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曼荼羅



 青い怖ろしい高山のような空に投げ出されて目睫に見る。
悲しみの児である私など居るのか。涌き上がる崇高な雲に乗
り、まず右手に水瓶を持った文殊菩薩が座したまま踊る。そ
の左右には、活仏ターラナータの前世転生者たる、チェンボ
尊者が座したまま踊る。チューベードルジェ尊者が座したま
ま踊る。タルマワンチェク尊者が、ロンソム尊者が、ウーセ
ルペル尊者が、サンギェーレーチェン尊者が座したまま、白
雲に乗り、各々の雪山に向き、それぞれの印を結んで踊る。
その下に、六臂を戦がせる大随求菩薩が座したまま踊る。踊
りはさらに四つに展開し、グラハマートリカー尊者の踊りと
六臂のヴァスダーラー尊者の踊り、そこから雪山の中心に分
け入って鎮座する仏頂尊勝母の白い六臂のたおやかな踊り、
また世界の最深のところで盛りつづける、蒼い膚の四面マハ
ーカーラ仏の恐怖のダンスが座したまま行われる。これら金
剛のカット、六体の尊貴の光点から回転しつつ涌出するのは、
四つの大曼荼羅である。すなわち、ヴァスダーラー曼荼羅、
仏頂尊勝曼荼羅、グラハマートリカー曼荼羅、パンチャラク
シャー曼荼羅これである。四つはすべて左向きに回転し、上
下左右、厳密な相似の反復と残酷なまでの合同によって、親
子であり、きょうだいであり、親族であり、新しい親族たる
べき恋人であるような似通いを見せるが、一つとして同じも
のはない。パンチャラクシャー曼荼羅とヴァスダーラー曼荼
羅は中心に白い三角形の紋章を有するが、それと酷似する仏
頂尊勝曼荼羅ならびにグラハマートリカー曼荼羅の中心にあ
るのは、散開したり収斂したりする花びらからなる、円い紋
章である。たとえばヴァスダーラー曼荼羅をつぶさに見ると、
回転する外周は炎と白雲と蓮弁の組み合わさった堅固な空に
外護されていて、内面の樹木や仏塔また白雲に満たされた、
中心の「都市の城壁」まで連続する庭園を被っている。微妙
に同じというべきか、微妙に違うというべきか。あとの三つ
の大曼荼羅も「都市の城壁」は鋭利なフラクタルの反復によ
って堅牢でありかつ泡のような物象でもあり、葉や、花びら
や、武具のひとつひとつが執拗なまでに内包する仏や異様に
深い空、さらにその下位の同形の、葉や花びらや武具が内包
する仏や蒼穹や、さらにその下位の下位のいっさいにきらめ
く宝飾のようにまとわりつく意味という空無ひとつひとつが
万華鏡の瞬間みたいに信じがたく輝いて、その時のすべて
を忘れろと私たち悲しみの児に囁きかける。その時のすべて
を忘れろ、と。


*平成十七年四月の大倉集古館における曼荼羅展図録『曼荼羅の世界』による。


(初出「コールサック」59号 2007・12月 )

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