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雪の原、湯気の立つほうへと歩む



眠れないでいる時、意識があるのは、苦しい。
意識は言葉だから、言葉のクソ野郎、やはり捨て去るべきか、と思う。
言葉ばかりでなく、像も、色も、明暗も、音も。
みんなクソ野郎だ。
苦しい。

言葉も像も、周到で一部の漏れもない自己隔離壁でしかない気がする。
これらとともにある時、息ができていない感じだ。命というべきものは、これらよりこちら側にはない、という感じ。

たとえば、だ。
翌日すべきことの段取りを、寝入る前、しばらく漠然と考えるとする。
これが、耐えがたいまでに、苦しい。
眠ろうとする前の、起きて活動状態にある時なら、耐えられる。
そういう時には、言葉や像以外のものとともにある。
物たちとともにある。
だが、身体の活動を停止し、部屋を暗くして寝入ろうとする時、自分なんて要するに、言葉、像、であるだけ。
空気はすでになく、空間もない。
言葉と幾ばくかの像であるほか、自分はない、という劫罰。
思考と言い換えたところで、同じ。

思考は、業苦。
思いの流れの中にしか、自分はあり得ないし、思いである自分には、思いから逃れるすべなどない。



「けっこう割のいいバイトではあります」と青年は言った。
 駅から離れた線路上での轢死体を回収する仕事なのだという。
 見るに耐えないのではないか、と聞くと、
「確かに気持ちいいものではないですけれど、顔さえなければ、豚や牛の肉塊と同じなんです、本当に」と言った。
「でも、切れた下半身や胴体がまだ動いていたりすると、拾うのに、ちょっと勇気が要ります。頭も手も足もないから、もう生きていないんだ、動いてるのは、これは嘘みたいなものなんだ、って思って、拾ったことがあったなあ」
「忘れられないのは、雪の日の死にたてのやつですよ。あっちこっちに湯気が立っていて、それを目印に拾いに行くんです。湯気の立っているところに、肉が落ちてるんです。湯気が、そこいらに、ほ〜っと立っている。雪を踏んで、その方へ歩いていく。いくつもいくつも湯気が立っているのも忘れられないけれど、そうやって拾って歩くうち、急に、ぼく、わからなくなったんです…」
「なにが?」
「なんていうか、…雪の中を、湯気を目印にしながら、そこへ歩いていく。そういうことが、わからなくなっちゃったんです。そんなこと、ありましたよ。雪の中を湯気のほうへ歩いていくって、なんなのか、わからなくなっちゃったんです。あれ?、って感じで。雪、だろ、あそこに湯気、だろ、歩いてる、だろ、肉、だろ、…なんて考える。それぞれ、べつべつに思って、確認する。でも、それらが合わさると、わからなくなっちゃうんです。…で、変かもしれないけれど、ぼく、ふと思ったんですよ。戦争って、こういうことなんだろうな、って。ははあ、人を殺すのって、こういうことだ。簡単にできちゃうんだ。ひどく残虐なことを平気でするという話、聞くじゃないですか。あれって、これなんだ。わからなくなっちゃうような合わさり方で、事態が起こってしまう時があるんだ。そういう時、ぼくらは、誰であれ、他人の身体を裂いたり、内臓を抉り出したり、首を切り落としたりせざるをえなくなるんだ。そう思ったんです。そういう時には、他人の身体を破壊するのと、自分が破壊されるのとは、まったく同じことでもあるんだ、って」



大げさには考えまい、
考えまい。
しかし、闇の中で目をつぶる、
と、
さながら自分は、雪の原に方途を失ったこの青年。
そこここに、ほっ、ほっ、と湯気。
湯気のところへ歩むと、そこには、
ひとりの思考をもはや構成しなくなった肉片が、
ほたっ、
落ちているだけ。
しかし、湯気のところへと歩むほかは、
ない。
ほかに行くところなど
ない。





「ぽ」100 2006年4月

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