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Moonshine 5


シャトーブリアンvsトクヴィル


 シャトーブリアンから甥のトクヴィルに至って失われたものは小さくないのだが、そろそろその点について見直さねばならない時代になった。
 ともに政治・社会についての思想家であり、政治家でもあり、言うまでもなく浩瀚な著作を残した文筆家でもあったシャトーブリアンとトクヴィルにあっては、新自由主義下での後者への関心が際立っていた。サッチャー主義やレーガノミクス、その背後にあったフリードマン流の経済政策から端を発し、近くは、現代でも稀にみる最悪の政治期間を演出したブッシュ政権、それを露骨に支えた小泉・竹中改革路線や、レバレッジ型金融経済まで続いてきた一連の不条理かつ狂気のグローバルエコノミー(という名のアメリカ流集金術)の潮流は、皮肉にも金融危機によってようやく歯止めをかけられる状態となり、昨今ようやく、世界中の政財界の主流がそこから身を引き離し始めたことから、論壇でもようやく大きな批判対象とされうるようになった(もちろん、思想や批評の世界では、とうの昔から本質的な批判が行われてきている)。こうした潮流を思想的に支えた、というより支えさせられたところがあるトクヴィルについても、新自由主義的思考に援用されやすい部分については、どうやら批判的に見直されねばならなくなってきたように思う。

   もちろん、トクヴィルが、アメリカ合衆国という史上初の人工国家を分析して提示したアメリカについての基本概念は秀逸であり、いまでもアメリカについて考える際の基礎になり得るものには違いない。本来なら相矛盾するふたつの要素である「宗教の精神」と「自由の精神」とがこの国家を動かす運動極であると喝破したのは大きな業績であるし、そこに発生する「境遇の自由」を称揚したのは、十九世紀半ば以降の世界の社会変革の方向を決定づけた人類的意思を代表するものといえる。
 なぜアメリカがあのようにつねに戦争に向かうのか、他国への干渉を続け、アメリカ流の自由や社会・経済システムの輸出にこだわり続けるのか、それを考え続けていた頃、ようするにアメリカは永久革命国家であり、トロツキー主義的な世界革命を運動軸としている国家なのだと、自分なりに結論したことがある。トクヴィルをまだ読んでいなかった頃だ。米ソの対立構造の中ではそういうことはなかなか見えづらく、人に話してもあまり納得してはもらえなかった。しかしソヴィエトが崩壊してみると、アメリカもまた共産主義国家的といえる運動性をみずからの内部に持ってことが、誰の目にもはっきり見えるようになった。歴史の暴力的な切断行為から発生し、自己を支える原理がよその国々とは共有されていないアメリカの場合、自分の国家原理を外へ植えつけ続けることによってのみ、国家的存続の可能性を確保できるというところがある。また、当初から宗教的狂信・暴力・対立・戦争・ネイティヴ・アメリカン殺戮によって国を立ち上げたという事実は、その後のこの国の歴史過程においても、なんらかの衝突と征服を発生させずには国家の外郭や姿勢を保ちづらいと感じさせるような心性を、アメリカ国民に植え付けたようだ。ソヴィエト以上に根源的な人工的戦争国家として出現したアメリカの、こうした原理的な部分をはっきりと見てとっていた人々はいないかと探して、ようやくトクヴィルに出会った時には非常に嬉しかった。
 爾来、トクヴィルは個人的な思索の際の支柱のひとつとなった。とはいえ、冷静にして奥行きのある思考を展開していると見えるトクヴィルにも、このような箇所がある。
「これらの民族(筆者注。ネイティヴ・アメリカンの諸族のこと)の滅亡はヨーロッパ人が海岸に上陸したその日に始まった。(…)摂理によって新世界の恵みの中におかれながら、彼らは短期の用益権しか神から授からなかったようである。彼らはそこでただ待っていただけなのだ。交易と産業のためにこれほどうってつけの海岸、深い河川、ミシシッピの無尽蔵の流域。要するにこの大陸全体が、一つの偉大な国民を育てる空(から)の揺り籠のようであった」(『アメリカのデモクラシー』、松本礼二訳、岩波文庫)
 トクヴィルは現在、次代の政治論の練り上げの参考として政治学学徒たちによって読まれることが多い。そういう読書においては、ともすれば、ここに挙げたような部分は看過されやすい個所といえるだろう。彼自身の責任とするのは酷であるし不公平でもあろうが、トクヴィルのまなざしには実はひどく偏った部分があり、十九世紀の欧米中心主義と植民地主義の展開を基本的に底支えする感性に領されているところがあるといえる。新自由主義に対して一定の批判がしやすくなった二〇〇八年末の現在時点から見れば、ブッシュ政権の不条理な政策を支えた学説や政治手法を擁護するのに、いかにも相性のいいところがあると見えもするだろう。

 トクヴィルの叔父にあたるシャトーブリアンの思索には、このような箇所がない。彼の兄嫁の父であるラモワニョン・ド・マレゼルブ、ルイ十五世治下の出版監督長官でありながら百科全書派の著作などに出版許可を出して表現・出版の自由を実質的に擁護し、内務大臣、法務大臣も歴任したこの人物の親書を懐にして、青年時代のシャトーブリアンは、ジョージ・ワシントンに会うべくアメリカに渡ったことがあるが、そこでネイティヴ・インディアンの問題や運命に触れたことがあった。大革命のさなかにヨーロッパに戻ってから書き始めた『革命試論』、小説『ナッチェ(ズ)族』、そこから切り離した中編小説『アタラ』『ルネ』、そしてナポレオン政権下でのイデオロギー誘導の書となった『キリスト教精髄』などにおいて、ネイティヴ・アメリカンの運命についてのシャトーブリアンの記述態度には、奇跡的に、トクヴィルのような視点はない。基本的には、ヨーロッパ人の侵略を受けて滅亡していく自然人としてネイティヴ・アメリカンを見ており、貴族としてフランス革命で苦渋を味わった自分や家族の運命に深く通じるものとして、ネイティヴ・アメリカンの運命を見つめている。トクヴィルのように神の前における西洋人とネイティヴ・インディアンのあいだの差別を当然として容認し、排除対象ないしは搾取対象として先住民たちを見るような記述は、シャトーブリアンにはない。
 シャトーブリアンにおいては、自分やネイティヴ・アメリカンのこうした運命と悲惨さが、最終的には人類全体のそれに通じていくものとして認識され、地上につかのま存在するのを運命づけられた人類全体の悲惨さと空しさを慰撫しうる唯一のものとしてキリスト教を出してくるのが特徴的なのだが、彼におけるキリスト教は、トクヴィルのキリスト教認識とはもちろん、アメリカ建国当時のウィンスロップたちのカルヴァン主義とも異なっている。彼にとってのキリスト教を精査し直しながら、西欧中心主義や白人中心主義を奇跡的に回避できたシャトーブリアン的思考の発生をたどり直すことは、二十一世紀においてこそ、あらためて意味を持ち始めるテーマといえるだろう。奇跡的に回避できた、といま記したが、もちろんここには、トクヴィルのような十九世紀人とは根本的に異なった十八世紀人たちの感性や思考も深く関わっているかもしれない。大革命以前の十八世紀を知らない者は生きる喜びを知らない、といった意味のことをタレイランも言っている。十八世紀に生まれ育った人間たちにとって、十九世紀が生の喜びを失ったせせこましい時代に成り下がってしまったと映っていたことは、彼らの言説によく散見されるところだ。
 ルソーにおける自然人概念がシャトーブリアンにおいて独特の機能のしかたをしたということも、もちろん見逃がせない。ルソーの概念はアメリカ建国の際にも、またトクヴィルの思考においても作用している以上、かなり広範な視野と資料にもとづく再考が必要となりそうである。ルソーは、曖昧で意味作用の振幅の大きな概念・観念使用や思想構成を行う性質があった思想家だが、十八世紀末から十九世紀にかけてのルソーの読解や受容は、ことに、各需要者たちそれぞれにおける誤読のあり方や偏向的理解にこそ、今後の政治制度再考にむけた場合の興味と可能性の宝庫があると思える。

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