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ARCH 57

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年六月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集 1
         [第三十七号〜四十二号・2007.1.6〜2007.2.16]


 昔、電子メールで「SURUGA’S詩葉メール便」という無用の書付けを配信していた者がいて、そこには「編集贅言」が添えられていた…
 もの皆終わっていくのであれば、ごくわずかの人に、稀にこのように追想される時も来ることになるのだろう。なにより、かつて頻繁に電子メールで詩文を配信していた時代があったのだと、いずれなにも書かなくなるであろう自分にむけて、小さな記念アルバムを編んでおいてもよい頃である。すべてを網羅することはできないにせよ、「SURUGA’S詩葉メール便」がもっとも盛んだった頃の「贅言」の数々を、純粋な感傷のために纏めておきたいと思う。
 断っておけば、文芸において真に重要なのは、ただ感傷のみであると思っている。ひたすら感傷的であること。そのためならば、時には、知の遊戯も新しみ(モデルニテなどと呼ぶ人いる)も悪くないだろう。しかし、なによりも、感傷。世界の寂しさ、世界にあることの哀しさ、しかし美しさ、これらに総合的に同時に感応するには、感傷以外のいかなる装置が心にありうるのか、と人には問いたい。
 わたくしは感傷する。感傷にながく禊しつつ、身のまわりに今はない環境にむけて、魂は細い霧のようにしずかに移る。そこに在ること、在らざること、その複雑な織物である感傷の可能性は、具象や抽象や超越などへの強度の志向と絡まって、容易に次のような形態を採る。

    幾夜われ波にしをれて貴船川袖に玉散るもの思ふらむ    藤原良経(新古今一一四一、戀二)

     世界でも類のない感傷的詩集である『新古今和歌集』の、このような成果を十全な姿とみなしての感傷。つまりは、至高ということ。この数百年ほど、世界で藤原良経のこの一首を超える文芸作品が一行でも本当にあったのか、と訝る。
 而して、わたくしは感傷する。

■第三十七号(二〇〇七年一月六日)
 空が澄んで美しいのだけは、なにはともあれ、年末年始のよさ。
 きれいな月が続き、ときおりかかる雲も、なかなかの風情でした。
 ところで、俗説では、亥年は大きな天災に見舞われることが多いそうな。
 中東ではさらなる人災を惹き起こそうとして、星条旗をはためかせて、例の懲りない某国が準備中とも。
 それよりも、「災」の「災」たるものは、このニッポン国というべきでしょうか。
 年間80兆円ペースで負債が増加し(政府発表では総計800兆円ながら、現実には、すでに2000兆円以上の負債とも。ちなみに国内貯蓄は1400兆円程度)、今後は毎年60〜80万人規模で就業人口が縮小していくというニッポン国。
 アメリカの突きつけてくる「年次改革要望書」に小泉+竹中政権が追従してきただけらしいというのに、アカウンタビリティ(説明責任)不在の社会特性のまま、いっそうの迷妄に踏み込み続けていくこの国の政治風土は、考えようによってはそのまま、ちょっと大きな硫黄島みたいなものかもしれません。
 いざという時の青酸カリを、はたして皆さん、お持ちでしょうか。
 不穏な情勢の時こそ、蝶よ花よといったノーテンキなポエジーが貴重に思えます。
 『論語』先進篇にある暮春春服のエピソードの余裕が、こんな時代にも、やはり欲しいところでしょうか。

■第三十八号(二〇〇七年一月七日)
 10代二十代の若者のロックやポップスを聴くのが、唯一、趣味といえば趣味。ハードな音づかいと若々しい暴走をみせる発声は、やはり幼いほどの若さによってこそ担われうるのかもしれません。  とはいえ、彼らのすばらしい声とパフォーマンスに乗せられる歌詞の、なんとお粗末なこと。クイーンあたりまでのかつてのロックとは比べ物にならないような、歌詞のレベルの地盤沈下は、なにを物語るのでしょうか。
 聴いていると、あちこち弄りたくもなるし、改作したくもなります。今回は、そんな中で捏ね上げたもののうちの一編。
 先回の詩葉メール便の〈添付ファイル内容コピー〉欄で、詩「こんな花たちもわるくない」を掲載した『ぽ』の号数を161号としてありましたが、正しくは164号でした。訂正いたします。

■第三十九号(二〇〇七年一月十一日)
 「いろいろ送ってもらっているのに、なかなか感想も返さないで…」。
 こんなふうにお伝えくださる方々がいらっしゃいます。
 そう思ってくださるのは、とてもうれしいのですが、どうぞ、お気になさらずに。
 送られっぱなしにしておいてください。
 このメール便でお送りしているのは、生マジメに読まれるべき類のものではありません。
 そもそも、(ひろい意味での)詩歌は、「まじめに」とか「しっかり」とか「ちゃんと」読むものではないのでは?
 読んだり、読まなかったり。
 読んでも、まあ、だいたいのところで。
 こういう姿勢が知らず知らず失われてしまうことこそ、恐ろしいのでは?
 それに、なにかにつけて「感想」や「意見」を持つべし、と考えるのも、やっぱり、現代の病というべきものなのでは?
 なにを見聞きしても経験しても、無感想、無意見、できれば無節操、というふうに楽に行きたいものです。
 社会は通過すればいいだけのものだし、人生も、けっきょくは、どうでもいいもの。
 詩歌なんぞも、遊び以外のなにものでもあってもらいたくない、と思います。
 もちろん、悲哀も遊び、批判も罵詈雑言も遊び、ということですが…

■第四十号(二〇〇七年二月一〇日)
 短歌のよろこびは、新しみの探求ばかりにでなく、月並みな四季の迎えかたや平凡な表現のくりかえしにもあるように思われます。
 新奇をもとめず、努めてありきたりにこしらえようとした歌を、今回は並べました。
 たまたま窪田空穂と同じ学舎に学び、そこで学生たちとともに短歌を読んだりもしていますが、次のような空穂の歌への共感は、歳々、染みとおっていくようです。
 (これらは、一見、素朴な歌のようですが、空穂の歌の特徴は、表現の細かい切り方とギアチェンジにあります。それは多くの場合、助詞によって行われますが、ふいの体言止め、自然に見える省略などによっても行われます。もちろん短歌は、いまの日本語表現からどうやら失われつつある、そうした微細な言葉の身振りの王国です)。
  文芸は胸より胸に通ふもの短き声の身に沁みとほる
  かりそめの感と思はず今日を在る我の命の頂点なるを
  ゆくりなく心に立てるさざれ波生きがひとして言葉となさむ
  消えやすき心の波の消えぬ間と語(ことば)もて追ふこころ凝らして
  わがためは絶対なりと今を得し一つの感を力こめて詠む
  人おのおのこころ異なりわが歌やわれに詠まれてわれ愉します
  定型のもてる魅力かわが歌を歌としすればよき物に似る
  短小の定型の歌をわれ愛す言葉少く心足らはす
  わが国語あらむかぎりは亡びざる短歌形式われは重んず
 むかしから言われてはいるものの、やはり短歌は詩でありつつ、詩とはちがうもののようですし、文芸と呼ばれつつも文学ではないもののようです。いわば、詩のとほうもなく古さびた家。そこでは屋根も柱も床も、ありありと目の前にありながら、しんと冷えた空気の中に、むかしの歌人たちの肌の、ぬくもりではなく、ひたひたとした不可視の冷たさが、浮いて寄ってくる気持ちがします。人麻呂さんも、貫之さんもいる。小町さんもあそこに座っている。そんな中で、いにしえの人たちに見つめられながら言葉を使う境内が、短歌と呼ばれる処のようです。

■第四十一号(二〇〇七年二月十三日)
 キッチンに『入澤康夫〈詩〉集成』上下巻を置いています(箱がとってもキレイ)。
 日本詩の現代を創った、人を喰ったあの楽しい詩風が、1980年代に入ると生まじめさに堕落していってしまうように見えます。
 入澤氏の歳のせいか、ご本人の人生に起きた事件のせいか、時代のせいか、こちらの読み違いのせいか…
 やっぱり、人を喰っていない詩はいけません。
 人にも喰われなくなる。
 あんなに旺盛だったダンカイノセダイ周辺の詩人たちの作が、最近、ちょっと元気ないような。
 もっと人を喰ってもらいたいんだけど。
 もっと現代を喰ってもらいたいんだけど。
 ちょっと必要があって、このところジャック・プレヴェールやレイモン・クノーを見直していたら、やっぱり、惚れ惚れするほど人を喰ってくれていました。
 いろいろなかたちのものを書くので、どれが本音かわからない、とよく言われますが、早分かりふうに言えば、ぼくはプレヴェールふう、クノーふうかもしれません。もちろん、リチャード・ブローティガンふうでもあります。
 これらの詩人を楽しんできてもいない人たちに、「わからない」なんて、言われたくないもんだなぁ。

■第四十二号(二〇〇七年二月十六日)
 十四日は、すさまじい嵐の吹きすさぶ中、山の中の宿にいました。夜じゅう鳴り止まぬ風と叩きつける雨は、早春の宿にいるかぎり、なかなか趣のあるもの。晴れ渡った翌朝、マンサクの花を多く見ましたが、あんな嵐にも散らないつよい花だとは知りませんでした。
 今回の詩「戦後日本版『ヨハネ福音書』冒頭」はだいぶ以前に書いてあったものですが、今日届いた田中宇氏(国際政治ジャーナリスト)の記事を読んでいたら、最近の政治情勢に内容的にマッチしそうな様子なので、この号に掲載することにしてみました。参考に、田中氏の記事から抜粋して以下に引用しておくと…
「日本は、冷戦時代から、対米従属の国是を絶対視し、この国是を壊しかねないロシアなど他国との関係改善を実現させない「外交防波堤」的な諸問題を用意していた。ソ連との間には北方領土問題が、解決不能なものとして永続的に存在している。中国が「日中でアジアを安定させましょう」と非米同盟的な誘いをしてくると、日本の首相が靖国神社に参拝したり、尖閣諸島問題が急に再燃したりする。韓国の大統領が「日中の架け橋になる」と張り切ると、日本側は竹島問題を再燃させる。拉致問題、北方領土、靖国問題、尖閣問題、竹島問題は、いずれも日本にとって対米従属を維持するための外交防波堤である。日本政府にとって、これらの問題を何としても解決しないように微調整し、アメリカ以外の国からの誘いを断る防波堤として残すことが、国是の一部になっている。
 しかし今、日本の対米従属の国是は、アメリカの側から壊され始めている。6カ国協議のアメリカの積極性を見ていると、できるだけ早く東アジアを中国中心の非米的な地域にしたいと考えていることがうかがえる。日本がいくら外交防波堤を維持しても、防波堤の内部にいるはずのアメリカが、日本を含む東アジアから立ち去ろうとしているのだから、日本の国是は内部崩壊である(…)」。
 政治批評にも政治エッセーにもせずに、しかし、もちろん、八十・九十年代現代詩的なオタク自由詩にもしないで、スウィフトふうの皮肉とイロニーと、ホイットマンやギンズバーグの政治性と、オーデンの辛辣な現実直視とを混合させて継承するにはどうしたらいいか。冗談めかした戯言詩のかたちの下で、政治文学を復興させるにはどうしたらいいか…
 これもまた、愉しい課題。
 こんなことを思う時点で、現代にっぽんのほとんどの詩人たちとは、徹底的に乖離してしまいますね。
 でも、長い詩歌の歴史の中で見ると、なんらかのかたちで政治や社会を扱わないものは滅びるのが宿命(ただし、ジャーナリスティックなものはダメ。適切な抽象化とアレンジが必要)。どんなものを、どう書いていくかは、やはり古代オリエントあたりからの文学史に学ぶに 限るという気がします。
 ちなみに、ここで言っている政治詩や社会詩の代表格には、茨木のり子や石垣りんも入ると考えています。もちろん、あの素晴らしい谷川雁や、鮎川信夫や、田村隆一も。
   ひょっとしたら、ぼくは、「現代詩」を故意にすっ飛ばして、戦後詩に直結しようとしているのかもしれません。

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