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なんで 僕のナイフに気づかない?


             ――聖・清水鱗造への詩的帰依のために



 現代日本の最高の詩人はまちがいなく清水鱗造であるというのに、誰もがそういう発言をしてしまわないようにと、必死のポーカーフェイスを決め込んでいる。わたくしはこのアホらしいポーカーに参加しているわけではなかったし、この先参加するようなつもりも微塵もないのであってみれば、横並びの鱗造無視に追従する必要もあるまいと今更ながらに思い至るわけである。いかなる詩人にも似ていない、とはいえ、あまりに模範的とも形容しうるであろう鱗造文体から放電される、口内ばかりか食道内の粘膜をもツツツと走り下っていく愉楽の電流に、ふと気づいてみれば、そろそろ、思う存分いたぶられてしまってもいい頃だと思われるのだった。
 もちろん、『白蟻電車』の頃からの鱗造詩をふたたび辿り直す快楽をなおざりにしたいというわけではないのだが、詩集としてはもっとも新しい『ボブ・ディランの干物』(開扇社、2001)が、二十一世紀に入って間もない世界文学の決定的な成果としてわれわれの前に出現してしまっている以上、この一冊をこそ恥かしく読み直し悶えたいという欲望に囚われてしまうのは致し方ないというものであろう。清水鱗造を愛読してしまうという、この羞恥の極みの、ど・く・し・ょ。この新詩集が出版されてからというもの、そんな恥かしい行為に耽溺し続けてきて、おかげで、鱗造詩以外のあらゆる詩がオールドファッションドにしか見えなくなり、名のみことごとしいあの詩人この詩人、いずれも侘しい住宅街の社民党のポスターのように映じてしまうという事態に立ち至ってしまった。快楽というのはまことに恐ろしいものであって、いちど経験してしまうと、もうそれまでの代替快楽では我慢ができなくなる。詩とは、糞おもしろくもない御託を並べる以前に、なによりも言葉による快楽装置そのものなのであってみれば、わたくしが清水鱗造にからだをすっかり委ねてしまってナニガワルイ、ナンニモ悪クナンカナイのである。悪くないついでに、もっともらしい脈絡もなしに、苦しい理屈もつけずに、そろそろ、鱗造詩そのものに入ってしまう。入るというのは、この場合にも、やっぱり快楽だから。
 たとえば、このあたりから。

   人は一日のうち
   一度は変態になる    (『ビー玉遊び』)

 なにを言うか、いつだってずっと変態のくせに。などと余計なことを思わずに、そう長くもないこの詩を読み進めていくと、最終連では、

   秘匿するからビー玉遊び
   箱を開けたり閉めたり

 なんとも究極である。神経が痺れてしまう。これでイッテしまわない人は、たぶん、詩には縁がない。そうなのだよ、秘匿するからビー玉遊びなんだぜ。そのうえ、箱を開けたり、閉めたり、なのさ。

   けっきょく
   明るい便所で
   何を考えていたのか   (『草の生える手帳』)

   情が果てた後の
   草
   モノクロの草      (『裏山の草』)

 こんな数行が、『草の生える手帳』の前の詩『裏山の草』の最後にはあり、そうである以上、明るい便所で考えていたことがそれだというわけではないのだろうけれども、

   デビッド・マッカラムは金髪だったが
   モノクロで見ても
   たしかに金である (『デビッド・マッカラムの金髪』)

 けっこう、モノクロ好き? 草だって、モノクロで見ていたのだ。それはともかく、そうか、デビッド・マッカラムの金髪をね、考えていたのだな。けれども、この人の場合、(もちろん、清水鱗造本人だなどというわけではない。ラカンは、自我と主体と「私」とを分けて考えたが、彼の考えるに、「私」というのは、自我という磁場に引き寄せられる言葉を集め組織して、自我を表現しようなどと企ててしまう、そんな主体の物語るお話のなかの主人公のことであった。それのことを、「この人」という表現によって、ここでも指している。主体が語る話のなかの、自我地図を織るうえでの軸糸になる主人公。)、考えると耽り出す。そうして、

   耽って
   いっぱい悪いことをしたくなる
   いっぱい
   写経する
   耳なし僧に猥画とか      (『逝く夏』)

 この路線に入ると、無敵の鱗造詩。さあ、ゲームのはじまりです。

   ストッキングというものはあったかいのかな  (『カエルさま』)

   紅く女陰のようにシンメトリな染みが
   かがり糸までも紅くして
   乾いている                (『黒い手帳』)

   「ほらお嬢さんスリップの紐が見えてますよ」  (『デビッド・マッカラムの金髪』)

   僕の靴下は女の下宿
   僕の靴下は女の下宿      (『暗い駅』)

   いいSEXをしていれば家庭は安泰だ   (『包丁群』)

   どんな場合だって
   女の尻はつるつるのお肌
   女の尻はつるつるのお肌 (『猫は』)

   コンクリの柱の陰では女子高生がキスしてる    (『池袋』)

 どんな場合だって女の尻はつるつるのお肌、というわけではないことは、多穴主義者にとっては自明の真理なのだから、ひょっとして、清水鱗造は一穴主義者ではないのか?などという推測さえしてしまう。よほどつるつる尻に恵まれているのか。それとも、世界にはつるつる尻しかないという信念を堅持することにしているのか。

   そうか
   宙返りがはやっているのか (『池袋』)

 などというオトボケをしている場合ではないでしょ? つるつる尻幻想。つるつる尻信仰。

   (あいつはぼくを好きなんだ
   あいつも)             (『ケータイで』)

 こういった信仰のゆくえというのも、鱗造詩にはヴァリエーションのひとつとしてあるのだが、こういうのもある。

   パジャマの紐がきれたので
   赤い縞の女もののパジャマを
   穿いているのだが
   そんな春の宵
   猫のゴム印を
   取り出している (『女もののパジャマ』)

 ヘンではない。というのも、取り出しているのはゴム印という表現なのであって、ゴム淫してないからだ。ここで清水鱗造は、ゴム淫していない。してない。どうして踏み止まったのか。それこそヘンだ。

   ソースをトンカツにかける      (『秋葉原』)

 ヘンだ、これも。踏み止まる清水鱗造。

   漫画がうれしい季節になりました (『秋葉原』)

 ほら、そろそろ決壊する……

   「あなたもコンビーエヌイーポンですか」
   と笑って言った
   「いえ僕はマッコンチュチュチュです」
   と言った
   「そうっす」  (『秋葉原』)

 大決壊。
 そろそろ。もうひとつの究極へ。

   いままで言うのを避けてきましたが
   じつは私はミミズです           (『ミミズ』)

 日本の詩が、わずかに先行する「詩人」たちの「詩」へのおちょくりの喪失とともに、ユーモアばかりか創造的皮肉までも失ってしまったのは、というよりも、書き記す言葉などただの言葉に過ぎず、書き手の真意をそれによっては伝えようもなければ、相互のコミュニケーションなどもともと言葉を通じてはありえないのだという当然の了解事項までをも忘却してしまったのは、いったい、いつからなのだろう。お前はバカだと言われて怒ったり、お前の詩などゴミ屑以下だと言われて憤慨するような人間にはそもそも詩など書きようもないはずであったのに、ふと気づくと、人が口にしたり書き記したりする言葉が多少なりとも真実ででもあるかのような思い込みが、一種の共通幻想として押しつけられてしまっていて、現在の詩の世界は、詩以外の世界をあたかも忠実に模倣するかのようにまことにうら寒い光景を呈してしまっている。端的にいえば、詩を書くなどという超人的な蛮行に値しないチマチマした人間たちが、おそらく、自己顕示が安易にできるものででもあるかのような錯覚を方々に生じさせているこの時代の風潮にかどわかされてのことなのだろうが、大挙して詩の世界にも侵入してきてしまっているというだけのことではある。詩とは、まずなによりも、言葉をまったく信じないという認識なのであり、けっして本当の感情も考えも語らないという決意でもあり、仮にそんなものを表現したいと思ったところで、言葉によっては絶対にそれはかなわないのだと覚悟し尽くすということでもある。そもそも、なにかが自分の内面なるものの領域のうちにあって、それを外部に表現するのだなどという、今でもときおり出会わされるようなくだらない思い込みを外れたところにしか、詩は発生しえない。詩とは言葉をただ置くということであり、どんな言葉を置くのか、どう置くのか、そうした配慮から発生するあまりにも露わな、また正確な効果の世界なのである。
 清水鱗造の詩が正しく受けとめられるためには、いま現在、詩として流通しているものが、じつは一度、全否定される必要があるのかもしれない。明治時代以来、この国には、じつは、詩と真に呼ばれるべき、言語配置に対する高度の自己批判行為が存在しなかったのではないか、とさえわれわれは、一度は考えてみなければならないだろう。清水鱗造の目にはおそらく、戦後詩だの現代詩だのと呼ばれてきたあれらの、ひたすらにうら寂しいだけの、青筋立てた青二才の、または思いつめるふりだけが方法であったかのような、あるいはまた、外国の詩文の口吻の、安易といえばあまりに安易な引き写しを日本語で行ってみただけに過ぎないような、さらには、硬直したヘタクソな翻訳文をいかにも意味ありげに模倣してみたような、しかも、根底には唖然とするような幼稚な感傷性丸出しの貧しい書き付けの堆積が、賽の河原に積まれたしらっちゃけた石の山のように見えていることだろう。なるほど、そのなかには幾つかの例外があったとは言えるのだが、いやおうもなく人を惹きつけてやまない魅力を帯びた言葉の配列物としての現代詩なるものが、とうに完全崩壊してしまっているのを、彼としてはさっぱりと、言葉の着流しを着て見物しているがごとき風情である。
 清水鱗造を論じるのにふさわしくないような、いくらかムキになったもの言いをしてしまっただろうか。まあ、ちょっと落ち付いて、茶でも飲め、などと言われそうだ。名作『カエルさま』にあったように。

   窓の脇にカエルの
   のんびり
   いらっしゃる

   茶でも飲め
   弦楽四重奏でも聞け
   お嬢

   カエルさまは
   露をアタマに浴びて
   いらっしゃる
   葉っぱの傘は
   いかがでしょうか

   で あれどうなったの?
   であれど
   であれどかしまし
   であれ
   ピーちゃんであれ
   ピーヨコちゃんであれ
   ストッキングというものはあったかいのかな

   カエルさま
   お虫をお待ちでございますか
   くるとよろしいですね
   羽虫も飛んでいらっしゃいます

 これを読むたび感慨ぶかく思うのは、これが二〇〇〇年の八月に書かれてしまっているということだ。その時期が特殊だというのではない。その頃に日本の詩の世界は、ほとんどこの作品を評価していないということが、二十世紀から二十一世紀へと移る頃の日本の詩の表通りの、決定的な貧困というべきものを物語っているゆえに感慨ぶかいのである。なんという欠落だろうか。清水鱗造がいるにもかかわらず、だれも騒がなかったということ、こともあろうに、他のいくたりもの、微温的な、脈の上がりかけた、どうということもないような詩人たちばかりが話題にされがちだったあの二〇〇〇年前後、あれはいったいなんだったのだろうか。清水鱗造性が、「ストッキングというものはあったかいのかな」という一行においてふいに全開するこの詩篇に、当時、わたくしは激しすぎるほど感動し、それはいまも続いていて、後続する最終連、

   カエルさま
   お虫をお待ちでございますか
   くるとよろしいですね
   羽虫も飛んでいらっしゃいます

をどのように心を静めつつ読んでいいのか、戸惑うほどなのである。彼の詩には感傷はまったく存在せず、それゆえにしばしばあまりに豊かな感傷を、リアリティある幻として読み手の意識に涌出させることがあるのだが、そうした幻の感傷効果の泉のなかで、「お虫をお待ちでございますか」、「くるとよろしいですね」という言葉が、清水鱗造が耐えて来ざるをえなかったものを、なお耐え続けているものを、ありありと顕わしてしまっているように読める時もあって、不覚にも、心をよろめかせてしまいもする。そういう読み方を鱗造詩において決してするべきではなく、それゆえの鱗造詩の孤独というものがあるわけなのだが、ともかくもそんなふうに心のよろめきを覚えてしまった時など、「羽虫も飛んでいらっしゃいます」という最後の一行を読むことは、実際、なんという救いであることか。「お虫」を待っているカエルにとって、「羽虫」もたしかに待たれている獲物のひとつではあろうが、しかし、まるでカエルの友ででもあるかのようなこの「羽虫」の扱いには、清水鱗造の詩的知性の徹底的な優位が現われている。誰ひとり、いまの日本でこれほどの詩的知性を持ち得ている詩人はいない。なんらかの口ぶりに固執していたり、絶えず周囲にビクついた目を配って、ひたすら流行の口ぶりの模倣に努める詩人なら掃いて捨てるほどいるが、「羽虫も飛んでいらっしゃいます」という最終行をここに書き留めることのできるほどに傑出した詩人は、清水鱗造以外にはいないのだ。
 あまりにも安手の感傷性に容易に満足してしまい、言葉も、それによるいわゆるヒョウゲンなるものへの基本的な安心感もほとんど損なわれずに済み、あたかも、ごく粗いレベル以外での共感だの相互理解だの交流だのが可能ででもあるかのように日々を過ごし、ものを平気で書いたり読んだりしていられる人々の、さびしい、はかない、しかし、なんともしぶとい愚鈍さこそが主流を占めがちな国であるがゆえに、清水鱗造は日本語の詩のなかで、おそらく、いや、明らかに、孤絶し続ける他にはない。もちろん、そんなことを辛がったり、自己憐憫に陥ったりするような彼ではないのだが、それでもやはり、「なんで僕のナイフに気づかない?」と洩らす時はある。いや、「時には」どころか、ひょっとしたら彼の多くの詩篇は、言葉と感情との繋がりを厳しく断ち切りつつ製作されていく、じつに精巧な言葉細工によって、自分の製作物が置かれた詩の政治学的状況とでもいうべきものの、絶えざる明晰な計測結果でもあるのかもしれない。読者への媚や甘えの微塵もないあの名編『赤い染め抜き』などには、それは特によく現われている。つねに鱗造詩の顕著な特色をなす、批評性と新しい次元の開拓性の共存も、ここではよく見てとれるだろう。

   卑俗な手ぬぐいの
   商標の
   おもてうら
   赤い染め抜き

   手帳に蛾がとまる
   漏斗の
   底のアパートに巻き付く
   ハート形の葉に付くひと粒
   おそらく
   あの角を曲がると汚物を踏む
   と
   しゃれた男は気づかない

   でもどうなのかな
   ましなんじゃないかな

   薄いぺらぺらは
   側溝にある生活水で
   ましなんじやないかな

   野菜を追いかけるなんてことは
   たぶんあの男にはないはずだ
   そういうのは
   透明な男の特徴のはずだからね

   なんで
   僕のナイフに気づかない?

 こういう詩を前にしてわれわれに出来ることは、清水鱗造とともに始まっている日本語の新しい詩の側につくのか、否か、という決断でしかない。もちろん、彼の側につくというだけでなく、彼の側にしか詩はもはやありえず、鱗造詩の先にしか日本の詩の未来はなく、未来は清水鱗造のものとなるだろうとわたくしは躊躇なく言うつもりなのだが、まだまだ世の中には旧弊な「しゃれた男」が多く、彼らは、「あの角を曲がると汚物を踏む」と「気づかない」らしいのだ。
 とはいえ、清水鱗造の「ナイフ」に「気づかない」者がいまだにたくさんいるとは、さすがに思えない。詩とはどういうものなのかということについて、貧相な思い込みがいまだに詩壇に靄をかけており、けっして数少ないとはいえない、言葉的に老いた詩人たちや、それに取り入って寂しいアイデンティティーの定立を図ろうとする若い詩人志望者たちが、なおも必死にその靄の価値を謳い続けているようだとはいえ、どうやら、肝心の共鳴者や読者の激減から、そうした思い込みの底もすっかりと抜けてきているようである。空洞化した旧い詩のモードの靄が、どんどんと晴れていこうとしている。
 少なくとも、清水鱗造を第一に扱わなかったついこの間までの詩の時代や、その時代において主要な顔を演じていたらしき詩人たちの側を、もう、わたくしは見向きもしない。わたくしはそちらのほうに参加もしないし、もはや彼らを詩人と呼ぶほど酔狂でもなく、むろん、わざわざ金を払って彼らの詩を買ったり、彼らをまるで価値ある者であるかのごとくに扱い続ける一派の詩集や雑誌に目を向けようとも思わない。わたくしは、ではなく、わたくしたちは、とすでに言ったほうがいいのだろう。「清水鱗造」は、いま、詩のモードにおける《ついこの間までの主流派》と、その派にもうまったく面白みも共感も感じない、まだ派をなしてはいない者たちとのあいだの、ざっくりと、しかし、いかにもあっさりと露呈した断絶を、これ以上はあり得ないほど顕著に示すメルクマールとなっているのである。
 二〇〇〇年に書かれた『C塔3号』(2000.11.21)で、

   予告編がはじまっている

 と清水鱗造は書いていた。そう、二十世紀が終わるあの頃、確かに、すでに彼による言葉の配列のなかで予告編は始まっていたのだ。しかしながら、わたくしたちはそろそろ、予告編を終えようではないか。本編はわたくしたちが、清水鱗造をこそ現代の詩の第一人者として、遅れ馳せながら正当に認識するところから始まる。

   あの人が現れるのは
   まだずっと後だった
   小さな響きが始まるのは   (『ある駅の陰』、1997.2.18)

 新しい詩を待ち望む者たちに、もう、こんな予言を呟かせていてはいけない。


                            (2002.12.18〜2003.1.12)








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