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Moonshine 13


 伊勢白山道が、伊勢にある山田や宇治という地名について霊視と考察を加えているが、これがなかなか面白い。
 現在、伊勢外宮の前にある街を「山田」といい、内宮周辺を「宇治」というが、彼が土地の老人に聞いたところでは、あのあたりでは古来、伊勢のことを「山田」と呼び、「伊勢に行く」とは言わずに「山田に行く」と言ったものだという。
 彼の霊視によれば、白山から神の寄り代として運ばれてきた石柱が外宮の土中には埋められている。古代、人々は外宮の前にしか居住しておらず、内宮のあたりは森だった。外宮前の山田地区には、もし発掘すれば、縄文遺跡や竪穴式住居跡が出るはずだ、と彼はいう。
 なんといっても面白いのが、「山田」という地名についての彼の霊視である。「やまだ」を遡ると、「やーまだ」となり、さらに「やーまた」、「やーまたい」、「やまたい」となるという。伊勢白山道は以前から、邪馬台国の場所を、奈良三輪山付近を首都とする、伊勢から熊野全域にかけて広がるあたりと霊視してきているが、その邪馬台国の名が変転をかさねて「山田」となって、今に伝わっているというのだ。
 かつての邪馬台国の住人たちの在所が「山田」と呼ばれるようになったわけだが、それに対して「宇治」は、のちの時代に新たに入ってきた特権階級の氏族の在所なのだと彼はいう。このふたつの地域は川をはさんで長く対立しあい、これはそのまま、国津神と天津神の対立を現象界に転写したものであったという。
 この早春、私も伊勢に行き、外宮・内宮ともに何度か参拝をしてきたので、彼がいう「対立」なるものに、いくらか興味を惹かれる。真っ暗な内宮の森へと、早朝の五時頃に入っていったこともあったが、その際、時ならぬ雪に会い、それはやがて吹雪と大雪に変わって、予想もしなかった異様な雰囲気を体験をしたものだった。伊勢を離れる時にも、天頂で、嵐の暗雲と晴朗な快晴という相異なる天候がはっきりとぶつかりあう様に見舞われ、これがそのまま国津神と天津神の「対立」に関係するものとまではいえないにしろ、まるで天で龍が騒いででもいるかのような、いかにも尋常でない雰囲気に強い印象を受けた。
関連があるのかないのか、これには後日談がある。東京に帰ってしばらくしてからのこと、ある日の午後、歩いている私のすぐ近く、目の前の上空に、三つ巴の龍が輪になっているような紫の雲がふわーっと鮮やかに生じ、しばらく空に留まったかと思うと、またすぐに消えていってしまった。不思議な雲だと思いながら立ち止まって見ていたのだが、見ているうちに、これは本当に不思議な雲なのだと思い直し、携帯電話を出して数枚写真を撮った。カメラとしてはあまり性能がよくない上、すでに雲のかたちが崩れ出してからなので、満足のいく写真は撮れなかったが、それでも尋常ではない雲の姿はなんとか撮影できた。
あれはいったいなんだったのか、と今も思うが、それにもまして、伊勢白山道のいう山田=邪馬台国説が楽しくも気になる。日本の方々にある「山田」という名の場所が、どれもかつての邪馬台国人の集落であったとしたら… そんな想像をしてみると楽しみは尽きない。古代史ばかりに興味を持ち、貝塚掘りや土器探しに放課後の時間を費やし、考古学に進むことを決めていた中学生時代の自分に、心はすっかり戻ってしまう。

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