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雨乞い神社縁起



 むかし、あるところに男がいて、どうかしてじぶんはこの
さびしい境涯から抜け出したいものだと考えて、ふらふらと
ヤマからにぎやかな市に下りてきた。何せ持ってきた握り飯
は食ってしまい、泊まるところもなし、市とはいえどだれも
かまっても、めぐんでもくれない。せんかたなく、ひとつの
祠の大きなタブノキの下で夜を明かそうと、膝小僧を抱いて
うつらうつらしていたら、厳つい毛むくじゃらの赤い手がま
ぼろしのように男の耳を引っ張る。恐ろしくて身を縮こまら
せてふるえていたら、引っ張られて大きくなった耳に雀や鼠
や鼬の囁き交わしが人語で聞こえてくる。「チョウフクジ裏
の金売りの娘がいたつきでなあ、あれあ、わんも知っとる青
大将が去年の普請ンとき、五寸釘に片眼貫かれて死ねずにお
るからだて」「洵(まこと)に洵にいたわしきが、われらなんぼう天井
から喚(おら)んでも、ほんに不束な人間じゃけえ」。赤い手が男の
耳からふっと離れると大きな眠りが降りてきて、そして朝に
なる。男は心に深く決めて道端に捨ててあった案山子の白法
被を頭巾に巻いて、金売りの家の門に立ち「いたつき治そう
占おう」と大音声で呼ばわれば、あるじが聞きつけたか家の
内に招じ入れられる。汚れた白法被をこんどは垂(しで)にして打ち
振り打ち振りいっかい気を失って見せてから、青大将のこと
をこれこれのことと語る。鴨居の裏をはがしてみるとはたし
て男の言うとおりだったので、釘をとってやり、金盥の中に
湯を入れて養生させるに、娘の病は本復した。あるじはたい
そう喜んで男に大枚を贈り、あまつさえ男をわがイエの婿に
と望んで晴れて夫婦となった。その間にも、金盥の中で蘇生
した青蛇はよく食べて大きくなり、金盥ではなく鮨桶に、鮨
桶では間に合わず、行水桶や酒槽の中でひしひしと育ってゆ
く。夫婦のほうはと言えば、娘はやがて懐妊し、玉のような
男の子まで産んだ。ある夜父親となった男がひそひそとした
話し声で目が覚めると、片一方は娘の声だがもう片方は人語
に聞こえるが人の住む世界のものではない。さてはと気づい
て幾夜かの後の夜、伸べた床の下手に回りみそかに語る人の
若者の容(かたち)をしたものの裾に糸をつけた縫い針を刺しておき、
朝になってから糸をたどると角や手足の生えかかった青い大
蛇が片眼を針に貫かれて苦しんでいた。あるじの跡を継ぎ長
者の威儀を正す男へ蛇が人語することに、己(おれ)はもうこの家に
は居ることができないが、わが息子だけはお前に預けるので
大切に養い育てよ、と言い置くや角も手足も厳ついまでに生
え揃った竜の姿で、すざまじい勢いで天に帰って行く。男は
男の子と娘のために小さなお宮を家の内に立て、かしずいて
暮らすが、何を思ったのかあるときその母と子を家から追い
遣らった。その年の夏から旱天が続き、以後三年間一滴の雨
も降らない。男は母子を追ったのを悔いて胸を叩き「鴨居直
そう雨降ろう」と大音声で天に呼ばわると、黒雲が湧き、い
なびかりがして竜の脇腹の金鱗がちらりと見える。一滴の大
粒のしずくのあとすざまじい咆吼と密集した怖ろしい水の柱
が降りてきて、チョウフクジを沈め祠を沈めタブノキを梢の
先っぽまで沈め市もヤマもイエも水の底、天地の全部が水の
下に消えてのち、こうしてお話だけが残ったがゆえ、今お前
様がこれを聞いている訳合いだと、そういうことだべさあ。
そうそう追われた母の名は歪子(いがみこ)、子の名は松王丸で、ふたり
ともこのお話の外っ側まで追い遣らわれたおかげで水に沈ま
ずともすんで、近頃は西の方のどこかのやしろにお斎いされ
ているのだとか。あのくたらなむさんぽ。



*柳田国男『妹の力』や同『日本の昔話』などの民話・伝説・神話などを参考・材料にした。


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