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どこもかしこもトーキョー


                    生まれついての貧しさだけが彼らの武器だった。
                           (村上春樹『羊をめぐる冒険』)



体が疲れている
心も疲れているのだよ
このところ 疲れきってしまった感じ
ほんとうに
ほんとうに
疲れた
ぜんぜん楽しくない(そう、この数十年ほど…)
体をなんとか維持している(そう、この数十年ほど…)
それだけな感じ(それだけの人生…)

食事をしながら
終えながら
終えても
夜のテレビを見続けていた
モデルや女優が
沖縄や
ニューカレドニアや
セブや
いろいろなところへリゾート

…心の底までせかせかさせられて
魂の磨り減ってしまうようなトーキョーを離れて
ここへ来ると
なんか ゆっくりゆっくり流れる時間の中で
失っていた大事なものが花開いてくる感じですねえ
ひと時ひとときが
やさしく癒されていくようです…

原色そのままの真っ青な空と
きらきらと
さざ波立って打ち寄せる海のあいだで
モデルや女優たちは
どこかの絵画から抜け出してきた
ゆとりと悦楽の権化のよう
人影のない砂浜や
南の花々の咲き乱れる庭にたたずむ

ぜんぶがぜんぶではないだろうけれど
モデルさんは時給十万円が普通だったりするそうだし
番組ひとつで数百万をもらえるのが
女優さんというものだそうだし…
そんな彼女たちでも魂の磨り減ってしまうようなトーキョーで
モデルでも女優でもないぼくたち
あたしたちの魂は
はて
どのくらい薄く
磨り減ってしまっていることか

なんとかお金の工面をして
ほんの数日
南島に出かけてみたところで
はたして時間はゆっくりゆっくり流れてくれるのか
失った大事なものの
せめてつぼみぐらい見つけられるものか

あやしい
あやしい
ぼくたちやあたしたちの
場合は

どの南島へも
行こうと思えば行ける
でも そこで
ゆっくりゆっくり
時間を流れさせたり
失っていた大事なものを
花開かせたりするには
自給十万円が普通のモデルさんだったり
番組ひとつで数百万をもらえる女優さんだったりするのが
まず必要
トーキョーで
雲母のように魂を薄っぺらくしてしまっている
ぼくたち
あたしたちには
沖縄も
ニューカレドニアも
セブも
トーキョー
心の底までせかせかさせられて
魂の磨り減ってしまうようなトーキョー
離れてもトーキョー
どこまでも
どこもかしこも
トーキョー

極上の南島リゾート
そう銘打たれた番組の途中には
もちろん
たくさんのコマーシャル
一枚持てば
豊かな生活が保証されるのだそうなクレジットカード
シャープなラインに
微妙なやさしさの加わった新車
使いはじめたその日から
シルクのしなやかさで風に舞う髪へ
と謳うシャンプー
それらに交じって
毎日のように行くスーパーの
大特売セールの広告
毎日のように行くので
従業員パート募集の掲示も毎日のように見るが
時給八六〇円から
夜間時給九六〇円以上
たしかそんな賃金

レジ係には何人か美人のおねえさんがいて
若いときにはけっこう艶っぽかったろうという人もいて
支払いの際に思うのは
なぜ彼女たちは時給十万円の人生ではなかったか
なぜひと番組数百万の人生ではなかったか
ということ

時給八六〇円で日に五時間働いて四三〇〇円
二〇日働けば八六〇〇〇円
三〇日働けば一二九〇〇〇円
HISで買えば
どこかの南島には行けそうではある

でも 行ってどうする?
時給八六〇円で何十日稼いで南島に行ってどうする?
リゾートになど行かずに
毎日二時間程度の労働に減らしたほうが
よっぽどのリゾート
トーキョーを南島に
少しは
近づけられる

でも
近づけてどうする?
南島なんかに
トーキョーを?

こうして
思いはいつも
お祈りのように終わっていく

…幸せなひと
幸せに生まれつき
裕福にゆったりと生きていけるひとたちは
そのまま
幸せであり続けるように

…不幸なひと
いま幸せとは思いづらいひとたちにも
幸せが来ますように

そうして なにより
少しでもお金が増えるといいね
あなたがたにとって
十円
百円
一万円が
どんなにたいせつかを
ぼくは知っている
そんな小額のお金のために
どれだけの体力と時間を売らねばならないか
ぼくは身をもって知っている
たったそれだけのことのために
どれだけの憎悪と怨念とが自動的に蓄積されていくものか
ぼくは自分の心と魂とで知り尽くして来ている
魂などというコトバよりも
たったの数百円の現金のほうが本当に大事なのだと知るためにあったのが
たったそれだけのためにあったのが
ぼくの何十年の半生だったみたいだから





「ぽ」121 2006年8月

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