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ARCH 71

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年七月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集 15
        [第一四七号〜一四九号・2008.6.19〜2008.6.27]


■第一四七号(二〇〇八年六月十九日)
 大学院時代の後輩のひとりに偶然会った際、短歌の授業を受け持っている話をした。小説などと違い、ほとんど短歌は読まれていないので、いろいろな秀作短歌を多量に読んでもらっていると言ったら、「でも、学生は創作がしたくて来ているんでしょ?読ませるより、創らせたほうがいいんじゃないですか?」と言われた。こういう考え方をする人が大学で教えているんだから、大学もレベルが落ちるはずだと思った。
 たまに短歌好きでよく読んでいる学生もいるが、たいていは高校までの国語で出会った歌しか知らないし、よくても、俵万智や穂村弘を読んでみたら興味を持ったという程度。その後、進んでいろいろな歌人を読もう、とはならない。そういう気持ちも、もちろんわかる。若い時、ある作家にハマルと、しばらく他の作家に対して閉じてしまうということが起こるからだ。
 こちらも、そういう状態を否定はしない。俵万智や穂村弘や枡野浩一ふうでいいから、どんどん真似して作りなさい、と勧める。しかし、彼らはあの作風をでっち上げる前に、とにもかくにも古今の名歌を渉猟している。
あの作風以外のものも作れる。いわば、トマトでも芋でもヒマワリでも玉蜀黍でも作れる土壌を内部に持っている。そこが違う。ミニトマトしか作れない土壌で、ミニトマトだけを作ろうとする学生たちの場合は、続けるうちにどんどんと作物が細っていく。
 だから、数年間授業をするあいだに編み出した、特製最短短歌力養成コースを勧めることがある。
 @教科書として、斉藤茂吉と佐藤佐太郎を読み、筆写せよ(短歌におけるソナチネやツェルニーにあたる。というより、モーツァルトとハイドンか)。
 A万葉、古今、新古今はとにかく読み通す(時間はかかってよいし、意味もだいたいでよい)。
 B平行して、近現代短歌の以下の歌人たちを数十首以上熟読玩味。とりあえずは、正岡子規、若山牧水、与謝野晶子、北原白秋、折口信夫、土屋文明、窪田空穂だけでよい。
 C現代短歌の以下の歌人の作品を数十首以上ずつ読む。前川佐美雄、葛原妙子、寺山修司、塚本邦雄、山中智恵子、岡井隆、馬場あき子、春日井建、佐々木幸綱、永井陽子、安永蕗子。くわえて、斉藤史、山崎方代、、築地正子、中条ふみ子、河野愛子、富小路禎子、高野公彦、伊藤一彦、、河野裕子。五島美代子。
 @からBは家で毎日計画的に平行して進め、Cは通学時出勤時に外で読む。たぶん、半年もあれば、あくまで一通りだが、ほぼ終わるだろう。ここまで終えたら、後はどう進もうとかまわないし、どう進んでも価値があるようになっていく。もちろん、こういう行程を辿るうちに、お気に入りの作風に出会えれば、そこで数年間留まってもよい。
 こういう心構えや入門的段取りを教えなければ、短歌の授業などする価値はない。好き勝手に作らせて当意即妙の批評会をやって、それなりに仲間内で芸を磨けたとしても、短歌の場合、そういう一発芸の芸達者が活躍できる舞台は全くない。古典短歌や近代短歌に通じたクラッシックな装いや振る舞いのできる歌人でなければ、歳をとるほど居場所がなくなる。穂村弘や枡野浩一らとともに拓かれたかのようだった新たな短歌の場は、すでに廃れ、閉塞の度を強めているし、古典や近代短歌の素養もなしにそこに集まった若者たちは、短歌世界で新たな派閥を作ろうとした人物たちに体よく利用されただけだった。派閥を作るべく動いていた連中は、いざ潮の変わり目となれば従来どおりの短歌世界に戻ればいいが、たいした素養もなしに集まった若者たちは、そこで捨てられて終わりである。そんな若者に何人も会った。彼らのぶっこわれ短歌を、短歌世界はそうやすやすとは受け入れない。ふたたび保守化してきている短歌世界の、なにより編集部サイドが、保守的な姿の短歌を求めるようになってきている。こういう中で、機を見るに敏なかつての指導者たちは、急にクラッシックな歌に鞍替えしてのうのうと歌人活動を続けていく。若者たちは、表現界への突き抜けを封じられた大衆の海に没していく他ない。がんばれば、なんとかケータイ小説でもかけるかどうか。そんなところか。現代日本の表現の世界は、開かれているように見えながらで、じつはひどく規格化されているから、三十一音も韻律もぶっこわした短歌の革新を信じて進んだ若者に未来はない。自分たちでマーケットを作る他ないが、そのためにはホリエモンのような別の才覚とエネルギーが要る。
 外国語の勉強をはじめて、動詞の現在形もいい加減な段階で会話を教えろ、と言われたら、語学の先生たちはどう答えるだろう。学校の授業などそれでいいじゃないかと言うのなら、学校など要らない。どんどん要らなくなるだろう。無意味に細部にこだわるのはよくないが、幹をつねに明快に示しつつ、枝葉の最低限の構造は教えなければならないだろう。潜水の授業なら、現実に潜水をする学生が、とにかく事故死だけはしないような教え方をするはずだ。
 短歌に興味を持った若者が短歌的横死を遂げないために… 要は、無限に基礎体力をつけ続ける意志を持たせるということだろうと思う。「ありたきことは、まことしき文の道」(吉田兼好)ということか。苦労して、再三、万葉・古今・新古今を読んでも、この人生ではそれを生かす機会はついに訪れないかもしれない。それでも読み続ける、学び続けながら、自分の歌を練り続ける、そういうところにしか教養というものは生起しえないし、そういう人がどれだけいるかが、おそらく文化というものの質を決める。
 目先の役に立つものを大事にする、せざるをえないのは、現世に生きる人間の悲しい性だが、そればかりではいずれ目先の命さえ細る。これが、歴史から得られてきた人間の智恵の基礎だったはずだ。アランは、遠くを見よ、と学生に言っていたという。吉川幸次郎なら、「無用の事を為さずんば何をもって有限の生を尽くさん」(朝日新聞。一九八八年十二月二十三日夕刊)と言うだろう。大学で習ったある先生は図書委員だったが、「これだけ厖大な本を買うのは無駄のように見える。それほど利用されているともいえないし。しかし、大学の本というのは十年にたった一人が利用すれば、それでいい。それだけで無限の価値がある。大学というのは、そういうところだし、そういう本の買い方をし、そういう人の育て方をするところだ」と言っていた。大学で落胆させられることの多かった中で、これは忘れがたい言葉となって、今も記憶に残っている。 

■第一四八号(二〇〇八年六月二十二日)
 今回の詩篇には多少の卑語が使ってあるので、スパムメール扱いになる場合が多いだろうと思われる。サンドラールだのギンズバーグだのウイリアムズ、ドーヴィニェやロンサール、凡河内躬恒、小野小町などといった危険かつ不愉快な卑語だ。
 世界中のあらゆる電子メールは、すべてペンタゴンに届くようになっており、そこで記録、分類、整理、非ブッシュ主義者認定がなされるそうだが、今回の詩篇では、ブッシュ主義者が快く思わない用語を快く思わない使用法で用いてもある。
 もし万一、どなたかにこのメールが届きでもすれば、二重の網を偶然潜り抜けたことになるわけで、ブッシュ主義者側にとっては由々しき事態ということになろう。私が、そういう漏れ抜けの調査をアメリカ政府から請け負って、日頃の詩歌メール便を配信しているわけでない、という保証もない。
 もちろん、ほとんどの方々は日頃のこのメールを廃棄する設定を自主的になさっているだろう。さすがに、その第三の網まではクリアすることはできまい。

■第一四九号(二〇〇八年六月二十七日)
 金曜日は毎週、郊外のあまり出来のよくない学生たちのところへ行って授業をする。出来のよくない、などと言っては失礼かもしれないが、彼らの多くは、ろくに高校受験の勉強もせずに低空飛行をしてきた人たちなので、ふつうの意味でのお勉強となると、やはり出来がいいとはお世辞にも言えない。大学には本来行けそうもないような、そんな学生たちをかき集めてきて、かたちばかりの入試をし、巨大なゲタをはかせて合格させることで、毎年ぎりぎりで運営している学校なのだ。
 本当なら二十五人以上来るはずの教室に出てきているのは、十二人ほど。来ていても、半数は机にうつ伏して寝ている。指定したテキストを六月になっても買っていない者が数名、買ってあっても忘れてくる者が毎回五名以上。ひとりの女子はなかなかの美人さんだが、来るそうそう靴を脱いでイスの上に胡坐をかいたり、膝を抱えて体育座りをしたり、他のイスに足を伸ばしてケータイを見ながら授業に参加(?)する。もちろん、ジュースとお菓子はしっかり机の上に準備してある。以前など、ズボンを脱いでシャツを直しているので、「こらこら、教室でハダカになるんじゃないの」と注意すると、「え?え?え?、大丈夫だよぉ、ハダカじゃないよぉ、見ないどいてぇ」と気にしない様子だった。他のもっとマジメな女子は、かならず一番端っこに座って、こちらが説明したことや読み方などは細かくメモしてくれるが、九十分のあいだ、けっして顔を上げない。チェーンにカギをじゃらじゃらぶら下げ、ズボンを股より下に降ろして穿いている数名の男子は、来たかと思うとふいに退出し、帰ってくることもあれば、来ないこともある。
 四月から休んでいた男子が、先週、ひさしぶりに来た。どうしていたのかと聞くと、朝八時までの深夜バイトがあって、どうしても金曜の日中は起きていられなかったという。授業中寝ていてもいいから、とにかくこれからは来なさい、と彼に釘をさす。寝ていてもいいから、というのは甘く聞こえるだろうが、この学校では、休み始めると、かなりの学生が閉じこもりになり、あげく、退学していくようになる。学食で食べるためだけでもいいから、学校に来るようにさせる。これが大事なのだ。この学校を卒業しても、今の日本社会では、彼らには苦労しか待っていないのは目に見えている。しかし、卒業しなかったら、いっそうの苦労が待っている。
 この学校で教え続けてきた結果、テキストの例文や単語を黒板に二十センチ以上の字で大きく書き、読み方をすべてに付し、説明を終えたら、次の例文や単語をおなじように書き…、という方法をとるようになった。テキストは、買っていないか、忘れてくるかで、毎週、まず半数の学生が持ってきていないから、けっきょく、黒板にすべて書くほうが早いという結論に達したのだ。文法用語も、そのまま安易に使いでもしたら、彼らの頭は混乱する。間接目的補語などを知らないのは当然としても、去年はついに、代名詞を知らない学生たちが出現した。主語や動詞などといった言葉も、理解という点では、かなり怪しそうな雰囲気がある。これはつまり、ほとんどの市販の語学教科書が使用不可になりつつある、ということを意味している。
 先日、黒板に向かって、ある文法事項をわかりやすいが上にもわかりやすくと苦心しながら図示して、ふと振り返ると、学生全員が眠っている、そんな瞬間があった。顔をこちらに向けたまま、それなりの頑張りを見せつつも石化したように睡魔の手に陥ってしまっている学生たちもいて、それはそれで健気ではあったが、教室でまったくひとり、目覚めたまま活動している自分を発見した。  明るい教室のなかで、人数はそれなりにいるというのに、起きているのは、ひとり。窓から見える空は青く、遠くに森や原っぱが見えて、なんだか啓示の瞬間のようだった。急に思ったのは、これらの学生たちは、ひょっとしたら以前、過去世で裕福な貴族たちかなにかで、一度も自分で苦労してなにかをやるということをして来なかったのではないか、ということ。彼らがどうしてこんなにけだるいのか、どうしてこんなにやる気がないのか、どうしてこんなに学ばず考えようとしないでいられるのか。ようやく謎が解けたような気がしたものだった。

■第一五〇号(二〇〇八年七月三日)
 しばらく、身辺の簡素化を続けている。
 物質的にも、精神的にも、感情的にも。
 机上も、カバンも、手帖も。
 机の前、少し上のほうに貼ってあったものも取り去り、白い壁のままにした。
 思いついて、以前手に入れたインターナショナル・サミュエル・ベケット・シンポジウムのポスターを貼ってみた。サングラスをかけた晩年のベケットの大きな顔が写っている。背景は黄色。
 これが、なかなかいい。白い壁のままより、いっそうの空白を感じさせる。

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