[ NEXT ][ BACK ][ TOP ][ INDEX ]


ARCH 18

                   駿河昌樹詩葉・2000年12月



代田日記2000.3.1〜8.31 ソノ弐




○五月四日木曜日

 夢のなかでは、登場する複数の人間がそれぞれの意見を持ち、勝手な行動をとることがある。こうした夢のあり方は、多重人格症と関わりを持たないか。覚醒状態内への夢見状態の流入が、多重人格を発現させるのではないか。あるいは、複数人物登場状態を夢見状態のなかに閉じ込められなくなった場合に、多重人格症は発現するのではないか。さらに考察を進めるならば、ドストエフスキーの諸作品の、あの夢見状態での複数人物登場状態に近い雰囲気を考えること。あれをカーニバル的と評したバフチンの理論を、逆に精神分析学に転用できるかもしれない。
 もっとも興味深いのは、やはり、〈わたし〉という意識と、五感情報をもとにした世界イメージとの関わりぐあいである。世界イメージは、〈わたし〉意識の存在を前提としているのか。それとも、世界についての、〈わたし〉なき純粋イメージはありうるのか。知りたいのは哲学的な議論ではなく、脳や意識の現実にもとづく事実である。〈わたし〉を削除しつつ、なおも世界イメージを残すことは、かりに人体実験を行ったとした場合、実現できるだろうか。
 そして、やはり、〈わたし〉とはなんだろうか。意識内部でのスポットライト。そのライトの光源はどこか。


○五月七日日曜日

 不幸とはなにか。ただの思い込みだろうか。観念適用の不手際だろうか。それとも、意識の潜在部分が顕在界に対して働きかけようとする対流現象が、意識内部の自我プランの地図との差異を際立たせる際の心的な印象だろうか。いずれにしても、あまりにも多くの瞬間、さまざまな場所で、わたくしは雷のように激烈な不幸の思いに打たれ、卒倒しかける。いつか、これで死ぬことだろう。これをおもてに表わさないように必死で装うのだが、わたくしの対人関係はこうした取繕いの瞬間だけで成り立っている。わたくしは、不幸の表面にかろうじて被せられた小さな、貧相な仮面にすぎない。


○五月八日月曜日

 倉田良成再読。『ゼノン、あなたは正しい』(昧爽社、1995)のところどころ。たとえば、

   つめたいよろこびにふるえて裂ける一本の木
   この坂下の
 五本の路が出合う地点は
 影を映さぬ火皿のようだ
 着火する煙草
 しきりに翔ける鳥
   宇宙はたしかにどこかで一度
   死んだことがある
   水を抱いて (「雪の青」)

 自由が丘で、このひとと美しい酒の時間を持ち得たことがある。魅力的なひとも驚嘆すべきひとも幾らもいるが、あらゆる酒を高貴芳醇なものとなすひとの存在は、稀。彼といると、ことにウィスキーが深く美しくなる。コニャックも、むろんのこと。このひとの存在を前に、自問する。自分に欠けているものはなにか。自分にまだ備わっていないものはなにか。


○五月十二日金曜日

 吉田健一。「三島由紀夫って子ねえ、あれは、とてもいい子だったが、一つだけたいへんな思い違いをしていた。あの子は日本に上流社会っていうものがあると思っていたんだよ」。


○六月六日火曜日

 ノルマンディー上陸作戦、一九四四年六月六日。
 連合軍の上陸を迎え撃つべく、ロンメル元帥は待機していた。上陸可能な場所のすべてに、鋭い角のある鋼鉄の四面体、鋸歯状の柵、鉄の刃のついた杭、コンクリートの円錐などの障害物を設置し、それらすべてに、機雷ないしは、すこしの衝撃でも容易に爆発する榴弾をつけた。その総数五〇万個以上。さらに、砂浜、岬、沢、海岸からのあらゆる通り道に戦車用円盤型地雷、対人用S地雷ほか多様な地雷五〇〇万個以上をくまなく敷設。ロンメルはさらに六〇〇万個の敷設を望んだ。最終的には六〇〇〇万個の敷設が必要と考えていた。完全主義者ロンメルはかくまで数量のひとであった。この、目くるめく、神々しいまでの数、数、数。

   副官ラングへの言葉。「勝敗はこの海岸で決まる。敵を撃退するチャンスはただ一度しかない。それは、敵がまだ海の中にいて、泥の中でもがきながら、陸に達しようとしているときだ。味方の援軍は上陸地点まではやってこれまい。期待するほうがまちがっているのだ。ここが主要防御戦線になる。この海岸に沿って味方の全兵力を置かなければならない。まちがいなく、ラング、上陸作戦の最初の二十四時間がすべてを決するだろう。ドイツの運命はその結果如何によって決まる。連合軍にとっても、われわれにとっても、この日こそはもっとも長い一日となるだろう」(コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』)。

 しかし、上陸作戦が切迫していないものと彼は判断し、ヒトラーへの援軍要請と妻の誕生祝いのため、北フランス指令部からドイツ本国へ帰る。六日、夫人の誕生祝いの花々でいっぱいの自宅に、上陸作戦決行の知らせが電話で入る。制空権が連合軍側にあったため、ロンメルは北フランス指令部まで陸路を自動車で引き返すほかない。なるほど、もっとも長い一日となった。車中での、決定的かつ運命的な、完全な無為の、長い長い一日。


○六月十日土曜日

 確信犯的失言者森総理の楽しさ。アイムソーリー森ソーリーなる戯言を巷に聞く。うまく作ったものと感心。が、ふと思い出す。ようするに、あの天才、トニー谷のパクリじゃないか。アイアムソーリーで吉田ソオリ、アイドントケアで知らぬ事ざあんす、とトニー谷はやっていた。出だしはどうだったっけ? たしか、「レディーズ・エンド・ジェントルメン・アンド・おとっつぁん、おっかさん。ジス・イズ・ミイのトップタイトルざあんす。キザで聞くのもノオサンキュウ、死球で出て行くフォアボール、デッドボールで目を回し、死ぬ奴ァそのままサンズ・リバー(三途の川)、マウント針山あっちこっち、アイアムソーリーで吉田ソオリ、アイドントケアで知らぬ事ざあんす。土佐犬オヤジの白足袋カンパニー、トゥマッチ・ビズィでベリ忙しくっても、週末サタデーどんどんカンバック・トゥ・ザ大磯ハウスで、チョンネチョンネでスリーピータイム。出てくりゃバカバカバカの言いたい放題、突っ込まれれば赤青茶色の七面鳥、ルックス・ライクちょと似ているブルドック、ヒステリック・マスター・メイド・イン片割れ自由党アット・ザ永田町。まったくこれ政治の貧困ざあんす。文句があるなら国会へ。豚は、天下御免の議事堂ボクシング・ホール仕込みときたんざあんすもん。ヘン、胸のバッチが泣くざんしょう……」。江戸期盛時の歌舞伎のセリフまわしの見事な伝統再現。『風流滑稽譚』におけるバルザック。モリエールの懐かしい楽しみ。シェイクスピア喜劇の、そう、フォルスタッフ張りの人物の出現。言わずもがなだが、あえて言えば、真の文学の風格。というのも、真の文学はいかなる時代いかなる場所においても、喜劇・風刺・支配階層風俗の破壊以外のなにものでもあってはならぬゆえに。(cf.村上龍。「アートとエンタテインメントの違いは、実はここにある。純文学とは、制度と生命力の抗争を扱うジャンルなのだ」。『すべての男は消耗品である』)。むろん、顕教だの密教だの、乱暴粗雑や風雅穏便、やり方の違いはいろいろあるにせよ。


○六月十一日日曜日

 栃木市真言宗豊山派城密山普賢院で祖母一周忌法要。昨夜よりの雨止まず。
 真言宗豊山派は宗祖を興教大師とし、天正十五年派祖専誉僧正が奈良長谷寺に登り、教学布教振興すと由来書きにある。本尊を大日如来とする豊山長谷寺が総本山である。普賢院の本尊は不動明王立像であり、制咤迦童子と矜羯羅童子二体の侍仏を左右に配する。黄目ではないかと住職は言う。
 栃木においてはかつて、この普賢院が最大の寺であったというが、江戸時代に住職が絶え、荒廃。そのため、現在は小規模の寺として伝わると云う。
 午後、雨の上がった栃木市内を二時間ほど散策する。巴波川(うずまがわ)沿いの花菖蒲、県庁掘の放流の鯉、綱手道の黒塗りの蔵、古い家並みなどを楽しむ。品のよい居心地のよい街。近龍寺に山本有三墓所を訪ね、とちぎ山車会館を見る。古里家の名物大平山ふる里最中、武平作本舗の黒糖まんじゅう、木村のせんべいなど買う。


○六月十四日水曜日

「いまのぼくには所属機関もなければ味方もいない。もっと慎重にゆくべきだ」。阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997, 新潮社)。
 否。所属機関もなく、味方もなければ、もっと危険にゆくべきだよ、阿部クン。一生涯、そのチャンスに見舞われない不発弾のごとき男たちが、世界にはごろごろ。VRLA主義で行こう、ココロして。VRLAとは、ヴィヨン、ランボー、ロートレアモン、アルトーの四詩神を云ふなり。


  ○六月二十三日金曜日

 都内、いずこもケータイ(一応、西暦3000年代の諸氏のために注を記しておくと、これは携帯電話なるもののこと。え?電話とはなにかって? ほら、タイムカプセルに古いのが入ってなかったかなア? あの黒いごっつい奴。むかしは、声を電気仕掛けで飛ばして話すという習俗があったわけ)片手の老若男女。じゃらじゃらとストラップたらし、真剣に画面を見つめて立ち止まっていたり、切ない目で耳にあてがっていたり。あきらかに、江戸の闇と浮薄な賑わいの延長にある現代。路地裏には夜鷹ばかりか、地獄もいっぱい。こんな時代をまじめに生きるのは、なるほど、下らねえこったよ。(cf.大西巨人『神聖喜劇』の主人公東堂太郎のセリフ。「すでにして世界は真剣に生きるに値しない」。)
 知りあいの工学教授は、ケータイに必ずイヤホンをつけて、なるべく体から離して使う。「あんな、電子レンジ並みの電磁波を発している機械を耳に押しつけてたら、脳をチン!してるのと同じですからねえ」。ごもっとも。大規模な人体実験をニッポン産業界は大々的に仕掛けているわけだと言う。政府も研究機関ももちろんご存知。「今後いろいろ起こってくるでしょうけど、この国じゃ、どうせ原告が科学的に証明しなきゃ勝てないようにできてる法律ですから、うまくやってますよねえ、企業も政府も。ツケをすべて未来に先送りするやり方」。そうか、これからは、脳障害者が爆発的に確実に発生するわけだな。じゃあ、これからの投資はそういう系統の銘柄にするべきか。現在の日経平均やTOPIXをすっかり無視した読みを平行させていくべきかもしれない。海外の企業や政府が影で大きく関わっているなら、ナスダック指数やダウ平均には案外、いや、理の当然として、早くから動きが出始めるか?


○六月二十五日日曜日

 トクヴィル。民主主義とは、合法的に一部の少数者集団が権力を握って、それ以外の人間たちを支配・搾取し、またその少数者集団の価値観を全国民に強制することを合理化した独裁制である。


○六月二十七日火曜日

 豊かさについて。アメリカニズム(アメリカ合衆国と同義ではない)におけるそれは、より多量の商品をより安く購入すること。日本においては、他人に差をつけた新しいブランド商品の購入。イギリスにおいては、田舎に戻って庭仕事に没頭し、イギリスらしい景観を創造・維持すること。
 わたくしにおいては? 最小限の生活用品と最小限の概念や思考様式のみを持ち、世間において可能な限り透明で、自己顕示欲とあらゆる意味での嫉妬の少ない友を持つこと。
 豊かさも、量も、もはや質さえ、追わぬこと。







[ NEXT ][ BACK ][ TOP ][ INDEX ]