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さきわいも災厄も  ――堀川正美に捧ぐ8



さきわいも災厄もあの、うつくしい沖の彼方からやって来る
まぼろしの氷山のようにつらなるコンビナート
だがこいびとに逢いにゆくしぐさで舟を駆り
弓やなぐいのごとき勇気にふるえて青い湾をよこざまに渡る
血は中天にあがったか、くびすじをのぼりつめて
ゆうぐれや黎明のひと、うるわしいリベットのつらぬきを
みくしげの白い歯のようにひめるひと
水のみなぎりにひたされた操車場にいなびかりして
圧倒的な積乱雲の幸福が到来する
おおきな砂洲のはしっこで
すこし食べ、すこし出血し
完全な時の円のなかで曼荼羅佛みたいにさみせんを抱く男は
知らないだれかの肩ごしにむらさきいろの空のすさまじさに見とれている
プラットフォームにすいかずらの匂いがからみつき
夏の夜がどこにもないくだものの籠となって
世界を佳き清涼のうちがわに置く
いきもののねむりのそとがわの
転轍機、熱交換機、鉄道工事専用機、みなとにうかぶフォッグランプたちが
わずかずつ浸食してゆく工業の岸へ、
たからを飾り、よりくる船、あさひかがよう海に
つらなりそばだつ島々なれば*
あらゆるさきわいと災厄は沖の彼方からやって来る
おびただしい蛇のうろこのゆたかさで揺れる六月のタブの葉陰からそれを望む
希望と恐怖はおなじ顔をして鹿の骨に罅割れを入れ
青萱で縒った小さな竜を
高速道路の巨大な構造の果てにある極微のかがやきに流すのだ
ぶどう棚のしたで白昼の霧笛を聞く
いちじくの枝がひどく匂って
道の三衢(みつまた)で陶潜みたいに酔っている
競輪場のとおい喚声は
悦びでも
嗟嘆でもない
暗い谷間へ消えてゆくムラサキシジミ
内燃機関がほろぶ日
さみせんを抱き、こゑ苦く
また海を渡る光(かげ)がある



*この行と前行、「横浜市歌」(森林太郎作詞)より。


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