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悲哀のすずのね ――堀川正美に捧ぐ9



夏、ひとは青い深淵を戴きながら公園をゆきかう
樹木、白壁、鉄塔、とおくまでつづくガードレールのいろいろを
虚空の貼り交ぜみたいにちりばめて
らでん色の午後はゆっくりとかたむく
水滴を散らしたようにきらめく繁みの陰で
神に遣わされた以外の妖精(フェアリー)が、子どもにだけ、あるいは
子どもに還った者にだけ、ことばのない、ねむることが不可能な、
めやみみのない、弁膜のひとつない、それら
「絶対者」にだけ、
きれいな悲哀のようにきこえるすずのねで挨拶を送る
坂道をのぼってゆくコロラトゥーラ
みずからを狩るために
朝露の森を踏み分けるやかましい鳥刺しの歌
甘いにおいのする夜の女王の座
夏はこんなにも音(ね)にみちている、みちている
かんぺきな静謐をたたえて撓う、あんなにも
青くするどい深淵のしたに
決壊のまえのよろこびの歌がやかましい、やかましい
丘のむこうの見えない海のいろをますます濃くする白い光
たけなわの八月の、おそろしい、白い光
おそるべき乳房、君等は、白刃の光の夏に住む*
見てはいけない内部として、極彩(ごくさい)極微の、弥勒や普賢や大日の粒をうかべる
青の虚空として、ゆきとどまろう旅のはずもないのに
坂下の公園では、吹きつける風のなか
きらびやかな鎧をまとったような、重金属のセミの声がゆれ
それよりもさらにたかいオクターブの
おさない叫びでひかりこもらふ市営プールへ
突如ひびきわたる休止のホイッスル、そのとき

国道は海にいたるまで水を打ったようにしずまりかえり
町のすべてはうごかなくなって
白い国道のカーヴがとりはずされ
かがやく丘がかたづけられ、森ははこび出され
とうに、ワルツはおわっていて、書割の破(わ)れ目からのぞいていた
広くむなしい青空だけとなった世界のひとみに
美しい白髪(はくはつ)の秋がふる、秋がふる



*おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼


(初出「tab」6号 2007・9・15 )

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