[ NEXT ][ BACK ][ TOP ][ INDEX ]


ARCH 18

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇五年十一月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




純愛の原理、詩作の原理
立原道造について




 立原道造の詩集を繰りなおす時に楽なのは、ほぼ、どのページのどの詩篇から読み直しても同じ感興が保証されることである。だから今も、どれか偶然に目にとまった詩篇、たとえば『またある夜に』あたりから、読み直し始めてしまってもよい。

   私らはたたずむであらう 霧のなかに
   霧は山の沖をながれ 月のおもを
   投箭(なげや)のやうにかすめ 私らをつつむであらう
   灰の帷(とばり)のやうに

   私らは別れるであらう 知ることもなしに
   知られることもなく あの出会つた
   雲のやうに 私らは忘れるであらう
   水脈(みを)のやうに

   その道は銀の道 私らは行くであらう
   ひとりはなれ…… (ひとりはひとりを
   夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

   私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
   月のかがみはあのよるをうつしてゐると
   私らはただそれをくりかへすであらう

 すべてをすみやかに過去へと、ほんのりした印象を漂わせつつ、淡く移してしまう人。
 立原道造には、そんな雰囲気がある。
 恋愛にしても、ほのかな恋心がわいてきた時点より先には進めさせず、風や雲のように、ゆるやかに流れて過ぎていくままにしてしまう…
 もちろん、これらはすべて、彼が自覚的に行った詩形の探求の結果から生来した効果である。
 立原道造の詩の顕著な特徴は、読点を排除した一マス空けによって文節や節を独立させ、修飾部分と被修飾部分の位置関係に自由をもたらした点にある。これにより、被修飾部分をはじめのほうに出し、場合によっては連をまたいだ後に修飾部分を置くことが可能になり、しかも、仰々しさや見た目のもたつきが生じない。こうした方法上の探求に加え、あくまでソネット形式を堅持するという定型への峻厳さを貫徹することから、彼の詩の効果は生み出された。
 習作時代の作品を読んでみると、修飾部分と被修飾部分がまだ近接して置かれている場合が多く、意味の流れは、ほぼ、言葉や行の並ぶままに読み取られていく。ところが、彼自身が刊行した詩集に集められた作品においては、こうした自然な意味の流れが意識的に随所で断ち切られており、それによって、四連十四行のソネットは、ひとつの立体的な意味の球体となっている。結果として、一連から読んで四連に到ろうとも、二連や三連から読んで一連や二連で終えようとも、味読する上ではまったく遜色のない立体が実現されることになった。立原は、言語の建築家でもあったのである。
 このように自覚的に構築されて得られた器に込められたのは、「軽井沢とその最も美しい季節を背景として成り立つCourt(宮廷サロン)でコルティジャノからコルティジャナに献呈された相聞歌」(杉浦明平)とも呼ぶべき内容で、そこでは、終焉をすでに内包した恋の始まりや、取り戻しようもない過去の鮮烈な一瞬とともに流れつづける風や川、過ぎた至福の時をいっそう輝かせる静かなひとりの夜、青空のかなたに浮かぶ中空の淡い墓のような希望と夢などが、鮮明な個性へと特定されていくことを拒み続ける「ひと」や「おまへ」をめぐって語り出されて行く。出会いや別れの仔細はけっして描き込まれず、なにがどのように過ぎたか、どう起こりそうだったか、すべて抽象的な語り手と、やはり抽象的この上ない相手とのあいだの記憶として、了解事項として、言葉の指のあいだから漏れ落ちていくのだ。
 処女詩集『萱草に寄す』は、たった十編のソネットを載せた自家版詩集だったが(生涯に二冊しか詩集を出さなかった彼の、もうひとつの詩集『暁と夕の詩』も、やはり、たった十編のソネットを納めるばかりの自家版詩集だった)、それについての覚書めいた文章の中で、彼はこう言っている。
「僕はこの詩集がそれを読んだ人たちに忘れられたころ、不意に何ものともわからないしらべとなつて、たしかめられず心の底でかすかにうたふ奇蹟をねがふ。そのとき、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであらうとも、僕のあこがれる歌の秘密なのだ」。
 属性への愛着でない歌へ、心栄えへ、ということか。
 純愛詩人という言葉がありうるならば、だれよりもその名にふさわしい立原の、純愛の原理への献身でもある、といえようか。







[ NEXT ][ BACK ][ TOP ][ INDEX ]