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ARCH 19

                   駿河昌樹詩葉・2000年12月



代田日記2000.3.1〜8.31 ソノ参




○七月十四日金曜日

 ルソーは、下宿の女中あがりだった生涯の伴侶テレーズに、時計の読み方を教えようとした。ずいぶん骨を折ったが、テレーズはまったく時計というものを理解しなかった(『告白』)。テレーズのこの無知をルソーは愛していたらしい。このことの意味は深い。時計職人の子に生まれ、時計によって一般人を産業奴隷に作り変えていく体制が進みつつある頃に、その体制と真っ向から闘う思想(俗に言う「自然に帰れ」)を紡いでいたこの男にとって、時計を理解しない女の存在は、目の前に生きる永遠の革命そのものと見えていただろう。パリを去って隠遁生活に入る時、ルソーは有頂天になって自分の時計を売り払ってしまうが、生涯において、これがもっとも幸福な瞬間であったと、やはり『告白』で書いている。
「裸の王様」をマイナスの色合いで物語作家が捉えた頃には、ヨーロッパ人たちの洗脳はすっかり終了してしまっていた。真の王様であるなら裸であるに決まっているのに、時計を持ち、ケータイを持ち、モバイルを持つことこそ王様であると思い込ませた功績の源は、やっぱりプロテスタント坊主たちにあるのだろうか。ピョートル大帝は、ロシアの雪の原野での排便時、長い槍で狼たちを追い払いながらイタシタという。この槍程度の実用品所有に留めておくのが、真の王者たる者の知恵というもの。児孫のために美田を買わず。現代のモバイル・ビジネスメン、ケータイギャルたちの孫やひ孫はどれほどの重装備になっていくことか。それも粋ってモンかしら?


  ○七月十六日日曜日

 皆既月食。始まり、終わりの指輪状の食の美しさ。双眼鏡を手に、長いこと戸外にいた。この先、数百年は見られないのだとか。
 昨年の八月十一日には、フランスのモン・セギュール山頂(カタリ派終焉の地のひとつ)で、偶然、日食に遭遇したものだった。このような偶然は、自分というものの運命の輪郭をふいに明確に感知させる。すなわち、自分が単なる「日本人」でなどないという自覚(個人的な差別化ではなく、だれひとり、単なる何々国人でなどない)。無数の過去世の堆積の末の《わたくし》。
 数年前からはっきりしていることだが、死はない。輪廻は実在する。喧伝する気も、必要もない。だれもが、いずれはわかるのだから。肉体をともなった生の虚妄と有意義。動きと休息。「私がキリストである証は、動きと休息とである」(『トマスによる福音書』)。


○七月十八日火曜日

 職業、勤め先、生活状態、年齢、過去などは、相手がみずから語る時以外は断じて尋ねてならないプライベート事項であるはずなのに、平気で聞いてくる日本人ばかりなのはどういうわけか。ほとんどの会見の不快はここから来る。


○七月二十一日金曜日

 九州・沖縄サミット。あの暑いなか、ネクタイ締めて、スーツ着て、海にも飛び込まずにかしこまっている八カ国首脳とやらは、ようするにたいした権力モッテナイナ、とよくわかる。
 我輩なんぞ、パウル・ツェランの詩を再読して、ロートレアモンもひさしぶりに読んで(「第五の歌」)、ちょいと緑のなかへ散策に出て氷ミルクまで食べちゃったぞよ。生活の質ではこっちのほうが上。見よ、このシンプル。無印良品とかいうアレかな。二十一日は、どうやら、わたくしの勝ち。


○七月二十三日日曜日

 昭和二十六年マッカーサー元帥年頭所感。「憲法は政策の具としての戦争を放棄している。……しかしながら、もし国際的な無法状態が引き続き平和を脅威し、人々の生活を支配しようとするならば、この理想(戦争放棄)が止むを得ざる自己保存の法則に道を譲らなければならぬことは当然であり、……国際連合の枠内で、力を撃退するには力をもってすることが諸君(日本国民)の義務となるであろう」。
 平和憲法とかいうマッカーサー憲法の張本人(たとえ形式主語であれ。いや、形式主語は、ニッポン国民、か。)がこうのたまうのでは、なかなか護憲派さんたちも、レトリックの取り繕いに苦労なさったことじゃろうて。
 やれやれ。いかなる立場であれ、やれやれ。
 じつは、戦後にっぽんの真髄と教訓は、こうした「やれやれ」にこそあった。
 それでいいじゃないの、と、ぼくなんか思うけどね、三島さん。
 やれやれ主義。これこそ、ぐろーばる・すたんだーど、ってやつじゃないかねえ。どこの国のひとも、人生のあほらしさ、不条理にはうんざりしてるしねえ。疲れてるし。四十五歳で首切ってもらってゲームオーヴァーってのは、やっぱりセコイと思うよ。もっと体力気力知力の衰えを経験してみいッチュウノ。


○七月二十四日月曜日

 猫が人前に死骸を晒さないということについて、『アブサン物語』で村松友視は木曾山中修行説を紹介している。死期を悟った猫は、最後の力をふりしぼって、木曾の山中へ修行に向かう。ロケーションが木曾である理由は、そこが日本の中心だからだそうな。修行を終えると猫のグレードが上がり、住んでいた地区に戻ってきても姿かたちが変わっていて、かつての飼い主にもわからなくなるのだ、と。
 さらに、『帰ってきたアブサン』では、木曾山中説にくわえて、遠州森の秋葉神社説が紹介されている。遠州森で修行する理由? そこが東海道の真ん中だからなんだそうな。


○七月二十五日火曜日

 一九四一年時点で、英米あわせた鋼鉄生産量は九〇〇〇万トン、対する日本は七〇〇万トンに過ぎなかった。ソ連駐在イギリス大使を通じて、松岡外相にこの点を書状でチャーチルは指摘し、日本の軽挙妄動を前もって戒めていた。


○七月二十六日水曜日

 某日、新宿紀伊国屋ビル地下の男子便所に入ると、だれも男性使用者のいないかわり、掃除婦が男性用小便便器の前に坐りこんで、なかに手を突っ込み、隅々をタワシで洗っていた。力を入れて、じつに丁寧な洗いようだ。すこし前に彼女が洗ったであろう便器を使うのは済まないような気もする。が、いちばん端のきれいな便器に立ち、ジュリアン・ソレルはファスナーを下げ、排尿器を出して尿を放出した。
 掃除婦マチルドは、ひとつ離れた便器を丹念に洗っている。それに寄りかかり、覗き込み、ときどき独り言を言っている。ジュリアンは、そちらへの自分の身体の平行移動を、ふと想像した。そうすれば、彼女の顔や手の像と、排尿器の像とが重なる、と。
 マチルドの顔は、現在のジュリアンの排尿部位から二メートルとは離れていない。この状況を彼は楽しんだ。  羞恥心がさほど働かない自分のこころの様子を楽しむ。
 若い会社員ふうの男が入ってきたが、開いている便器がふたつあるにも関わらず、掃除婦を見て、あきらめて出ていく。ばかな奴だ、とジュリアンは思った。
 ホテルで、有色人種のボーイの前で平気で全裸になったり、場合によってはセックスもする富裕な白人女性が少なくないと聞いたことがある。有色人種のボーイを人間と見なしていないからだ。犬や猫の前で裸になるのを気にしないのと同じことだという。
 マチルドの前で排尿するのを同じことだと考えたわけではない。いまのマチルドは、だれよりも尊敬に値する。丹念にこういう作業をする人間に敬意を抱くという価値観を、ジュリアンは保っている。
 彼が考えたのは、たったひとつのこと。マチルドはたしかに、便器を掃除するということで稼いでいるかもしれないが、エネルギーの効率という観点から見れば、こんなやり方はムダが多過ぎる、ということだ。すぐにも尿の汚れがこびりつく便器を、あのようにしっかり洗う、それに金を払う、それで金を貰う、という仕組みは、地上でのエネルギーの回転全体で見れば愚劣な選択である、と。彼女の筋力も、注意力も、時間も、もっとべつのことに向けるべきだと思われたのだった。便器というものの構造自体に、まだまだ考え直すべき欠陥が多く存在しているのだ。尿による汚れ自体で洗浄のなされるような仕組みをこそ、考え出さねばならないはずではないか、工学技師諸君?
 それにしても、こういう誠実勤勉な人材こそ、雪印乳業には必要だった。
 ジュリアンの想像が複合化する。
 白い便器の横に、隣接して、牛乳タンクのバルブがある様を想像する。それを彼女が丁寧に洗っていく。
 どうせなら、便所のなかにミルクスタンドを作って、老若男女が裸で新鮮なミルクを飲めるような設備を作ったらどうか、と想像する。
 さらには、手足を枷で固定し、ミルクを管で喉からたえず流し込み、排尿もすみやかに行えるように管を挿入し、という光景が国中に、いや、世界中に広がったらどんなに喜ばしいことか、と……
「人生などは、下男に任せておきたまえ」とリラダンはどこかで書いていなかったか。
」  いつも、こんな脳のまま。
 そうしてジュリアンは、これを、死まで抱えていく……


○七月二十七日木曜日

 ジェーン・バーキンの歌の揺らぎ、その圧倒的な魅力。Quoi, ジミー・ロウルズとのデュエットによるThese Foolish Things, Yesterday Yes A Day, Ballade De Johnny-Jane, Ex-Fan De Sixties, Di Doo Dah, Je T'aime Moi Non Plusなどをくり返し聴き、愉しみのための深夜の試訳に、また、時を費やす。こんなふうに。

  煙草には 口紅のあと
飛行機のチケットは すてきな場所へ発つため
こころには いまも翼があって
そんな小さなあれこれに 思い出す
あなたのこと

となりのアパートで 鳴っていたピアノ
ためらいがちに 伝えた
わたしの気持ち
博覧会の あの色あざやかなブランコ
つまらないことね みんな
でも 思う あなたのこと
     ………               (These Foolish Things)


○七月二十九日土曜日

 再建された室生寺五重塔のあざやかな姿をテレビで見る。思わず手を合わる。涙がわく。
 室生寺、我がこころの宝。地上で、いや、宇宙で、なによりも大切な土地のひとつ。昨秋、ひとけのない豪雨のなかをゆっくり訪ね、大晦日まえにも、雪の吉野行の前に再度訪ねた。奥の院まで、無限に続くかと思える石段も二たび登った。いずれの時も、五重塔は工事の覆いの蛹のなかで、再生の時を過ごしていた。
 奥の院へと登る石段の途中、賽の河原の地蔵のわきに、名前と日付を記した小石を置いた。わたくしがこの世に残す、唯一の滞在の、証? 次の転生の、わたくしである旅人ひとりへと宛てて。
 逵日出典『室生寺史の研究』(巌南堂書店、昭和五十四年)という、鴎外の史伝を思い起こさせるような文体の、美しく厳しい本を、幸いなことに入手しえたが、それによれば、昭和四十年の仁王門再興以前は、夜であれ朝であれ、境内を自由に散策できたと云う。懐中電灯で夜中に照らし出す五重塔は、恐ろしいまでの迫力であったそうだが、もし、奥の院に至る森の石段に漆黒の一夜を明かしたならば、多くの精霊の侵入を現実に心身に受けることができるだろう。深山や森の闇夜には、ほとんど物理的といってよい力があり、それを心身に受けた者は、それだけで人間を超える。
 こうした経験を持つひと、これを求めるひと以外には、会いたくもない。







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