰る
夏のすずしい、入日きらめくくらがりのはて
横笛のように望遠鏡を措けば
そこもまた海?
少しひかる


《*「tab」2号より(2007・1月)》


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