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ARCH 73

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年 七月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




『メモとかんがえ』集成 2
            [20080518〜20080601]


■メモとかんがえ20080518  ルールだけは、いまでもあるらしい。あるだけ。いわゆるシュウカツ、就職活動についてのルール。
 日本経団連の「新規学卒者の採用選考に関する企業の倫理憲章」によれば、「正式な内定日は、十月一日以降とする」のらしい。いちおう、これがルールらしいのだが、「正式な」というのは、もちろんクセモノだ。そもそも、「内定」なる言葉には「正式」は似合わない。内々の、正式でない、非公式の、というニュアンスが凝り固まってできているはずの言葉。それを「正式な内定日は」云々と使うのだから、海千山千の「日本経団連」らしい。こういうモノとつきあう時には、いろいろな意味で「らしい」を多用したくなる。「日本経団連」に属していない企業となると、もう無法を地で行っている。
 それにしても、なにが「正式な内定日」、なにが「十月一日以降」だろう。シュウカツは大学三年生時点から開始されていて、四年生の春になっても「内定」をもらっていない学生たちは「まだ決っていない」と焦って、方々の会社説明会や試験や面接に毎日のように出向く。当然、授業には出られない。はじめだけ顔を出したかと思うとぱったりと来なくなり、たまに現われたリクルート姿に「シュウカツだったもので」と弁明される。
 昔なら「そんなことは関係ない」と先生に怒られたものだ。十年ほど前までは「就職協定」が生きていて、四年生の夏休み前まで、かたちの上だけではあっても、企業はいちおう採用活動を自粛していなければならなかった。なにかがかたちだけでも存続しているかどうか、というのは大きい。協定が廃止されてからは、前倒しに次ぐ前倒しで公然と採用活動が行われるようになった。大学も企業だから、就職率が上がらないことには学生を集める宣伝材料に事欠くことになる。「そんなの関係ない」というセリフはいつのまにか企業側のものになって、いまではやりたい放題。講義や演習やゼミのあるはずの平日の日中に、堂々と説明会や試験や面接を設定してくる。学生ならまず勉強を優先させなさい、というのはとうに死語になっている。
 三年生や四年生の登録が多い授業は、ときにはインフルエンザやはしかの蔓延時さながらの様相を呈する。一回の授業で完結するように浅く設定・加工した個別テーマを扱うテレビ番組型講義ならば、なんとか抗しうる。しかし、知識や論理を積み上げたり、継続して議論を追っていくタイプの授業は崩壊する。どのような勉強であれ、月に一度や二度だけ顔を出して済むほど甘くはない。出席数のあまりの少なさ、テストやレポートの出来の悪さは、もちろん不合格を招来する。しかし、公正厳格なよき教員が、いかにもまっとうに不合格判定をしようものなら、教務から内々のお話が来る。あの学生はどこそこの会社に内定したのだが、なんとか特別に課題を出して再判定をしてはもらえないでしょうか。こういう場合の課題とは、シュウカツのために人並みはずれて勉強しなかった学生たちだけのための、思いっきり下駄を履かせた再テストや特別レポートを意味する。教員はわざわざ、こういう学生たちのために授業やテスト期間以降に学校に来て、付きあわねばならなくなる。特別手当など付かない。まじめな学生たちや優れた学生たちに注ぐ以上の労力を、ろくに授業にも来なかった学生たちにばかり注がねばならなくなる。外国人講師など、いったん帰国したのを呼び戻されることさえある。薄給のゆえに時給に敏感にならざるをえない非常勤講師たちは、内心、切歯扼腕して、金にもならない授業外出勤をする。
 どうせ大学の授業なんて…という思いが、だれの頭にも浮かぶ。仮に休まず出席したところで、なにかの学科の核心が本当に身につくわけでもない。人文科学や社会科学の講義は、最良の場合でも教員の解釈を不完全に聞かされるに過ぎないし、語学はいかに勤勉にやろうとも、所詮、週に一時間半、これでは概要をなんとか見渡せるかどうかというところ。それも一年がかりという超スローペース。授業などに出ずに、ひとりで短期集中的に独習したほうが絶対に効果がある。
 社会の全域に蔓延しつつある企業論理的思考と消費者論理的思考は、大学の教育にいっそうの縛りをかけてくるだろう。語学の授業ならば、期末にはさまざまなレベルの国家試験を課して、一定以上の合格率を保証できない授業や教員の交換を大学に義務付けてくるに違いない。そればかりでなく、すべての教養科目にも国家試験を課すことで、同じ義務付けをなしうる。学生の怠慢やセンスのなさなど問題にされなくなる。お客様は神様なのだし、ある授業に出るということは、大学や教員が学生に確実に知を注入してくれるのが保証されるということを意味する、というふうに論理構築がなされていく。これによって、怠惰にもほどがある一部の教授たちが廃されるのは、もちろん慶賀すべきことではあろう。また、この程度の社会の論理を覆す逆論理を構築し、普遍化できないようでは、いかなる大学の存在理由かということも、もちろん問われねばならない。
 いっぽう、企業にも逆攻撃は不可能ではない。企業は利益という成績表で徹底的に判定されることになっている。業績の悪化した企業や停滞している企業が、新卒採用において不利になるような制度を作るのは、そう用意ではないものの不可能ではないだろう。四年生が夏を迎えるまでは説明会も試験も面接もできないような法律を作るのは確かに困難だろうし、シュウカツ学生組合やこの点における大学の連合というのも、社会主義のよき部分の完全な崩壊過程にある現代日本においては、おそらく無理だろう。しかし、わずかな不祥事や商品欠陥の発見時における企業バッシングの規模の大きさには、消費者側の企業への怨念の巨大さが見え隠れしている。それをうまく起動させるのは、やはり不可能事ではない。

■メモとかんがえ20080520
 いつのまにか詩を読むようになり、書こうとしたりもするようになった人間には、ジャン・コクトーの重要さは看過できないものとなっていく。彼の抱えていた問題のほとんどを、いまだに詩の人々は共有し続けているに違いない。コクトーは、詩の愛好者たちが老いに入っていく頃、懐かしく、切実に、内部に甦ってくる。まるで、まだ若くて、杓子定規な刺々しさを詩的尖鋭と見誤っていた頃、怠惰ともつまらない俗な詩風とも見えていたあのプレヴェールが、二十世紀の最大の詩人のひとりだったらしいと、中年も過ぎてようやく気づいてくるように。
 映画『ジャン・コクトー、知られざる男の自画像』(エドガルド・コザリンスキー、一九八三年)より、いくつかのメモ。
《反対する者としてラディゲはやってきた。新しいものすべてに彼は反対した。慣習やブルジョワ精神に反対すべきなのではなく、もっと進んで、アヴァンギャルド(前衛)に反対しなければならない。そう彼は言っていた。アヴァンギャルドなんて、はじめは威勢よくっても、いい子ちゃんになって終わっていくさ、とも。
 模倣しなければいけない、とも言っていた。誰かの中になにものかがある場合、模倣という行為は、いくらしようとしても不可能なのだ。模倣しようとすることで、人はけっきょく自らの基盤を得ることになる。模倣によって自己を知ることになっていく。そのためだというのだ。》
《私は詩的なものは好きではなく、詩が好きなのだ。自らをひとりで作り上げていくものとしての詩が。》
《芸術作品というのは孤独なものだ。しかし、人に受け入れられるようになるための唯一ぎりぎりの手段を介することで、その孤独が多くの人に共有されるというところに、存在するにあたっての芸術作品のエクスキューズはある。》
 俗物の最たるものとしてのアヴァンギャルド。ラディゲは十代にして、はやくもそれを見抜いていた。現代においては、アヴァンギャルドという語をめぐる状況はもっと滑稽だ。俗物というより、たんなる馬鹿がこの語を好んで使う。過度に勉強嫌いで、不正確な自分の思考力を省みず、表面はにこやかで社交的だが、途方もない権力欲に突き動かされてそこ此処の流行の場所に顔を出し、シャンパンの一杯ぐらいは絶対にひっかけて来ずにはおれないような、終生あっぱれなまでに自意識過剰な馬鹿。
 アヴァンギャルドはどこからこうした滑稽な縫いぐるみ(まるで、オウム真理教全盛時代のショウコーのあの縫いぐるみのような)になってしまったのか、と問うのは正しい問いの立て方ではないだろう。もともと、アヴァンギャルドという語が発生したり思いつかれたり発語されたりしてしまう地帯が、現代らしさ、新しさなる幻とともに、自己顕示欲だの権力欲だの俗物だの馬鹿だのが多量に流れ込んで混じりあうような場所なのだ。俗物を批判しつつ、自ら最大の俗物のひとりであったフローベールやボードレールらの、見るも無残な醜態の数々によって、その地帯はどうにもならないほど毒気に満ちた場所になってしまっていた。『マラルメ ―明晰さと影の部分』(Jean-Paul Sartre?: Mallarm? La lucidit? et sa face d、ombre,Gallimard,Arcades,1986)におけるサルトルの辛辣な批判を思い出しておこうか。
「反ユダヤ主義者のフローベールとボードレール、反ユダヤ主義者ヴィリエ・ド・リラダン。残念ながら、やはり反ユダヤ主義者のマラルメ。これら空っぽな役人どもは、社会全体によって侵されてしまうのだ。彼らは、いっとき社会を体現する者となる。詩人としては人類に対する侮蔑を叫びながら、他方、しがない行政官として、忍耐づよく、なにがしか肩書きだけでも栄誉を手に入れようと切望するのだ。フローベールは叙勲を受け、ボードレールはアカデミー・フランセーズに立候補し、ルコント・ド・リールやエレディアはアカデミー・フランセーズ会員になりおおせる。詩人の虚無主義が、公務員の制度的従順さのアリバイとなってはいまいかと疑わしく思えてくるほどだ」。
 あるいはまた、
「フローベールは、いかにも平穏な心持ちでナポレオン三世を訪ね、叙勲を受け、無数の失策*のひとつとして、マチルド皇妃にこう書くことができた。『チュイルリ宮の舞踏会は、幻想的なできごとのように、夢のように、わたくしの思い出に残っております。もっとおそばでお姿を拝し、お話申し上げられなかったことだけが心残りでございます』。ブルジョワジーは、さほど、不安など感じたこともなかった。沈黙ストライキをやっているこうした連中はみな、いざ危機が到来すれば、自分たちのまわりに結集してくれるものと、ブルジョワジーはわかっていたのだ。事実、フローベールは一八七一年に、「すべてのコミューン派がガリー船に送り込まれ」たわけではなく、「おぞましい労働者」にふさわしい罰が下されなかったことを嘆いている。ふだんなら感情を表わさないルコント・ド・リールも、怒りと恐怖とで逆上し、わめき散らしてしまう。「ムーランの奴がまだ銃殺されていないなんて、嘆かわしい。汚らわしい三文画家のクールベや、画家やエッチング画家どものあの汚らわしい一味が銃殺されないで済んだりしたら、もっとひどい話じゃないか」と。ブルジョワジーに幸あれ、である。だれが味方かわかるのは、まさに、もっとも重大な局面においてこそなのだ」。
*ここでサルトルは「真珠」という単語を使っている。失策、へま、滑稽な間違い等の反語的意味がフランス語の「真珠」にはある。

■メモとかんがえ20080530
[ハーバーマスとガダマー]
『解釈学とイデオロギー批判』(1971)時点のハーバーマスにとって、言語は自律的な領域を形成しないものであり、社会の下位構造に過ぎない。記号に媒介される言語が固有の法則を持っているのは確かでも、それは「実存からの強制」を免れるものではなく、社会の事実的諸関係に依存している。
 こういう言語観からすれば、たしかに、彼がガダマーの解釈学と対立するに至るのも不思議ではない。「理解されうる存在は言語である」という基本テーゼを唱えるガダマーにとって、解釈学とは、あくまで言語を媒介としつつ「人間の世界経験と生活実践の全体」を問おうとすることである。しかも、この場合、「言語」とは日常言語であって、精確さを追求して構想される科学的形式言語ではない。曖昧さをつねに含み持つ日常言語こそ、ガダマーの解釈学的普遍性のためには幸便なのだ。
 ハーバーマスにとっての日常言語は、そのままでは扱うに値しない。「実存からの強制」によってあらかじめ歪曲されていると見なされうるためだ。この見方に従えば、発話者当人は、自らの発話欲求、発話行為、言表の状態を正確に認識することはできず、自己の言表行為が実際にはどのような意図に基づくか把握できない。発話主体はけっして主体ではなく、彼が発する言語は第一次テキストではありえない。彼はつねに語らされているに過ぎないのである。こうした事情を考慮せずに「解釈」を行おうとするガダマーの立場は、ハーバーマスにとっては「言語性の観念論」としか映らない。
 発話者の言語における歪曲は、権力システムが内面化することで生じる心的抑圧と、政治的社会的要因とから来る。組織的構造的とみなされるべきこの歪曲に対処するには、精神分析とイデオロギー批判を準備する必要があると彼は考える。
 この点をめぐってのハーバーマスとの論争において、ガダマーは、解釈学が「実存からの強制」を要因としてはじめから読み込んでいる点と、精神分析やイデオロギー批判という批判的科学の言語も日常言語の遊動の一環である点を指摘しつつ反論している。日常言語にはすべてが反映され、曝け出されるのであり、ときに歪曲と見える部分が発生するとしても、それに対処する批判言語も結局は日常言語の特殊形態なのであり、あくまですべてが日常言語の領域内に含まれる。そうした日常言語全般を扱う解釈学の「普遍妥当性」は、ガダマーには疑うべくもないものなのだ。
 かつてのハーバーマス自身の『実証主義的に二分された合理主義』(1964)に、「日常言語の自然な解釈学」に生来の「包括的な合理性」が働いていると論じられていたことを思えば、ここでハーバーマスは、自らの過去の論理をガダマーに突きつけられているかのようでもある。しかし、その論文で彼が主眼としたのは、そうした解釈学の称揚ではなく、その後に起こる事態の中での批判の役割の指摘だった。「包括的な合理性」の働く場は、ひとたび科学が介入してくれば、形式化された言語と客観化された経験へと解体されてしまう。生活世界という極と、精緻に細分化された論証という極は、両極間を往来する「批判」の仲介を受けることで「包括的な合理性」を回復しなければならないというのである。

■メモとかんがえ20080601
[『暗夜行路』の語り。思考・感情主体の移譲]
 全篇を通じ、『暗夜行路』の語りは、ひと時たりとも主人公時任謙作の視線との一致を捨てることがない。
 この語りはしかし、後編の最後に到って、ふいに、あからさまには気づかれづらい緩やかさを保ちつつ、妻の直子の心とまなざしへの一致を遂げる。
 移行はあまりに自然なので、おそらく多くの読者が、なにが起こったかを悟らぬまま、この大作を読了する満足感のうちに巻を閉じてしまうはずだ。

    謙作は疲れたらしく、手を握らしたまま眼をつむって了った。穏やかな顔だった。直子は謙作のこういう顔を初めて見るように思った。そしてこの人はこの儘、助からないのではないかと思った。然し、不思議に、それは直子をそれ程、悲しませなかった。直子は引込まれるように何時までも、その顔を見詰めていた。そして、直子は、
「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分はこの人を離れず、何所までもこの人に隋いて行くのだ」というような事を切に思いつづけた。

 この最終部で、謙作が「眼をつむって了った」後は、「思」うという行為はすべて、直子に一任されることになる。『暗夜行路』においては、しかし、これはまったく特殊な事態で、これまではいかなる場合にも、思う主体も喜怒哀楽の主体も謙作だけが担当してきていたはずだった。作品がまさに終わろうとするこの最後の部分で、なるほど、容易には気づかれづらい自然さに装われているとはいえ、不意といえばあまりにも不意の、この思考・感情主体の地位の移譲はなにを意味するのか。
 明晰さやすっきりとした冴えわたりを感じさせることが多い志賀直哉の文章は、多くの場合、思考と感情の権利の語り手への集中、ないしは、主人公へのそれらの集中を特徴としている。こうした権利集中が放棄、ないしは移譲されることは殆どない。
 他の登場人物の心理が語られないというわけではない。しかし、彼らの心理はつねに、語り手や主人公のまなざしで捉えられる表情や身振りから推測され、忖度される。いわば、語り手や主人公の意識作用・思考作用を通してのみ間接的な顕現を許される。
 こういう志賀直哉に、『暗夜行路』の終わりでなにが起こったというのか。

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