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actor



 ははは、と彼は笑ってテーブルの上の骨付きチキンにかじ
りつく。おれは食べることが好きなんだ。普段のくつろいだ
顔でブラウン管のむこうの彼は言う。いつも見る舞台の世界
で、彼の背は大きいのだか小さいのだかよくわからない。そ
んなことは舞台を見る間は忘れているからだ。いまライトを
浴びて滔々と語っている。神のごとき高みにいる老プロスペ
ロー。「怪獣ハービーの役、みごとであったぞ、エアリエル。
言えと命じておいた台詞も一つとして落とさなかった。端役
の小妖精たちも生き生きと、言いつけを守って、それぞれの
役を立派に演じてくれた」……。彼の指の先で見えない黒雲
が湧き、不穏な風が湿り気を帯びて、客席のみんなは聞こえ
ない雷鳴をたしかに聞いている。公演が終わると、郊外にあ
るテレビ局のスタジオが待っている。白衣を一枚はおるだけ
で、瞬時に彼は優秀で傲岸な医師の姿で、本当にその役にな
るためだけに生まれてきたみたいに、肩をそびやかしてそこ
に立っている。病院の待合室に置かれた午後のテレビで繰り
広げられる愁嘆劇に、待合室の全員の瞋恚が、ドラマの中心
にいるその青年に集中する。まるで、現実みたいに。場面が
替わると、彼は若い父親で、幼い息子や娘といっしょに夕餉
の膳を囲んでいる。さいごに驚いた顔をする彼の顔の下に、
新商品の調味料の名と会社のロゴマークがながれて、十五秒
ほどのCMの完了だ。収録が終わると深夜になっている。彼
は車の運転はしない。さし回しの車の後部シートに沈んで眺
める、次々にけし飛んでゆく無慈悲なまでに華麗な街の灯は
彼の人生みたいだ。家に着くと妻が寝ないで待っている。二
つ三つ、実に愚劣な冗談で、毎度のことながら伴侶であるひ
とをうんざりさせ、歌をうたいながらバスタブにつかり、ダ
イニングに坐ってははは、と笑う。おれは食べるのが好きな
んだ、と言ってラムチョップを手づかみにする彼、それから
絹のパジャマを着て糸の切れた操り人形みたいにことんと眠
りにつく、という彼は、実はそんな小屋掛け芝居のはるかな
空騒ぎの中にいるのだが、その彼とは、ほんとうはこの世界
のどこにもいない、太古からの想像上の生き物である。プロ
スペローに命じられ、怪獣ハービーを演じる空気の妖精(エアリアル)のよ
うな。






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