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マジック



 内輪だけのささやかなパーティに呼ばれた手品師は、そう、
「罪と罰」でいえばラスコーリニコフではなく、あきらかに
予審判事のポルフィーリーのタイプだ。空間を皮肉でうずめ、
中肉で上目遣い、だが決定的に性格のない男の手の指は璧(たま)で
つくられたように美しい。カードの封を切り、胸の開いたド
レスを着た娘に一枚選ばせる。手品師には見えないように。
そのハートの5の札を彼女に覚えさせてから、カードの束に
戻し、シャッフル。娘に二回切らせて四分の一にしたカード
の山から任意の五枚を選ばせる。掌で交ぜ、四枚を捨てさせ
てから残った一枚を開けてみせる。ハートの5。捨てた札ぜ
んぶを開けて残ったハートの5が贋物でないことを示す。拍
手。誰かが冗談で「オリーブの首飾り」のメロディを口笛で
吹く。手品師はさらに上目遣いでにやりと笑い、少し大きめ
のハンカチを取り出す。黒いボウタイの青年にワイングラス
にワインを満たして持ってくるように頼む。それと同じ容量
の空のワイングラスも。酒の入ったグラスを左手に取り、反
対の手でハンカチをつまみ、ふわりとグラスに被せる。左手
でハンカチ越しにグラスを支え、にやりと笑って右手の指を
ぱちんと鳴らす。それから、見よ、グラスから手を徐々に離
し、白布に覆われたグラスを手品師の胸のあたりの中空に浮
かせて、広げた両手で肩をすくめてみせる。どよめきと拍手。
浮いたグラスに手を戻した手品師は、さっとハンカチを取り
去る。グラスは空で、ワインでわずかに濡れている。もう一
度指を鳴らしてテーブルを指すと、さっきまで空だったワイ
ングラスが葡萄酒で満たされている。沈黙が場を支配する。
空豆ほどもあるピンク・ダイヤの指輪をした老婦人に、いま
さっき飲み干したシェリーグラスを借り受ける。ワイングラ
スの酒をそこにそそいでゆく。ゆっくりと。固唾を呑む周囲
の目の前で、大ぶりのワイングラスの中のワインはすべて、
デミタスカップほどの透明な小グラスにそそぎ尽くされて零
れない。動かない。それから手品師は同じものをマグナムボ
トルに注いであふれさせんばかり。同じものをフロアの端の
プールみたいな水槽に満たして盛大な焔を上げさせる。驚愕
するみんなにむかって唇に指を当ててみせ、大きな天鵞絨の
布で水槽の焔を隠し、天鵞絨を取り除けると水槽がなくなっ
ている。部屋に置いてあるグランドピアノを隠し、けんらん
たる調度を隠し、シャンデリアを隠す。みんなの目の前でみ
んなを隠し、やがて自分とこの世界そのものを隠してしまう。


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