[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]



ねがってはいけない夢 ――堀川正美に捧ぐ10



おおきな風船がいくつもいくつも揚がる
休日はそれじたい外部をもたない孤独な風船だ
おんがくは鳴るか、ハイ・ヌーンを知らせる十月のかねのねの内部で
祭りの地に降りることをゆるされない、青をただよう
ダイヤモンド・ダストみたいにきらめいている針の鳥たち
地上では
自転車乗りを練習する幼い息子と若い父が、かぎりなくちいさく
絶対のさびしさのなかで夕ぐれまで遊ぶ、そのぎんいろの水飲み場への距離(ディスタンス)
公園をかこむ樹木はふしくれだち、青空へたかく、ほとんど不壊の相貌で
おそろしい柵、その外側には脱出できない、われわれは鳥のように
辺際(へんざい)をつくし、ただいっさいの内部を飛ぶだけだ
断頭台の刃のように秋の日はとつぜんやって来て、想い出となったきのうが
にぶいろのくさむらに金の声をれうれうとこぼす
雨の午後の階段から傘がつぎつぎにひらく彩りを見下ろして
白いスカーフをしている、さっきまで雨だったから
なつかしい女に声をかける
メガフォンを手にしたイタリアの監督みたいに
雨という名のかがやきや炸裂は夏の島とともに去ったんだ
ならば
鯨に象の墓場のような他界へのいりぐちはあるのだろうか
わだつみのいろこの国へゆく
いま五十年前に必死に叩きつづけられたモールス信号がかすかに届きはじめている
碧の躯にとうめいな羽をふるわせてうたうカナカナのかなしみのように
いま鮮烈なにじ色の雲塊の下に入ってゆく木造船
いま、亡滅が気づかれはじめるなにものか
ゆたかな流れにナイフのような影が走る
家を出てすぐ
小魚や水草のおののきを見ることは、きっと
かなうことをねがってはいけない夢なんだ*
階段を下りると町はいっとき
パン工房のように匂う
善きもの
子どもらを
マトリクス回路のみちばたへ焚き木のように棄て児して
夜、ぞんぶんに光って


*木村和史『沖縄へ』(「CASCO」no.6)より。


(初出「tab」7号 2007・11・15 )

[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]