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とやまの霞 ――私の小倉百首から


 内のおほいまうち君の家にて人々酒たうべて歌よみ侍りけるに、
 はるかに山桜を望(のぞむ)といふ心をよめる。
高砂の尾上の桜さきにけりとやまの霞たゝずもあらなん  大江匡房

 ここらあたりのはずだったが、と彼は言った。南にむかっ
てカーブする青い湾が小さい宝石のようなきらめきを眼下に
湛えている。鳥の声もしない午後。さがしていたのは山桜の
木だ。もう大木になっているだろうな、とむかしからの友人
である彼に言う。あのころはみな若く、おろかしく、男も女
も上気するほどうつくしかった。夜ごと夜ごとの街での乱痴
気騒ぎに倦んで、ある春の日、にぎりめしにゆで卵、一升瓶
を提げ、電車に乗って海沿いのこの古都にやって来た。なぜ
だかやみくもに町の背後につづく丘にのぼりはじめ、山桜の
木の下で昼の宴をはじめた。満開の花びらは枝々に稠密な星
座のようにみちて、青空の下でまったくうごかない。私たち
はおそろしいものでも見るように、だが陶然として紙コップ
をかたむけつづけた。するとやおら登山ナイフをとりだす者
がいる。なにを思ったかそれで山桜の幹をけずり、児島高徳
の天勾践ではないが、やはりなんで持っていたのかマジック
インキをとりだして田村隆一の一行をそこに書きつけた。言
葉なんかおぼえるんじゃなかった。あの時からさらに私たち
は言葉とそれにまつわるものをおぼえたし、おぼえさせられ
たし、痛感し、いっそう深いところで思い知らされもした。
そんな稚い感慨をさがすなどまるで空しいことではないか、
と考えだしたころ、あった、という彼の声がする。歳月とい
う名の風雨によく消滅しなかったものだ。それを書いた仲間
のひさしぶりに目にする書きぐせのなつかしさに、すこし胸
が痛んだ。言葉なんかおぼえるんじゃなかった。だが私たち
は老いて疲れた。あの瞬間のかがやかしい地上に立つ、とい
う奇跡がほんのすこししかゆるされなかった天勾践や私たち
わかものの、朝日のように日ごとに更新される新鮮な痛みを
忘れた。友人と私は山桜の木の下でむかしのようにあぐらを
かき、デイパックから日本酒をとりだす。酒をひとくち飲み
くだすたび、沈黙が、うなじのほうから血汐のようにのぼっ
てくる。海と反対の方角にこうべをめぐらせば、青空に泛ん
で、私たちのはるかな外山に咲きにおう、山桜の白のむれが
わずかに覗いている。高砂の尾上の他界がくっきりと。 

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