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Moonshine 15


―草薙剛酩酊事件と大企業とマスコミと鳩山邦夫―




 SMAPメンバー草薙剛の酩酊事件で面白かったのは、翌日になるや、掌を返したように多くのマスコミが好意的な口調に転じた様が見られたことだった。現代社会ではマスコミに集結する人間たちが世論そのものを認じ、オピニオンリーダーを装い、社会の良心や良識の代弁者を気取り――とやりたい放題なわけだが、ちっちゃな出来事ながら、マスコミの正体をみごと露わにしてくれた事件ではあった。
 消費者への対面を最重要視する大企業は、今回、広告中止をすぐに打ち出して社会良識の擁護者たることを示そうとしたが、視聴者へのウケと大企業からの広告収入とを命とする民放テレビ・ラジオも、草?剛のイメージを早急に削除する姿勢を打ち出すことで、良識ある市民の側に立つ身振りをとった。
 しかし、草薙剛に対する消費者や視聴者たちの感情は、大企業やマスコミが想定した以上に好意的なものであり、今回の行為における草薙の非は認めつつも、ふだん真面目で誠実な部分の目立つこのアイドルに似合わぬ稀な失敗として、反省に立った上での再起を求める雰囲気が強かった。数字にすぐには現れないはずのこの雰囲気を即座に読みとったのは、さすがにマスコミといえる。すぐに方向転換し、草?剛クンの大ポケ、失敗の巻といった方向に口調の舵を切った。もっとも、この素早い舵の切り方そのものが、マスコミのおぞましい風見鶏体質を露骨に示すものだったわけで、見事なまでに商売優先の、社会的良識などとは縁もゆかりもないその本性をあられもなく晒すことになったといえる。
 馬鹿を見たのは、世論に乗ったつもりで、ここぞとばかり悪しざまに草?剛を罵った鳩山邦夫総務相だろう。地上デジタル放送化を推進し、関連会社等々とともに暴利を貪ろうという連中の親玉のひとりだから、イメージキャラクターたる草?剛の失態について、「事実とすれば、めちゃくちゃな怒りを感じる。国民に(テレビの買い替えなどで)負担をかけるアナログ放送停波のキャラクターなのに恥ずかしい。最低の人間としか思えない」と言いたくなるのも、立場上、当然といえば当然だろうが、自分が草薙剛ほどに人気もなければ愛されてもいないのを認識できていない愚かさは、こういう場合、やはり裏目に出てしまう。鳩山事務所には抗議が殺到したそうで、鳩山を「ブタ」「デブ」などと呼ぶ、きわめて率直で写実主義的な反応も多かったらしい。「私は猫を猫と呼び、ペテン師をペテン師と呼ぶ」と風刺詩に書いたボワローの精神、いまだ健在というところか。ドーミエだのクールベだのが見たら、さぞかし喜ぶ図でもあろう。
 事務所への抗議がよほど効いたのか、翌日のあっけらかんとした鳩山邦夫の豹変ぶりはお見事で、これこそ最も面白い見物だったのだが、ひさしぶりに「呆れかえる」という身振りを大げさに装って楽しんでみたくなったほどだった。昨日あれほど悪しざまに罵ったのをあっさり前言撤回し、草?剛のこれまでの働きや才能を評価する発言をしたのだ。草?剛について、自分の立場もわきまえずに無責任なことをしたと非難していた鳩山邦夫だが、翌日になって撤回せざるをえないような発言を軽々に行うがごとき無責任行為をしてよい立場なのかどうか、その程度のことさえこの男には、あまりよくはわからないのであるらしい。大臣ともあろうものが…とは、しかし、私はここで言い及ぶつもりはない。昔から、大臣たるものには、ルドルフ・ヘスとかゲーリングとか、ジョゼフ・フーシェとか、まぁ錚々たる連中がなるならわしなのであって、それにはそれなりの人類的伝統というものがあるのであろうから、それを無視してまで道学先生ふうの批判をしたいとは思わない。ここにもまた、票だけに汲々となっている哀れな生物がいたと認識しておけばいいわけで、人間喜劇というよりは畜生喜劇とでも呼び下しておいたほうがいいような有様が展開されたというべきなのだろう。
 逮捕した上、あらずもがなの家宅捜索まで行った警察への抗議電話やFAXなどの量も凄まじかったそうで、国家公安委員長が「逮捕はケース・バイ・ケース」だとのコメントを発表をしなければならないほどだったという。このあたり、今後の時代において、国家を根源的に揺り動かす方法論として、しっかりとブラッシュアップしていくべきポイントというべきだろう。

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