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ARCH 44

                   駿河昌樹詩葉・2001年5月



水へ 水として




(睡蓮に落ちる驟雨が賑やかだ……)

未来のわたしたちの
前世を生きているわたしたち
過ぎ去ろうとする今が
過ぎ去ってしまう前から もう
懐かしい
ひとつの生の価値は
その生のうちにはない
価値は断絶を乗り越えた先の
つながりにしかないから

(睡蓮に落ちる驟雨が賑やかだ……)

ひとの過去も先もわたしには見える
ひとりの人間は
あとさきのあいだの薄い扉
閉めるための扉?
開けるための扉?
とにかくも扉

まだ現われぬ未来があるということは
すでにすべてが終っているということ
睡蓮に落ちる驟雨の音の隙々に
わたしたちの無数の生と死が揺れる
生き死にの
多過ぎる記憶は
水になるほかない
水は流れ
溜まり
また驟雨ともなって
扉となったひとつの記憶のはてのからだに
降る
こころに降る

(睡蓮に落ちる驟雨が賑やかだ……)

作為と方向をすっかり捨てて
戻っておいで、人生たち
水へ
水として







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