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Moonshine 6


東京 12月のウォーキング 世田谷八幡 いない子


 東京の十二月は真冬と呼んでいいのだろうか。二十一日は冬至だったというのに、一月や二月にくらべるとまだ生ぬるく、いちおう冬?…といった思いがある。
 とはいえ、日も暮れてからウォーキングに出るとなると、なかなかに寒い。東京の日中最高気温は5度と予報されていた日の晩、立て込んだ用事を片づけて、少し遅くなってからようやく歩きに出た。六時半過ぎ頃だっただろうか。
 いでたちは、秋から着ることにしている長袖の薄いスポーツシャツにジャージ。手袋と薄いマフラーも用意。水道水を入れたペットボトルも。
 ふつうに歩いている人たちの姿は、コートやダウンに厚手のマフラーなど、なかなかの重装備が目立つ。たしかにひどく寒い。しかし、運動のつもりで速めに速めにと歩き出すと、体というのはすぐにも寒くなくなってくる。ジャージ一枚だけを多めにはおったからといって、とてもではないが防寒には足りない。が、この一枚の差というのは大きい。
 いかに温度が下がっているかは、汗が広がってくるのに三〇分以上歩き続けないといけないことでわかる。そのあたりでジャージのファスナーを開ける。もう少し行ったところで、ジャージを脱ぐ。寒さで、耳が少し痛くなってくる。ふつうは鼻から息を吸うように注意しているが、たまに口から息を吸うと、喉に冷気がじかにぶつかってくるのがわかる。そんな空気の中を、シャツ一枚で行く。
 汗が出始めると、体はむしろ温かく感じられるほどになる。が、手のひらはかじかんで、動きが鈍くなっている。手袋をはめる。手のひらと二の腕だけが冷えるのだ。
 こうして、三軒茶屋から芦花公園まで歩き、復路も同じ道を歩いて戻った。約三時間ほど。正確に測ったことはないのだが、だいたい十二キロは歩いていることになるらしい。たいした距離ではないと思うが、最近の歩行では、ながい時間や距離を歩くところに目的を置いてはいない。一時間から一時間半程度を、少し速めに歩けばいいと思っている。そういう歩きが、翌週の体調を軽くしてくれる。苦もなく階段を駆け上ったり、駆け下りたりできるようにしてくれる。信号が変わりそうな時に、さっと走って渡れるようになる。ちょっと大げさにいえば、翌週、楽に生きることができるというわけなのだ。一時間半ほどの歩行を週に数回やっておくだけで、次週に楽ができる。次週だけでなく、数週間は効果が続く。目的といえば、これが目的だろうか。功利的かもしれない。しかし、翌朝気持よく目覚めたいから早めに寝る、というのだって功利的だろう。功利主義を嫌うといった感傷癖は持ちあわせていないが、仮に功利主義を避けて生きていこうと望んだところで、人間はどこかで功利の罠にはまる。功利主義を外れていこうと意図すること自体、自己の差異化の欲望にべったりと陥っているわけで、差異化の達成という心理的な功利計算がしっかりとなされてしまっている。

 数週間ほど前まで美しかった枯葉のさまざまな光景は、もう見られない。風のなか、街灯の前を吹雪のように舞い散るサルスベリの葉に思わず立ち止まった夜があった。舞い落ちたり、路上を転がったりするたびにカラコロと高い音を立てる葉が、クヌギだったか、シイだったか、エノキだったかと思いながら歩いた夜々もあった。
 いろいろな木々のならぶ場所を急いで通過していった時、桜餅に鼻を近づけて嗅いだような、いっぱいの芳香の籠るなかを突き抜けたのに気づき、驚いて戻ってみたこともあった。すっかり葉を落とした桜の太い木があって、あたりに桜の香りが充満していた。十二月というのに、もう春の準備を終えているかのような雰囲気があった。花もなく、葉もないのに、木とはこのように豊かに香っているものかと思うと、ふだん様々な木々のわきを歩き過ぎながら、なんと鈍感であることかと思わされた。
 こういったことには、好んで求めようとしても、なかなか出会えるものではない。功利ということの限界がこういうところにはあり、同時に、軽く動ける体を調整するためといった小さな功利にしたがって歩きに出ることで逢着できるような、そんな想定外のものでもある。邂逅、といえば言える。川端康成はこの言葉を好んだというが、どう努力しようが、意図しようが、それだけでは叶わぬ出会い、いかに小さくとも、それによって生涯のその後の軌跡にわずかながらも変更が生じるような出会いを邂逅というのだろう。幸福とは邂逅ということに尽きる。他の幸福はない。邂逅が起こり得るなら、そこには疑いなく幸福があるのだともいえる。幸福な人以外、邂逅を認識できないからだ。

   世田谷線宮の坂駅の近くに世田谷八幡宮がある。入ればすぐにわかるような気持ちのよさのある、広々とした境内を持つ神社だ。一〇九一年に、源義家が大分の宇佐八幡宮の御分霊を招いたという古い神社である。
 この近くを通る時にはかならず詣でて行くことにしているが、ある晩秋の夜、こんなことがあった。手を清めてから、小石や枯葉の音をさせながら誰もいない境内を本殿まで歩いていって祈った後、本殿の階段を下りてくると、子供がひとり、誰もいなかったはずの境内をふらふら歩いたり駆けまわったりしている。八時頃に子供が神社にひとりでいてもおかしくはないが、小石や枯葉の音がするはずの場所を、少しも音をさせずに走ったりしている。こちらは急ぐので、どんどんと鳥居まで進んでいったが、子供は走りながらこちらにずいぶんと接近してきた。ぶつかるつもりなのか、遊ぼうというのかと思い、ぶつかられるのを避けるようにさらに足を速めて進んだら、ふっと誰もいなくなった。子供は今、つい其処にいた。それがいない。どこに行ったのかと、立ち止まって境内を見まわしたが、やはりどこにもいない。あっという間にむこうの木まで走って行って、陰に隠れてしまったのか。今ここにいたのに、なんて足の速い子だろう、そう思ううちに、ははあ、と思った。そうか、いない子だったのかもしれないな。かつてはいたが、いまはいない子。しかし、神社の境内というのはふつう、相当に強力な結界のうちにあり、浮遊しているような霊は侵入できない。とすれば、あの子はふつうの霊体ではあるまい。それにしても、小石も枯葉も鳴らさずに、ふしぎな走りをして…

 生身の人間に会うことばかりが邂逅なのではない。いま会っているのに、わからないでいるということは多いだろう。そういうことのほうが多い。会うべきは人間たちばかりではないのだし、会うべき場所も、日ごろ見えている場所ばかりではない。 

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