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                   駿河昌樹詩葉・2000年12月



代田日記2000.3.1〜8.31 ソノ壱




○二千年三月一日水曜日

 ただ過ぎに過ぐる物。帆をあげたる舟、人の齢、春夏秋冬。
 清少納言。


○三月三日金曜日

 万延元年、一八六〇年、この日、桜田門外の変。勅許を待たず大老井伊直弼が日米修好通商条約に調印したことは、浪士たちを暗殺に走らせた大きな理由のひとつ。
 百年後、昭和三十五年、一九六〇年、日米新安全保証条約調印。
 ところで、江戸には、東海道方面の罪人を処理する鈴ヶ森、中仙道・奥州街道方面の罪人を処理する小塚ッ原があった。徳川時代、小塚ッ原での刑屍数は二十余万。年平均千四、五百人。
 斬首刑に二種あり、伝馬町牢屋敷で一般庶民を斬り、離れた首と胴を四斗桶ないし空俵に入れて刑場に運び埋葬するのを斬首、直接刑場で士分以上の者を斬るのを死罪と呼んだ。
 刑執行の際には、二つ折りにした半紙で囚人の顔を覆い、それが落ちぬよう細い藁縄で結ぶ。喉に縄をかけ、斬り場に敷いた筵ないし空俵の上に坐らせる。血溜めの大穴が前に掘られてある。
 着物の襟を引き下げ、両肩を脱がせ、前屈みに首を穴の上に突き出させる。喉縄を外すと同時に斬り、血が出尽くすまで屍体の足を押え続ける。一体につき約一升五合の血が流れ出る。


○三月二十六日日曜日

 是のただよへる国を修理り固め成せ。古事記。
 また、
 世間虚仮 唯仏是真。聖徳太子。


○三月二十七日月曜日

 はじめからいなかったひとのように、わたくしは滞在し、過ぎ去る。ひとりの人間ででもあるかのように、そつなく、目立たぬ振舞いと姿で。
 そう、なにかを変えてしまうよりは、なにひとつ変えずに過ぎていく、非在の、ほのかな流れ。なにも発露せずに、ただ、全霊、受容のうつわとして。


○三月二十八日火曜日

 フランス系だったケルアックは、じつは十六歳まで、英語がわからなかったのだと云う。そういう彼が後年、英語で革命的な小説『路上』を書く。美しい事実。われわれも、今から十年ほど経って、外国語で革命的な小説を書くということがあってもいい。美しい夢。


○三月二十九日水曜日

 言葉は、隠すためのもの。


○四月一日土曜日

 はじめて出会って、いかなる身元も明かさずに、明かす必要なしに清談し、名も連絡先も知らせあわず、また、別れていけるようなひとへ。
 わたくしのすべてを、そのようなひとへ。


○四月三日月曜日

 望ましいのは、家にわずかの本しかなくて、そのうえ、それらの本は幾転生にもわたる大量の読書ののちにおのずと選び抜かれたもので、テラスからべつの窓へ吹き抜ける風をさえぎることなく、床は静かに戸外の陽の移ろいを反映していて、こころに、その時々の微妙な時間の質を伝えうるような住まい。
 そのような住まいを建てるのでなく、いかなる住まいをも、そのように、たちまち調えてしまう心持ちを備えるということ。
 そして、本を開いていない時間の、無限の豊かさ。
 一冊を手に取らぬことで、宇宙のなかにいる、わたくし。
 なにも読むべきものはなく、書き残すべきことも、言い残すべきこともなく。
 おだやかな夏の夜明け。
 こころ。
 開きはじめる露草、ハス。


○四月四日火曜日

 人間ぎらいなわけではない。みずからを語りちらす自我たちを前にするのが、苦手なだけ。自我の藪、雑踏、濁流のかなたの、森、みずうみを、わたくしは望む。


○四月五日水曜日

 エミリ・ディキンスン。
「話しかけられなければ決して 私は口を開かない
それも手短に低く答えるだけ
 大声で生きるなんて耐えられない
 大さわぎはいつも恥ずかしかった」(第四八六番、新倉俊一訳)


○四月七日金曜日

 ヨハネによる福音書、四の三十二。「わたしには、あなたがたの知らない食べ物がある…… わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」。


○四月八日土曜日

 多くの業種の人々、専門家に会ってきた。人間精神の悲惨。人間は、多くの場合、趣味や専門によって浮薄なアイデンティティを維持しているつもりになっている。自分の目の前にいる人物が、自分が関わっている物事に通じていない、ないしは、それを鑑賞し批評するだけのセンスがないと考えるのを、だれもが隠微に好む。あるいは、あからさまに。


○四月九日日曜日

 エドガー・ケイシーのリーディング。第三〇〇三番の一。
「(質問者)わたしは、この世で自分のなすべきことを行いたいのです。どう自己訓練したらいいでしょうか。
(ケイシー)日に三回、『主よ、あなたはきょう、なにをわたしにさせようとなさるのですか』と唱え、応えを聴こうとしなさい。そして、こころに来たものを暗記したりせず、意味を捉えようとしなさい。『おまえたちが呼ぶなら、わたしはそれを聴きとどけ、すみやかに答えるだろう』と主は言われ、約束されたのです。主は、たしかにそう言われました。それを信じなさい」。


○四月十一日火曜日

「『長州は、興るぞ。あの藩は藩主や執政以下蘭学に目覚めている』
 と、(石井)宗謙はほめたが、(村田)蔵六はべつにうれしくはない。長州人ではあっても藩士ではないから、蔵六にとっては無縁の話題に近い」。(司馬遼太郎『花神』)


○四月十六日日曜日

 不快を感じながらも必死に抑えていた時間について、わたくしはおそらく、十数年後ぐらいにでも、なにかの拍子にぽつりと語るかもしれない。


○四月二十日木曜日

 北斎。「六歳ごろから、わたしはものを描くのが好きだった。五十歳までに無数の絵を世に出したが、七十歳以前のものには、残しておく値打ちのあるものはひとつもない。七十になってようやく、自然界の現実の構造、動物、植物、樹木、鳥、虫のかたちをいくらかは知り得るようになった。この調子で行けば、八十になるころには、もっと大きな進歩をしているだろう。九十歳で事物の秘奥に達し、百歳ではきっと、すばらしい腕前を身につけ得ているはずだ。百十歳になれば、わたしの描くものは、点であれ、線であれ、すべてが生命を持つに至る。この約束をわたしが守れるかどうか、おなじぐらい長生きをするひとびとには、しかと見届けてもらいたい」。


○四月二十三日日曜日

 日記の不可能性。細部、記録、反省、そして、継続への興味がわたくしにはないゆえに。すなわち、日記的自我が欠如しているゆえに。しかし、形式を借用することはできるだろう。日頃、一般的な自我の形式を借用し、人々に対してカモフラージュし続けているのと同じように。


○四月二十四日月曜日

 スタンダール。「わたしの目的はなにか? 最大の詩人になること。そのためには人間というものを完全に知ること。文体は詩人の第二義的な部分にすぎない」。
 それにたいして、ヴィクトル・ユゴー。「スタンダール氏の書くものは残らないだろう。彼は書くということがどういうことか、一瞬も気がつかなかったのだから」。また、『赤と黒』について、「読もうとしてはみたんだが、どうすれば四ページ以上読めるんだね、あんなものが?」。


  ○四月二十五日火曜日

 パソコンのふたつの機能。データ処理支援と、ネットワーク形成によるデータ・コミュニケーション支援。ずいぶんと容易になったとはいえ、この機械のより有効な使用法について情報を収集したり調整をするには、なおも、かなりの労力や、あらたなソフトの購入費用、パソコンを前にしているあいだに失われていく時間(読まれない本、実際に足で辿られない旅程、目の前で交わされるのでない会話等)などが必要とされる。そうしたコストをはるかに凌駕する利潤は、専門家でない個人においては、簡単には発生させえない。したがって、現時点では、なおも、深入りすべきではない。
 機械においては、方法的に、つねに、あえてもっとも能力の低い利用者に留まっておくこと。二十年も待てば、いや、数年待てば、現在の多くのひとびとの自前での努力や企業努力によって、券売機のように容易になっているだろう。その時点では、データの質や個性そのものが要求されるようになっており、パソコンという手段の本格的導入の遅速の差は消滅しているだろう。
 それまでに、旧来の方法によって、脳を鍛えておくこと。現代の幾千万篇の詩をインターネットで読むよりも、ロマン主義以降二十世紀初頭までの詩集原典数十冊を、本のかたちで、時間をかけて読むこと。重い辞書を何冊も手にとり、ときには造本の壊れかけた一九世紀以前の辞書を静かに繰って、一語のうちに重層する意味の彩に迷いながら日暮れを迎え、また、夜半を過ごすこと。


○四月二十七日木曜日

 J・S・ミル『経済学原理』。「先へ先へと進もうとして苦闘するのが人間の常態であり、たがいを踏みにじり、ぶつかりあい、押しのけ、足を踏みあうようなことが、人類のもっとも望ましい天性である、と考える人々がいる。彼らが提唱する、生活の理想なるものには、じつを言えば、わたしは魅力を感じていない」。


○四月二十九日土曜日

 愚か者はなにかのために本を読む。が、本はただ読むべきもの。寝食を忘れ、昼夜を逆転して読む。芸術、音楽のたぐいも、また。これに比べれば、人生、世界は、目を向けるほどの価値もない。……なんとアクセル(リラダン『アクセル』)的な感慨! 旧套か、それともむしろ、新しさだろうか。


○五月一日月曜日

 また、スタンダール。
「一 悩みや苦しみに慣れること。どんな人間でも、一日に、七つか八つはそうしたものを持っている。
 二 自分が持っていない幸福を、あまり過大に考えてはいけない。
 三 心が冷静な時を利用して、知る術、もしくは知性を磨くように努める。
 ほぼ、これら三つの行動指針のうちに、幸福というものはあるといっていい。」(妹ポーリーヌへの手紙、一八〇六年)


○五月三日憲法記念日水曜日

 永井荷風、日記。
『五月初三。雨。米人の作りし日本国憲法今日より実施の由。笑う可し』。
 ははははははは。







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