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      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年七月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集 5
         [第七十六号〜八十三号・2007.9.22〜2007.10.11]


■第七十六号(二〇〇七年九月二十二日)
 下手なりに親しんでいるので、時間の少しある時など、日に一〇〇〇首は他人の短歌を読む。
 読みなれていても、一〇〇〇首を通過していく時の頭は、独特の酩酊状態に入る。歌の意味だの、感動だのは、もうたいした意味も持たなくなってくる。作者が配列した言葉の姿にじかに密着していくのでなくては、多量の詩歌の読書など遂行できない。
 詩歌の言葉との付き合いこそがセクシャルなのだと知っているので、日々、なんと淫蕩な暮らしか、とよく思う。なにをどう考え、どう表現すべきかなどということはずいぶん昔に思わなくなっていて、ただ言葉があり、その海に耽溺しているだけのことだ。他人が編んだ言葉か、自分が編んだ言葉か、そんなことは、いまさら気にもかけない。独創、創造、斬新、現代的…どれもくだらない。どんな出自であれ、言葉があるだけでいい。

■第七十七号(二〇〇七年九月二十三日)
 気まぐれに入ったつまらない古本屋で、河野多恵子の『谷崎文学と肯定の欲望』初版を見つけた。この本は今、全集以外では容易には手に入らない。状態がすばらしくよく、しかも五〇〇円だった。この本の価値を考えれば、タダのような値段である。手に取り、箱から出して中を確かめる時、心が震えた。
 近現代文学の書籍の値崩れはいま凄まじい。趣味の変化、ハードカバー本への嫌気、家に保存してきた世代の死去などの事情が重なって起こっている現象だと思われる。いっぽう、文芸の世界の流れとしては、今こそ戦後から高度成長期を過ぎるあたりの文学の再評価に大きく取り掛かって、この十五年ほどの物語の幼児化を覆すべき時でもある。文庫化もされない作品群の古本が安価に溢れ出している現在、文芸趣味の人間にとっては、まさに、底値での買い漁り時といえるだろう。作品価値のわからない売り手、古本屋というのは、こちらにとってはじつに貴重な存在ということになる。 

■第七十八号(二〇〇七年九月二十六日)
 個人的には、新しい首相のことを「ぬらりひょん」首相と呼んでいた。似ている感じがするのだ。
 ところがネットのニュースによると、中国のブロガーたちは「のび太首相」と呼んで、おおはしゃぎしているそうな。ドラエもんが大人気の中国では、のび太のことを「野比康夫」と呼ぶらしい。そういわれると、ちょっと長いけれども、顔ものび太に似ているような…「日本はドラえもんの時代に入った」とまで言っているそうで、…そうかなあ、ひょっとして、楽しんじゃっていいのかな。マンガ好きの麻生太郎が中国に手をまわして何か考えているのでは、とも思っちゃったりして。
 でも、「のび太首相」はぜったいに失言するぞ。政治とカネ問題はかならずまた噴出し、あれだけの派閥の親分たちを全面に出しちゃった以上、きっと面白いドタバタが展開していくはず。たぶん、オースティン・パワーズ並みになるだろう。松尾スズキ程度じゃつまらないのだ。
 ヤクザの親分みたいな古賀誠が久しぶりに全面に出てきてくれたのは、個人的にはうれしい。いかにも、という感じで、あれはなかなかの役者。赤城の山も今宵かぎり、などとコピーを入れて、着流しで抜刀した彼の姿なんぞを自民党のポスターにしたほうが、「のび太首相」のポスターなんかよりもよっぽどいいだろう。いくら、あらぬ方にむけて遠い目をさせてみても、「のび太首相」だと、どう見てもお笑いポスターになってしまう。
 いっぽう、世間では、仕事を無責任に投げ出して閉じこもったりしてしまうことを「安倍する」と言い始めている。わたくしはもっと早くから「安倍病」とか、「安倍シンドローム」などという表現を作って目指せ広辞苑していたが、まだまだ広まっていないのが残念。
 あのアカギ(農水相)のバンソウコウの頃から、安倍晋三の顔と『エヴァンゲリオン』の碇シンジの顔が重なって、どうしても「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と心の中でつぶやきがちに声援するようになってしまっていたものだったが、御本人はけっこうあっさりと、「あたしが死んでも代わりはいるもの」という綾波レイの心境に雪崩れていってしまったものらしい。
 合掌。

■第七十九号(二〇〇七年九月二十九日)
 宇野千代について書く機会があり、古書も含めて、手に入るかぎりのものは読んでみた。おばあさま向け、奥様向けと見える晩年の同工異曲のたくさんのエッセー集については、正直のところ、はじめは軽んじていた。しかし、読むにつれて、この人はやはり只者ならぬ魅力とエネルギーを持っていた人なのだとわかった。
 本当に、なんでも、読んでみないとわからない。力を集中させるために、人は読むものを絞ったり、考える対象を限ったりすることがある。当然のことだとは思うが、それが両刀の剣だということは、やはり片時も忘れてはいけないのだろう。価値づけという便法は恐ろしいもので、いま目の前にある何かを選ばない、認めないということが、明日の自分の世界の狭量さに確実に繋がっていたりする。
 読んだり、書いたり、会ったりということにおいて選択を完全に捨てたのは、もう何年も前のことだ。運命的に自分のところに来ることになったものは、本であれ、人であれ、問題であれ、テーマであれ、時間と体力の許すかぎりはすべて受け入れてみることにした。おかげで、すっかり何者でもない無能の人になってしまったが、しかし、自分が数年前までいかに狭く愚かだったかは、いま、よくわかるようになった。せせこましい理屈で世界を断じてみたり、なにかと忙しく価値評価を下してみたりという児戯がどんどん剥落していくのは、やはり気持ちがいい。つい先ほどまでの自分の卑小さがありありと見てとれる、―これほど喜ばしいことはないように思う。
 宇野千代をちょっと読んでみようかという方には、小説『薄墨の桜』(集英社文庫)と『人形師天狗屋久吉』(平凡社ライブラリー『宇野千代聞書集』所収)をお奨めしておきたい。ここに彼女の最高の成果がある。『おはん』や『色ざんげ』から入るのでは、久保田万太郎などをすでに読みなれていない現代の人間は、かえって宇野千代をつかみ損ねる可能性がある。ことに、アクの強い忘れがたい人物造形が丁寧に行われている『薄墨の桜』については、七十八歳であのようなコクのある名作をよくまぁ、と感嘆させられるに違いない。 
『人形師天狗屋久吉』については悔しい思い出がある。ある古本屋で、昔の素敵なハードカバーの、状態のいい版を見つけ、それもなんと400円程度だったというのに、たまたま手持ちの荷物が多過ぎ、疲れてもいて、見送った。再訪した時には、もうなかった。青山二郎の装丁本で、記憶の中でどんどんとよく見えてくる、そういう類の本だった。

■第八十号(二〇〇七年九月三十日)
 四月からフランス詩とフランスの歌の授業をやらねばならないことになったのだが、盛り上がらないテーマだから十人も来ないだろうと思っていたら、なんと一八〇人以上が来て、そこそこの大講義になってしまった。学生たちと、のんびりと訳読しながら進めていこうと思っていたのに、フランス語など入門もしていない一年生が一〇〇人以上もいて、しかもやめさせるわけにもいかず、計画なんぞは狂いっぱなし。扱う詩歌をすべて訳読し、カタカナで読み方までぜんぶに付して、しかもレイアウトに注意しながらの何枚ものプリントつくりで、毎回、八〜十時間は準備にかかるという壮絶な授業になった。教室に抱えていく印刷物が一〇〇〇枚を超えるのなど普通のことなのだ。なんのことはない、こちらにとってこそ凄まじい勉強と労働の機会となった。「秋の日のヴィオロンの…」とか「巷に雨の降るごとく…」といったヴェルレーヌの繊細なあれらの詩を、大声で大教室で叫んで朗読した時には、さすがに尋常ならざるとんでもない経験をしているのを実感した。
 後期の受講者数はさらに増えて、三二〇人を超えている。もう、演説会というか、なにかの一大パフォーマンスみたいなものだが、フランス詩歌というエサでこんな人数が集まるなどというのは奇跡。もちろん、単位がとりやすいとか他との重なり具合の都合などで集まっているにすぎないはずだが、こうなれば、集まったのをしっかり利用して、せいぜい広義の詩歌の宣伝に努める他ないだろう。寺山修司研究週間や吉増剛造週間、ジャン・コクトー自伝的映画いいとこ取り週間、ロマン主義時代の音楽特集+グレン・グールド録音風景堪能週間、マリア・カラス版カルメン全曲疾走週間などを経てきている関係上、すでにフランス詩歌などという枠組みを大きく逸脱しているので、この秋のはじめは、映画も来ていることなのでエディット・ピアフ再聴から入って、マルセイエーズ大合唱へ、そこからヨーロッパ的「声」の系譜を少し示すためにグンドゥラ・ヤノヴィッツの歌う「ワルキューレの騎行」を聴かせ、クリスティーナ・ドイテコムの「魔笛」の夜の女王などを聴かせ、そこからさらには日本の声を振り返るために、「会津磐梯山」や「ソーラン節」、「ドンパン節」、「八木節」、「斉太郎節」などの日本民謡をいくつも聴く、といったところから第一講義は入る。自然な流れとして、次週以降はアルトーの絶叫録音とケチャとガムラン録音の聞き比べや、土方巽の泥臭い語りをしっかり聴くなどというところへ流れていく。
 こうした中に、ひょい、ひょいと、まるでCMのように、ボードレールやランボーやロンサールやラマルティーヌやジャムやデボルドーヴァルモールやエリュアールを入れていく。いちばん大事なものは、CMのようになにげなく挿入しないといけない時代に、やっぱり、なっているようではある。

■第八十一号(二〇〇七年十月三日)
 井上靖の『楼蘭』『天平の甍』の初版本を買った。初版本蒐集家でもないし、井上靖好きでもない。彼の歴史小説はすでに読んでしまっている。まったく無用の買い物といえる。
 理由は簡単で、どちらの単行本も、字組みがとても美しかった。文庫で読んでも心を動かされなかった井上靖の字面が、単行本であれほど美しいのには驚かされた。平仮名の割合の極端に少ない『楼蘭』はほとんど漢文のようで、最初のページから息を呑んだ。単行本の字面の出来上がりを想って作者は書いたに違いない。旧字旧かなのすっかり消えた今の文庫本の字面など、想いの他だっただろう。『天平の甍』も旧字旧かなで、「鑑真」などという現代の漢字は使われていない。
 好きでないといえば、永井龍男なども好きではない。全作品を読んでみて、好きではないのを確認した。しかし彼の生前の単行本は今も数冊持っていて、ときどき開いては黙考してしまう。格別すばらしいことも書いていないのに、文章の字面に威厳があり、今現在の日本語ではなかなか到達できない姿が立ち上がってくる。
 書く時、永井龍男は多くのものを迂回し、触れないで進む。魅力はそこから来るのだが、永井の場合は迂回を悟らせない。吉行淳之介だと、迂回の様がもっとあからさまに見える時がある。レイモンド・カーヴァーだと露骨すぎる。
 文庫版がどれも悪いというわけでもない。今年はじめに出た安藤元雄編の岩波文庫『北原白秋詩集』(上・下)などは、見ているだけで十二分に愉しく快い白秋詩の特質をよく伝えている。文庫版では初めてのことではないかと思う。読解などといって、目くじら立てて悧巧ぶる悪癖に肩透かしを食わせるのには、格好の版のひとつだろう。

■第八十二号(二〇〇七年十月四日)
 『ぽ』が二〇〇号を迎えた。二〇〇〇年一月に創刊して、八年近くで二〇〇号。量的には少ないかもしれない。月に一号ずつと決めていた頃もある。他の詩人と歩調を合わせてゆっくりと進んでいた時もある。生活やその時々の思いが、発行の遅速となって現われた。
 以前に制作発行していた一九九〇年創刊の『Nouveau Frisson(ヌーヴォー・フリッソン)』は、二〇〇一年の一〇三号で停止している。廃刊したわけではないが、エネルギーはそのまま『ぽ』や『トロワテ』に移行したかたちになった。この先行誌もあわせれば、休止なしの三〇〇号余ということにもなる。もとより、無から無を一時つくりだすような作業にすぎないが、やはり、想いの外といえば言える持続ではあった。
 二〇〇号という数字に格別の感慨はない。三号であっても一〇〇〇号であっても、詩歌においては等価だと思う。詩歌というのは、つねに最後と目された言葉である。最後と目されつつ、更新されようとする言葉である。費やされた言葉数や記述形態は問題ではない。というより、本当はそれを問題にしてはならない。このことを忘れる人が多過ぎる。さらに言えば、詩歌は文学ではないということも、よく忘れられる。
 詩歌はどこまでも言葉であり、最後と目されつつ、更新されようとする言葉である。言葉には言葉の遇され方というものがあり、したがって、詩歌に滅びはない。停滞も、あるわけがない。

■第八十三号(二〇〇七年十月十一日)
 税金や生活費が上がって、細々と送り続けていた同人誌などが作りづらい、送りづらいという話も、ちらほら。
 ぼくだって、余剰のお金がゼロどころかマイナスになって、現実には買い物を大幅に控えざるを得なくなったし、お世話になった人たちへの小さなお礼などさえ、諦めねばならなくなった。
 こういう状況になってみると、数年前に大半をメール便に移行したのはよかったと思う。
 メール便なんて、だれも読まないだろうに…とはよく言われたが、郵便で送るものが読まれているなどとと信じるのは軽率だろう。開封さえされない場合が殆どだ、と考えておくべきだと思う。ぼくはかなりマメなほうだが、それでも郵便の開封は週に一、二回しかしない。したくても、時間がなくて、できないのだ。
 まわりの話を聞いていると、本を贈られても、まず読まない、という人が多い。開封しないで、そのまま資源ゴミへ、と決めている人たちもいる。
 だいぶ前だが、翻訳者Aと教授Bの席に居合わせたことがある。自分のものをよく読んでくれて、丁寧な感想をいつも手紙で返してくれるというので、翻訳者Aは教授Bに好意を持っていたらしい。しかし、席上、談たまたま外国作家Oの作品Pの話になり、教授Bは翻訳者Aに「あなたから贈ってもらったあの訳はよかったねえ。なかなか繊細な注意をして訳しているのがよくわかった。あれは疲れたでしょう」と言った。翻訳者は少し怪訝な顔をしたが、温厚な人なので、すぐににこやかな顔に戻って、「先生、私はPの翻訳はやったことはないですよ。Pは、それに、翻訳が出ていないはずだけどなぁ…」と返した。教授Bがいつも書き送っていた感想なるものの実態がどのようなものか、じつはぼくは以前から薄々知っていたのだが、翻訳者Aにも、この時、はっきりとわかったに違いない。
 まぁ、多かれ少なかれ、なべてかくの如し。お互いに、いかに読まないか、読んだふりをするかというゴッコ遊びをやっているようなものなのだろう。
 正直にものを読むのは、きっと、ぼくのような愚直な人びとぐらいのものだろうが、まぁ、読めばやっぱり勉強にはなる。読むと読まないとでは、その後の世界は確かに変わるのだ。
 それにしても、最近思うのは、もう文芸の出版の時代は、底知れぬほど深く、巨大に終わっている、ということ。
 詩歌など、すでに、ネット上に無料で作品が公開されているかどうかが問われる時代に入っている。
 本をどこから出しました、などと威張る時代は、創作の世界では完全に終わった。この点を正面から認識しない文学関係者は、床が腐ってどんどんと抜けていく古い家に旧主人然と居座っているようなものだろう。
 こういう時代の到来を、ぼくよりもよほど早く見抜いて先鞭をつけていた『Booby Trap』周辺の人びとに会っていたこと、そこからぼくなりの詩の書きようが出てきたのを、最近、とても誇らしく、幸せに思うようになっている。

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