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からくれなゐに ――私の小倉百首から



  二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢ
  ながれたるかたをかけりけるを題にてよめる
ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くゝるとは  在原業平

 もう治らない病気になったので急いで病院をさがさなくて
はならない。妻といっしょにあちこちをさまよっていると、
誰かがそこがいいと教えてくれたので小さな医院にかかった。
中には白衣をはおってメガネをかけた女医がいて、私は治療
のためにあれこれいろんなことをしなくてはならない。ひと
つやればまたひとつと殖え、治療のための行為はだんだん咒
いめいてきて、忘れてしまうことも多くなり、妻はなんであ
んな女医の言うことなんかまじめに聞くのかとしだいに不機
嫌になってゆく。じじつ、治療の本義を離れてうわのそらで
いろいろやることは楽しいのだ。その治療のひとつに絵を描
くというのがある。足もとで小さな子どもが騒いでいて、絵
の具やペンキを入れた大小の缶を私のところに運んできてく
れる。いつのまにか共同で絵を描くことになっている先輩の
オクムラの、親戚の子かも知れない。オクムラは熊のように
大きくて、熊の毛皮のようなぶあついセーターを着ている。
気がつくと私もよそ行きのカシミヤのセーターを着て、大き
な、夜のようなカンバスにむかうのだが、この大切なセータ
ーが汚れやしないかとすこし心配している。子どもたちは相
変わらず騒いでいて、私の心配を見透かしたのかひときわふ
ざけて私の片耳をまともに平手打ちにする。怒りはなく、私
は厳粛な気分になって、そういうことはここではするものじ
ゃないと、相手を見据えて言うと子どもはよい子のように神
妙にうなずいていたりする。オクムラに促されて、私は筆に
絵の具をたっぷりと含ませ、夜の大きなカンバスに勢いよく
ひとはけを走らす。するとどうだ、虹色にかがやく曼荼羅の
ような円形が出現する。もうひとはけ。紫色の暗い色調のな
かに鮮やかな黄緑の光がほとばしり出るではないか。また別
の空白に、筆に角度をつけて半回転させると、屏風絵に描か
れた鳳凰の羽の連なりのようなきわめて複雑華麗な文様がい
ちどきに浮き出る。やがてカンバスは大小の極彩をひめた暗
色の円にだんだんと満ちてゆくが、ふと見れば私のセーター
に絵の具の飛び散りが点々とある。これでは妻に申し訳が立
たない。そう思っていると、いっこうに気にかけないオクム
ラがほらと言って絵の具を含ませた絵筆を私に持たせる。ま
た円形にそってカンバスにひとはけ塗ると、驚くほど明るい
緑と白色で円形がぐるりとかたどられる。その白色は水気に
うるおっていて、私のセーターにもかかるが、すると、見よ、
白いセーターはわずかに雀の羽ていどの柄を残し、洗浄され
たように新しいではないか。ひとはけひとはけ夜のカンバス
に明るく塗りかさねられ、いつのまにか三つとなった円形は
阿弥陀三尊のようにまばゆく白い光を暗い空に放出しつづけ
る。私はじぶんが絵を描ける人間だとは、あやしいばかりに
信じていなかったのだ。



(「南へ。」5号より)

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