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いつ見きとてか――私の小倉百首から


  題不知
みかのはらわきてながるゝ泉河いつ見きとてかこひしかるらむ  藤原兼輔

 ワン・ツーよっ。カウンターに突っ伏していたノンブルド
ゥのママが鎌首をもたげて叫んだ。またいつものやつの始ま
りだ。ノンケや女の客が御苑のほうへ行くように、あっちの
人間が神社のほうに飲みに来るのは、すこしかんがえてみれ
ば当たり前のことだ。ノンブルドゥの店の子のヒサシが俺に
ひそかに心を寄せていることは、ひそかなことのはずなのだ
がどうしたわけか飲み屋街の誰もの周知するところで、いつ
もの店にかかってきた電話を、これは心も身体的にももちろ
ん女性であるカウンター内のママが心得顔にこっちに取り次
いで相手の名前を言わないというだけで、逆にヒサシである
とかんたんに俺には知れてしまう。彼だか彼女だかが俺にも
じもじと言ってきたのは、こんどどこかでお食事でもしませ
んかということで、俺はノンケではあるけれど差別主義者で
はなかったから、いいけど何を食うかいと聞いたらむこうは
かえって黙ってしまった。いつまでも黙っているので心も身
体的にも女性である店のママに受話器を渡したら、おやぶん
であるノンブルドゥの、身体的には男性である店のママがい
ま俺が飲んでいるこの店の席を確保するためのいつもの予約
電話という、本来の目的に戻っていったようだ。というわけ
で、御苑のほうに店がある、心だけが女性であるママの深夜
の咆哮という現在につながっているのだ。ヒサシが俺のこと
をどこで見ていたのかわからない。正確に言うと、俺はヒサ
シの顔をはっきりとは知らない。御苑のほうでか、神社のほ
うでか。あっちでか、こっちでか。以前にいつもの神社脇の
店が早くはねたので、みんなして御苑のノンブルドゥにおし
かけたことがある。豪華なフラワー・アレンジメントや手を
かけたおふくろの味というやつはあんまり得意ではなかった
が、心が女性のほうのママが当然しらふなのは、けれど意外
な感じがした。なんだか月のようにたおやかなのだ。店の子
は二、三人いたが、従順で清楚な侍女のおもむきで、それは
こちらが酔っていたせいかもしれない。貸し切り状態の店で
はやがてカラオケのマイクが回され、つぎつぎと歌はうたわ
れた。客の中にハンチングをかぶったむすめがいて、店の子
とデュエットしたが、彼女である彼が、それを借りてひょい
とじぶんの頭に置き、ひとりで踊りながらシャンソンをうた
った。それを見ながら、ふと御苑の森が迫るような気がした。
店のシャンデリアのはるか上空に月が皎々と照っているのが
はっきりと判り、それを受けて倒木や菌類が匂った。あれは、
彼でもある彼女がつけた香水に似たものか。俺の中のむかし
の妖精が「次、行くよ」と、御苑と神社と、そのまたむこう
にも拡がりはじめている深い森に俺をいざなった。あれがヒ
サシだったのか。



(「現代詩図鑑」2008秋号より)

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