[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]



衛士の焼く火 ――私の小倉百首から



  題しらず
みかきもり衛士の焼く火の夜はもえ昼は消つゝ物をこそおもへ  大中臣能宣

 旧道の商店街を抜けるバス通りをまがると、いきなり視界
がひらけてくる。気がつくと、いままで通ってきた道はほん
らい丘を下るもののようだ。ワゴン車の後部座席から外をう
かがうと、あとは海まで見渡すかぎり何もない、ススキや葭
が折れ乱れて生えているだけの、しろく光る泥濘の地がひら
たくひろがる。これがきょうの私の現場だという。スライド
式の横ドアが開き、制限人数より一人多くつめこまれた窮屈
さから解放されると、そこから一人ずつ、数キロおきに現場
にアルバイトが落とされてゆく。ヘルメットはつねに着用、
坑内でたばこは吸うな、ひるめしは近くにいくつか喫茶店が
あって定食が食えるから、適当にやれ、夕方になったら迎え
に来るで、言われた数こなしとけ。社長の運転するワゴン車
がやけに大きなエンジン音とうすい排気煙をあげて道の彼方
に消え、ひとりになると、あたりを見まわしてから一服つけ
た。これが、星崎の闇を見よとて啼千鳥、の鳴海潟かと思う。
だが啼いているのは白昼の鴉ばかりだ。神経をやられる病気
になって親戚のところに厄介になり、いまは病院にかよいな
がらこの仕事をつづけている。もともと肉体労働のようなこ
とをやってはいたが、病院を退院してから就いたこの土地の
仕事の、言葉と仕事の進め方はまえとはずいぶん勝手が違っ
て、とまどうことや失敗も多かった。まえには速かった判断
も、退院したばかりのせいかとどこおりがちで、侮るような
視線に出会うこともしばしばだ。あとから入ってきた若い、
というよりまだ子どもみたいな、ばら色の柔らかい頬と女に
見立てたいようなうるんだ瞳の少年は、入ってすぐ、主任か
ら名前ではなくアメリカ的な愛称で呼ばれるようになったが、
誰も見ていないところで私にしめす仕種やまなざしは、ぞっ
とするほどの冷酷さをひめていた。だけどこんなことを言っ
ても誰も信じない。仕事はひとりのほうがいい。ヘルメット
をかぶり防水軍手をはめて、何キロも延びているはずの地下
の現場に降りる。それから壁面いちめんに散開する小さな円
形のディンプルに防水セメントを圧迫しながらつめてゆく。
一日にこなすその数は三桁では足りない。防水セメントはい
ちどきに多くの分量はつくれない。少しほっておくとたちま
ち堅く乾燥してしまうからだ。けれどこの作業はきらいじゃ
ない。ひとりでやるときのほうが捗がゆく。腕時計を見て、
地上にあがる。工事現場は冬の荒涼たる風に吹かれているが、
ひるどきは、肉や野菜を炒める油の匂いがとおくから流れて
きて、ちょっとは人間らしい心持ちになる。定食はコーヒー
付きなので、時間までは赤いソファと白いテーブルのある席
にしがみついてぎりぎりまで休む。何もやることがなく、か
んがえることばかり多く、たばこを灰にするばかりであって
も。また長い午後を何も思うことをせず、冥界で闘いつづけ
るヘラクレスのようにライオン、多頭の水蛇ヒュドラ、地獄
の番犬ケルベロスのまぼろしの群れみたいなものをつぎつぎ
に打ち据え打ち据え、ふと時計を見やれば、定刻になったの
で地上にあがる。ヘルメットを取り、のびをして、またたば
こに火をつける。私に何を見よというのか、鴉が群れをなし、
金色の中空のただなかを叫喚しつつ漂っている。ともあれ、
一日は終えたのだ。私と同じく明日のことを思わない、迎え
を待って彫像さながらに夕日を浴びた、ヘルメットをかかえ
る鉛の兵士たちの一人ずつをいま、オランダ人の乗る幽霊船
みたいな社長の車がひろっているだろう。この星崎にひたひ
たと満ちてくる、深くて大きい闇のはやさと競いあうように。
鴉の叫びに追い立てられながら。

*「星崎の闇を見よとて啼(なく)千鳥」は、「鳴海にとまりて」と詞書のある芭蕉の句(貞享四年)。



(「COAL SACK」61号より)

[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]