[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]



白妙の――私の小倉百首から



  だいしらず
田子の浦にうち出てみれば白妙のふじのたかねに雪はふりつゝ  山部赤人

 妙なる音楽で目がさめる。四方を白いうすぎぬのようなカ
ーテンで囲ってあるので、一瞬は雲のうえに浮いているよう
な気分になるけれど、すぐ落下防止の柵に手が当たってここ
がベッドのうえに過ぎないことを知らされる。しばらくする
と担当ナースが体温と血圧、血中酸素濃度を測りにやって来
る。ときに採血の場合もあるが、ローテーションの具合でい
ろいろに替わるナースにより血の採り方のうまい下手があっ
て、下手なほうに当たると一日がやりきれない気持ちになる。
食事はおおむねデイルームでとる。西の窓に富士。緑茶のサ
ーバーもあるここは、まいにちシーツは取り替えるが猛烈な
抜け毛にまみれた寝台よりは居心地がいい。食事を終えて時
間が来ると、本館のリニアック室に行くための搬送車を呼ぶ。
治療室で上半身裸になり、見えも感じられもしない鋭利な光
線に三分間ほど貫かれる。部屋に戻ると医師の診察。現状は
維持されているのでよしとする。むしろ治療を施すことによ
って増悪の可能性も考えよ。この医者は率直。備え付けのテ
レビは見ない。大学ノートを広げ、朝の測定の数値と採血し
たナースの悪口を書いていると、見舞客。階下の食堂で長い
午後を過ごす。晴れた午後、友人が帰る。このあと散歩に出
ることはできるけれど、思い立って海を見にゆく日常はほと
んど背理に似た許されがたさを意味している。深い肉体的な
倦怠感に全身みまわれたので、午睡。夕食まで、何もするこ
とがない。「何物をも待たず、何物をも避けず」(マルクス=
アウレリウス)。デイルームで知り合った老人たちとおしゃ
べりをする。老人の別のグループはテレビのリモコンを操作
して、何とか競艇中継を見ようと躍起である。西の窓に執拗
に富士。真白き高嶺。やがてたてものの全体に食べ物のにお
いがして、専用のエレベーターの扉が大きな音をさせて夕食
が上ってくる。世の終わりまで変わらない味とにおい。デイ
ルームでおしゃべりのつづきをしていると、就寝時間は意外
に早くやって来る。人生と同じように。闇の中の富士。忘却
の白。そして妙なる音楽で目がさめる。また一日は始まるの
だ。西の窓に痛い白妙の山をはりつけて。



(「COAL SACK」62号より) >

[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]