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言葉の自由について



 もう十五年も前になるか、清水鱗造さんに仲立ちしてもらって、福間健二氏と初めて飲んだということがある。そのとき、当時鱗造さんの主宰する「Booby Trap」誌上に書きはじめていた芭蕉論について、氏に、倉田さんあれじゃあやっぱり判らないよと言われた。自分でも判っていたのかどうか、はなはだ心許ないところだったが、ある手触りのような感覚は強く持っていて、ただそれを言葉に出来ないもどかしさがあった。なんとなく、今ならそれを言えるような気がする。最初に思いついてから二十年近く、言葉にするまでにかかってしまったが、これについて、少し試みてみたい。話の始めは芭蕉書簡のうち、「鳶の評論」という名で伝えられる一文に関してである。
 芭蕉の俳諧的閲歴では比較的初期の天和二年(1682)、芭蕉は美濃蕉門、大垣の谷木因に次のような付け合いを示して感想を請うている。

  蒜[ひる]の籬に鳶をながめて
 鳶のゐる花の賤屋とよみにけり

 連歌連俳の付け合いでは、花に花を付けるというようなことは原則として禁則に属する。花に、違うコトバである桜を付けることでさえ、憚られるのだ。これは同じカテゴリーに属するコトバを、一句を跨いでまた使うのをひどく嫌うことや、前句の面影を付け句で繰り返すことを出来るだけ避けようとする傾向と共通する、連句というものの基本的性格でさえある。それをじゅうぶん知悉しているはずの練達の俳諧師が、鳶に鳶を持ってきて付け合いとするなんてことをどうしてやったのか。
 このアポリアを、木因は頭のいい生徒みたいに解いて見せて先生の前に提出している。こんな風に処理すればいいのではないでしょうかと。

 菜薗集 巻七
  春 誹諧哥
   蒜のまがきに鳶をながめ侍りて
 鳶のゐる花の賤屋の朝もよひ
  まきたつ山の煙見ゆらん

 架空の勅撰集のような仕立てをつくって、鳶は鳶でも詞書の鳶にすれば問題はないのではないか、と師に答えているのである。芭蕉は別の書簡でこの答えを激賞している。私はこれを、詞書といういわば「逃げ道」の発明を褒めたのではないと考える。付け合いというのは本来、一枚の画布に描かれた二つの文様の取り合わせの妙を謂うのではないと思うのだ。ある文様が描かれた一枚の画布に、別のもう一枚の文様入りの画布を突き合わせてみることなのではないか。その時「画布」は消えて見えないが。
 木因の示した解の詞書というのは、じつはこういった異なるディメンションの存在を示唆したもので、そういえばもともとの当の芭蕉考案の付け合いを見てみると、「鳶のゐる花の賤屋と《よみにけり》」と、やはりここでも前句とは違うディメンションが出現していることが知られる。
 連句が面白いのは、このディメンション(画布)を異にする連衆というのが、さまざまに関係し合う取り合わせそれ自体にあるのであって、壮麗な一枚の(平面的な)画の完成のためにひとりひとりが部分を担って協力し合うイメージというよりも、ABと対比され、BCとつづき、CBとAの対照が次々にあらわれる、といった、無時間的な経過という名の非構築的な音楽のイメージに近いものがある。睡眠や食事や明日のことがあるから、三十六句や百韻をもって限りというか区切りとするが、いつ止めてもいいし、どんなにつづいてもかまわないというのが本来なのではないか。
 ことは言葉の自由ということに関わってくるけれど、いろんな画布があるということは、あるものとあるものの対比が有意味的であれば(この取り合わせ自体に無意味なものを感じなければ)、それは鳶と鳶でもいいし青空と灰皿でも何でもいいが、喩えるものと喩えられるものとは本来同等であることに繋がってゆくのではないか。それは不等式ではなく等式で結ばれる関係ではないか。「岩のような味のブドウ」と言ったとき、好悪や世間的な意味で当然不等式は成立するであろうが、岩とブドウはそう言う(そう言われた)とき、われわれのなかで共に生きられているという意味で、等式的に存在しているのである。詩の言葉や智慧の言葉はしばしばこのようにしてわれわれの前に露頭することがある。
 と、いうことは、あるコトバはあるコトバに「対比されている」のであり、厳密に言えば、それはあることをあることで、主従的な関係裡に「喩えている」のではない、ということになる。詩にとってメタファーの占める地位はとんでもなく高い。映画「イル・ポスティーノ」で、郵便夫がパブロ・ネルーダと会話するなかに、詩人が言った言葉「この星空も、風の響きも、海のうねりも、みんなメタファーになるんだ」というのを引き取って、ではそれら夜の星や風や海や恋の囁きから成るこの世界というものそれ自体が、はたして何かのメタファーなのか、と問いかける場面がある。郵便配達夫の問いはじつに本質的なところを衝いているのであって、実体本質論的なものの従属的な影としてメタファーを捉えるから、このときネルーダは答えられずに、「とにかく泳ごう」と言うしかなかったのである。そうではなく、機縁があり、あるものが違う画布である別のあるものと合わさることで、また異なる場面となって展開してゆく、というカレードスコープのような(量的な意味でない)無限の「対比」が存在しうることの異なる表現が、「世界はひとつのメタファーである」という言明なのだ。
 これは何か「世界は幻のごときもの」と言っているのではない。あらゆるものはその〈すべて〉が対比されえ、あらゆる対比はどこかしらで意味を、言い換えればどこかしらでわれわれにとっての切実な実在性を有しているということだ。詩におけるメタファーの地位が高いと書いたが、詩に先立ってメタファーがあるのではないことは肝に銘じておくべきだと思う。現在、詩の世界でメタファーは出尽くしたかと思わせられる。またそう思わせられるほど、この世界にある種の衰弱の兆候が見て取れるように思う。その中にはおそろしく巧緻を極めたメタファーを含むものもあるようだ。けれど、私はこのごろ黄葉した木、とか、冷たい風、とか、それどころか、恋しい、という一語にさえ、これはなんだか至上の喩ではないかと感じることがある。その言葉を前にしただけで、私という画布、そのディメンションの全体がひびきわたるのである。たぶんこのとき、それらの言葉は私の中の知られざる・見えざる何かと深い「対比」を起こしているのだ。
            06/12/01~02
*芭蕉書簡「鳶の評論」についての拙文は、清水鱗造氏のお手を煩わせ、愚HP「γページ」上に公開しています。


《*「tab」2号より(2006・12月)》


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