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ナラヌものの豊饒の中、非属、わたくしたちだけで



たしかにそう、わたくしたちを霊媒と呼ぶ人たちもいる。わたくしは、でも、もう霊のことは語らなくなった。

           ひさしぶりにわたくしたちだけで集まっておしゃべりしていると、廣岡さんが、けっきょく、ひとの世界って、物理的表現だけで構成された世界にすぎないものね、と、ぽつり言った。たしかにそう、それだけの世界。それだけを世界とみなすことにした世界。わたくしたちは、声にも文字にも表わさなかった言葉でより多く語り、思いのかたちにさえ固めなかった言葉でつねに語っている。

                               ひさしぶりにわたくしたちだけで集まって、ぽつりと物質化した廣岡さんの言葉は物質界に響いていった。たしかにそう、とわたくしの思いは応えたが、物質化しない言葉の流れの中では、廣岡さんはひとの世界に限定されて属しているわけでもないから、そのようなことを言う必要もなく、ケッキョク、ヒトノ世界ッテ、物理的表現ダケデ構成サレタ世界ニスギナイモノネ、という物質化された言葉は、もちろん廣岡さんの物質界での即興創作にすぎない。わたくしたちはだれひとり、声や文字で本当の思いを語らない。語ったことがない。物質化された言葉は創作にしか成りようがない。声化した言葉や文字化した言葉しか認知できず、それらを真なるものとして扱おうとする人びとでヒトノ世界が溢れているのはわかっているが、どうしようもない。

                  たしかにそう、見えたり触れたりできるものだけで世界ができている、と、そう信じたい人びとでヒトノ世界は溢れているけれど、かといって、見えないもの、触れないものへと向きを変えても、それを見たり触れたりしようとでもするならば慢心の無限界に迷い込むばかり。見えることと見えないことのありようを知るのは容易ではないが、見えるものを見えるままにし、見えないものを見えないままにしておくという唯一の方法は、どのようなひとにも開かれている。秘法というものはない。あまりに開かれているので、わからない。空気を見よ、と導かれており、心であれ、と求められている。心を調えるのではなく、心を捨てるのではなく。ただ、心であれ、と求められている。

              たしかにそう、桜の季節にはたくさんの霊たちがさまよい出て来て、ひとの集まる場所に人びとよりも犇きあって集まり、人びとのからだに、ひたっ、と憑いて住まいや職場へと運ばれていく。こころざし半ばで死んだ者たちの霊が多く、人びとは疲れた気になるが、じつは、憑かれている、と言い換えたほうが正しい。ほとんどの霊たちは、物質化したものの世界だけを世界とみなし、そのゆえに深く誤った。死んだのちにも彼らは物質界ばかりを世界と信じ、ものの世の、ものの体を持つ人びとに憑く。わたくしたちだけで集まっておしゃべりしていても、彼らのつぎつぎ憑く様子が、街の眺めに散見される。

                 たしかにそう、言葉でない言葉がふんだんに溢れ、色ならぬ色、形ならぬ形の無限さの中、わたくしたちはいる。それは、わたくしたちだけではなくて。愛ならぬ愛が豊饒にあるように。愛ならぬ愛のみが愛であるように。愛はかたちと行為を伴ってはならないように。わたくしたちは、ナラヌものの豊饒の中に、こうしたことを、おのずと知る。

               たしかにそう、わたくしたちは目立たず物質界を生きるように、と、たとえば道端の草に咲く花々に勧められる。物質界は毒に満ちてもいるから、不惑を越えて、霊体に抵抗力が十分につくまでは、本当の思いを物質化して語りださないほうがいい、と、たとえば清浄に、静かに古い家のわきに立っている雨霊に勧められる。

     たしかにそう、世界は人びとが考えるようなものとは、まったく異なっている。教えるまでもなく、どのような人も、まったく異なったそのありようの中にいる。その中にしか、いない。わたくしは、でも、もう霊のことは語らなくなった。霊を、世界と呼ぶようになったから。わたくしたちを霊媒と呼ぶ人たちもいる。わたくしたちは、でも、はじめから霊のことは語らないようにしてきた。ちからが守られるのを、世界が望んでいたから。

                ひさしぶりにわたくしたちだけで集まっておしゃべりしていると、廣岡さんが、ケッキョク、ヒトノ世界ッテ、物理的表現ダケデ構成サレタ世界ニスギナイモノネ、とぽつり言った。

                      たしかにそう、そして、
            わたくしたちだけは、ほとんどそこに





「ぽ」109 2006年6月

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