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ARCH 63

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年七月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集 7
         [第九十四号〜九十九号・2007.12.2〜2007.12.17]


■第九十四号(二〇〇七年十二月二日)
 文芸の詩文のやりとりは、どこまで行っても一個人と一個人のあいだのものだと思える。同好の士か、ある程度以上の精神の融通性を持っていると見える人に作物を見せる。むこうも、むこうの作物を見せてくる。そのくり返しであって、媒体がハガキや手紙であれ、メールであれ、書籍であれ、根本はかわらないとわかっているところに詩文のひとの礼節がある。
 こんなことを長く続けているあいだに、詩文を見せてくれなくなってしまった人々が多い。死んだ人々もいる。疲れてしまったらしい人々もいる。しかし、まだ元気で書いていると思えるのに、もう作物を送ってくれなくなった人たちは、なにを思っているのだろう。なにを思っていないのだろう。
 彼らの思っていることがわからないほど、純真でも子供でもない。はじめから一直線に詩歌を選んだ人生ではなかった。汚辱と辛苦と緊張した心理戦に終始した前半生がある。ジェイムズやコンラッドやグリーンの世界こそがもっとも親しく感じられるのは、あのように生きてきたからこそ。
 少数の概念を混ぜ合わせて、なにも考えてなどいないかのようなシンプルさを演出する詩歌には、特定のカモフラージュ機能がある。この機能の磨き上げは、怠るべきではない。詩文に関わる意義は、この一点でも十分すぎるほどある。
 先週、電車のなかで見知らぬ大学生がその友人に吐露していた。「おれは、このネット社会でやっていく自信はない。おれにはムリだ。次々と新しい機器が出てきて、新しいやり方がでてきて、そのどれにも通じているふりをしなきゃならないんだ。おれにはダメだ…」。
 そう、まだまだ無限に続いていくそんな社会と時代だからこそ。

■第九十五号(二〇〇七年十二月六日)
 どんな墓碑銘も堂々としている。
 書く欲望の根幹はあれではないか、と思う。
 文字で堂々と見得を切ること。
 むろん、文字そのものには、つねに誰の署名も歴史もないのである。
 そういうもので見得を切ること。
 殊に日本語は、一人称を蕩かし、二人称をぼかし、三人称さえ靄に包むことを求めてくる言語なので、それらの人称をはっきりと声高々使える使用環境には強い魅力が発生する。すなわち、「文学」。
 日本の場合、「文学」の誘惑というのは、語りや世界創りの欲望以前に、一人称から三人称までを堂々と使いまわしてみる快楽にこそ発する。西欧の個人主義やデモクラシーとともに入ってきた「文学」に対する日本人の欲望は、本場の西洋人がそれに抱く欲望とはかなり異なっているはずだ。
 (…「私」はまた、なにを書き付け出しているのか…)
 西洋では、「文学」と国民国家生成と民衆自我の関係は、扱いの手際如何で微妙に異なる結果が出て来ざるをえない相当にスリリングな第一問題であり続けているはずだが、国民国家概念や「文学」形式がいわば「散種」され、「派遣」されてきた日本の場合には、「文学」はそもそもから、歌舞伎における「世界」のように、あるいはまた、現代のアニメ、コミック、ゲームのキャラクターやアイドルの背景に壮大な規模で重層的に、リゾーム的に、あるいはまたデータベース・モデル的(東浩紀)に広がる「大きな〈物語〉あるいは秩序」(大塚英志)のように、あくまでも直接性を否定された一種神学的対象ともいうべきものとして、いや、いかに対象化しようとも、じつは容易にはそれさえ叶わぬものとして、ふいにそこにあった、という事情がおそらく加わる。だとすれば、いかに日本近代において「文学」が、心的不良債権処理場ないしは心的エネルギーリサイクル施設の役割ばかりを付与されたかに見えようとも、もともと組み込まれていた非直接性と対象化不能性のゆえに、現実には遥かに怪物じみた通次元性、ワープ性のごときものをかなりの程度獲得してしまっているのではないか、その恐るべきエネルギーにアクセスする入口がたまたまわからないでいるだけなのに、「文学」の「終焉」や「陥没」や「崩れ」などと口走って、その口走りで一時の景気をつけて自棄酒を飲んでいる振りをしてみているだけなのではないか、とも思える。
 もちろん、「文学」欲を、四人称や五人称への根源的欲望として捉え直すのはやぶさかではない。「文学」が国民国家やその中での民衆自我とともに展開してきた以上、四人称や五人称への「文学」的進行は、四人称や五人称の政体への進行を伴わざるをえないだろうか。

■第九十六号(二〇〇七年十二月七日)
 トロワテ四十八号に再録した円地文子についての文を以て、一応、ある商業誌から頼まれた連載の責は果たしたことになる。日本の詩歌ときもの、近現代の女流作家ときものといったテーマで連載を書き継ぎながら、他にも仕事や雑事を抱えてのことなので、この数年はただ追われる一方だった。
 好き勝手に自分の言葉で書くのと違い、商業誌掲載の文には厳しい制約がある。はじめ、常体できりりと引き締めたつもりの散文を出したところあっさり衝き返され、「敬体で、もっとわかりやすく、もっとやさしく」書き直すように求められて参ったが、これも文体練習のひとつと思い直して全文を改めた。内容的にも抑制を余儀なくされ、表現上の背伸びも突き抜けも禁じられ、字数も少ない文章ながら、どの文の場合にも五から十のヴァリアントは作り、そのうちから選んで入稿し、あれこれと批判を受けた上で、細部に至るまでの大変な数の直しを受け入れ、時にはこちらの主張を押し通し、なんとかその雑誌のカラーに合う記事になっていく。ストレスの極めて多いこうした作業を受け入れながら、いったいどのくらいの自由詩詩人たちが、こんな抑圧的な文章表現作成に耐え切れるものだろうかと考えた。短歌という制約表現の極みに馴染んでいたのは、私には幸いしたかもしれない。字数や文体やテーマを制限されるほどにやりやすくなるのは、哀しい奴隷筆耕の性ともいえそうだが、言語表現者にとっては、どこかで十二分に経験しておくべき必須種目には違いない。
 幸田文、有吉佐和子、宇野千代、そして円地文子と、どれも以前からの宿題となっていた大女流作家たちと正面から取り組めたのは嬉しかったし、やりがいがあった。書くのがいかに小文とはいえ、数十万単位の読者の目に触れる可能性がある手前、どの作家についてもほぼ全体像をカバーせねばならず、全集を隈なく読破はできないまでも、七、八割がたは頭に入れておく必要がある。なにかについて書く時には、以前に読んであっても役に立たないので、当然はじめから読み直さねばならない。必要とされる読書量たるや、私のようなのんびり屋には苦役以外のなにものでもなく、来る日も来る日も気息奄々というふうだった。ことに、今年の夏、円地文子の徹底して重い夢幻世界を抱えながらの真夏日の終わりの見えない量の読書は相当に応えた。評論家たちなら難なくこなしてしまうような作業なのだろうが、元来が花よ蝶よという三文詩人気質なのだから、かかってくる負荷はただ事ではない。方々の古本屋めぐりも復活したし、ネットで調べたり買える書店をずいぶん試すことにもなった。
 もともと、『源氏物語』や『更級日記』といった古いものから現代のものに至るまで女流作家のものは肌に合うところがあり、暇があると読んできていて、ぜひ女名のペンネームで女流として小説を書き上げていきたいと倒錯した思いも持っているのだが、今回の連載の過程で集中して読み直したり新たに読むことになった中で、有吉佐和子と円地文子には別格の深い衝撃を受けた。有吉の構想力の本格的な大きさ、晩年の円地の重層的で入り組んだ想念操作への感嘆は想定以上のもので、今後、何度となく立ち戻り、こちらの身に浸透させていかなければならないものとなった。
 円地文子が現代語訳した源氏まで読み直すことは今回はできなかったが、彼女が若い頃から、意味もよくわからず何度となく源氏原文を読んで、そうして後年ああした訳を完成するにあたって、はじめて意味のわかったところが幾つもあったと語っている文章を、中学の頃に読んだことがある。素読に通じるそうした読み方をとても自然なよいものに思い、私も生意気に原文ばかり読むようになった。高校受験の頃にいつも抱えていた平家物語や枕草子の分厚い注釈本が、たまに懐かしく思い出される。日本文学だけを読んで古文の先生をして生きのびていこうと思っていたあの頃からは、思えば、ずいぶん逸れてしまった…
 源氏といえば、最近文庫化の終了した瀬戸内寂聴の源氏物語訳は、たとえばセリフの口調選択などに俗といえば俗な部分があるものの、ストレスのきわめて少ない稀に見る秀逸流麗な訳で、現代の小説のような読みやすさとなっている。いかに世評が高くとも谷崎訳がすでに非常に読みづらく感じる時代になってしまっているのを思えば(それにしても、谷崎はなぜ、『痴人の愛』や『細雪』の文体で源氏訳を拵えてくれなかったものか…)、寂聴の業績には偉大なものがある。せめて現代語訳で読もうと思いながら挫折を繰り返しているという人には、よく、寂聴訳を薦めるようになった。
 やや特殊な伝本を使用しているそうだとはいえ、個人的には岩波文庫の山岸徳平校訂本がやはりいちばんの馴染みだし、現代語訳では講談社学術文庫に入った今泉忠義訳を好ましく思っている。巧いとはお世辞にも言えないような、教室での訳読を思わせる素朴な口調の今泉訳だが、助動詞や助詞、敬語の関係性、つねづね問題になる動作の主語などまでも誤魔化しなく厳密に提示している点、原文読者が先ずもって参照すべき訳業と思える。「なかなかの色白で、愛らしく丸々と太って、背も、この体つきからは高い女で、頭髪や額髪も地膚が白いだけにくっきりとして、目もとも口もとも愛嬌があって、派手な顔かたちだ」(夕顔)といった訳文は、訳者が下手に文体創出を心がけていないからこそ、原文に最も近いかたちでの単語配列を体験させてくれる。それに、いかにも文法語法重視の訳読といった趣のそっけないセリフで光源氏が語るのを読んでいると、逆にこちらの内的な文体でいかようにもアレンジができ、かえって自由な気分にさせられるものだ。現代のどこかの男の口調のような寂聴訳の光源氏では、残念ながら、こんなふうにはいかない。

■第九十七号(二〇〇七年十二月九日)
 人としていちばん愚かなのは転生輪廻などないと思って生きていることで、そんなことをしていては他人にも自分にもひどい借りを拵えることになりかねず、危うくもあり、哀れでもある。
 すこし注意すれば輪廻の証拠などいくらも見つかるのだが、私の知人である或る女性のように歴然たる証しを持って生まれてきたような場合には、また格別の定めのようなものがあるのだろう。
 その人は誕生の時に両手の親指のつけ根に本当の金属製の小鈴をくっつけて生まれてきた。胎から出たばかりの嬰児が腕を動かして泣くたび、分娩室に小鈴のすずらかな音が響いたという。医師は驚くより慌てて、早急に小鈴を取り除く小さな手術を施した。  このことはその人が物心ついても秘密にされていたそうだが、死の近くなった時に祖母が本人に告げた。そうして、「お父さんには言ってはいけないよ。お父さんにはお前が誰だかわかっているのだから」と付け加えた。その人の父親は若い時、密かに実姉と愛しあった。祖母はそれに気づいたらしい。父の姉は中年にならぬうちに肺病で亡くなったが、死ぬ前に、はっきりと自分の生まれ変わりとわかるようなかたちで、またこの家に生まれてくると父に告げた。
 そろそろ五十も近くなるというのに独身で、その人はいまも父親と同じ屋根の下に住み続けている。会ったこともない伯母の写真をときどき見ると、深い谷に吸い込まれていくように、見ている自分が誰かわからなくなるという。前世の記憶のようなものはうっすらとも浮かばないが、幼稚園に入る以前から、自分はなにがあっても結婚せず、ひとりで親とともに生きていくという確信のようなものがあった。
 親しかったので、その人とはよく話し、親指の付け根の傷痕も何度も見せてもらった。傷痕ともいえないような小さな半円の痕だが、ちゃんと両手の同じところに付いている。こうしたリアルさというのは、実際に目の当たりにすると、なんだかよくわからない気持ちになる。「こういうのが奇跡っていうものかな…」と、はじめに見た時に言ったような気がするが、その後に見せてもらった時には、同じことを思っても、もうくり返さなかった。
 小鈴はどこへ行ったか、わからないという。父親がしまってあるのかもしれないが、仮にそれが出てきたとしても、両手の小さな傷痕のようにわからない気持ちにされるだろう。物というのはそういうものなのだ。解決のようなものは、いつも心の中にしかない。

■第九十八号(二〇〇七年十二月十五日)
 先回のこの欄に書いた輪廻の話は、あれは実話。問い合わせもいただいたけれど、あれは実話。実話の底の底まではこちらにも保証できないけれども、伝承された時点までは、少なくとも実話。
 授業でランボー詩といろいろな邦訳とを比較して提示する機会があった。
 小林秀雄も中原中也も、正誤はともかく、それぞれの名調子を編み出していていいものだと再確認する一方で、しかし、ランボーに多出する代名詞のわからなさなどを巧妙に迂回しすぎだと、やはり思った。ランボーの詩は、十分なコンテクストが排除されている場合が多く、やはり、「彼」だか「それ」だかわからなかったり、そのレベルで判別がついても内容までは確定しかねることが多い。そういうわからなさを一語一語、こちらが抱え続ける行為こそがランボーを読むということなのだと思わされる。いうまでもないが、わからない、と思い続けることこそが詩の可能性を支える場合がある。浅いレベルで意味の星座をこしらえてしまおうとするのはよくない。ある理解平面におけるわからなさというのは、つねに次元拡大の欲望と方法意識の焦点なので、わからなさのエネルギーを最大限に生かした付き合い方を努めなければならない。「わからない」時にこそ、もっとも詩歌のエネルギーにじかに触れている。文芸や芸術の要諦は、エネルギーにどれほどじかに触れられるか、にしかない。
 授業用には、味も魅力もない直訳を手製で準備し、いっしょに提示する。なるべく原詩に近い言語配列(意味の小グループ配列)で。すると、飛び石のように配置された訳語が、被切断力とでもいうものを発揮して、突然つよく震えはじめたりする。そんな時、ああ、ついに出会えた、と思うことがある。偏見やわかったつもりの思い込み、常識とされている文学史・文学研究的物語、訳者たちの口ぶりなどを取り除いて詩歌を眺め直すには、むずかしいというより、運命のめぐりあわせにも似た迂路が必要とされる気がする。
 偶然から今週、石原吉郎の『禮節』を見直したが、
  きみは馬を信じなくては
  いけない 馬は
  激烈で
  明快な時間だ 
        (「時間」)
 などというのに再会すると、洗浄効果の強さにいまだに驚かされる。こうした洗浄を重ねながら、またランボーなどに向かうと、やはり、ようやく気づくものがあったりする。
 読解なるものは、本当に恐ろしい。落とし切っていない心、剥がし切っていないまなざしで見てしまっていないか。そう思う内心に、たとえばアンリ・ミショーがまるごと課題として再浮上してきたりする。終わりのない読解の迷路。

■第九十九号(二〇〇七年十二月十七日)
 十一月から十二月に開かれていた「日中現代詩シンポジウム」についての記事を読んでいて(本日の日本経済新聞朝刊)、驚かされた。日本側からの詩人には、あまり注目すべき詩人はいないので、これは廃兵院の集会なのかと思った。
 こんな集会やシンポジウムの知らせを見るたび、こちらの詩観や詩意識と平成日本の世間+マスコミのそれとの間の、拡大する一方の埋めがたい懸隔に直面し眩暈がする。極端なまでに受容レンジは広いつもりだが、そういう私から見てすでに脈の上がっている旧詩人やそれに追従する詩的官僚型の中年・若年たちが日本詩を体現しているかのような偽光景には、味の抜けたぱさぱさの古米を美味なものとして突きつけられているような感じがする。詩歌の世界の偽装は、他のどんな業界の偽装にも増して早く始まり、少なくとも十年、十五年以上は続いているのではないだろうか。詩における偽装とは、現代の情念の溶解や思考法の激変をまったく汲み取ろうとする意志のない怠惰なエクリチュール行為ということである。
 この記事の出ている日経には、サブプライム問題以降信用下落の顕著なドル、そこから多量のマネーが流出している先のユーロなどについて見取り図を更新するのによい記事が幾つか出ている。トルコ軍のイラク爆撃も始まった。私が詩と思える詩は、真偽の選択もできず対応の方途もつかぬまま、これらの文字・映像情報を見えるがままに見、受取り、意識内での避けようもない反応を生きることからしか発生しない。経済・政治・社会問題などを内部に鬱積させたまま、時おりはなんとかメタレベルの小さな丘に上って息をしようとする行為を詩作という。
 個々人の経験や感情や思想こそが詩行為の源泉ではないか、と? なにをいうのか。消費者や納税者としての経済的一端末である「個人」以外、もう、「個人」など何処にもいないではないか。現在世界を見舞っている精神的激変の中では、個々人の内面や関心、欲望など、もはや古新聞のようなものでしかない。「個人」はとうに終わっている。「個人」を表現しようなどという詩は、その理念自体が老醜を晒している。そもそも、「表現」なるものも、とうの昔に滅んでいるはずだ。 

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