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ARCH 84

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年九月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集19
            [第一六八号〜一七五号・二〇〇八年八月六日〜八月二十一日]



第一六八号(二〇〇八年八月六日)
 遅ればせにのんびり撮った(撮らされた)結婚写真の葉書をお送りしていたので、吉増剛造さんから、『星座Constellation 吉増剛造』(矢立出版)といっしょに戴いたお便りのなかには、「おめでとう!うーーん 素敵だぜ、―、」というコメントがあった。
 この「うーーん 素敵だぜ、―、」というのが、吉増さんならでは。私信のなかでの文体の非統一、常体・敬体の混用、ちょっとぞんざいな言葉をあえて使う、少年っぽさというか、お兄ちゃんっぽさの挿入。昭和40年代、50年代頃、ぼくにとってのおじちゃんや大きいお兄ちゃん世代たちにあたる若かった全共闘世代や団塊の世代は、よくあんな喋り方をしていたなぁ、と懐かしくなる。あの喋り方をまた聞くために、面白くもない当時の日本映画を見直したりすることもある。あの頃の口吻をあえて固定し、保存しているところがあるのが、吉増さんの文体の特徴の一端でもある。
 こうした私信を下さる場合、しばらく赤ペン書きが長かったが、この頃は金インクや銀インクでの文字が多い。今回は、油性の金インクで。いらなくなったネガフィルムを紙に貼り付けて、ミニコラージュを作った上にも書かれていたりする。
 『星座 Constellation 吉増剛造』は、『螺旋歌』出版後の諸氏の評論や対談を集めた古いものだが、今回、大幅な増補をし、最近のデータまで加えた詳細な年譜がついている。さらに増補していくそうで、ぼくが関わっている部分のデータの確認と修正を頼まれた。
 サインという点でくらべると、縁あって七月に平野啓一郎氏から戴いた『決壊』(上・下)の場合、平野氏は黒々と太いペンで、まぁ、オーソドックスにサインして下さっていた。芥川賞受賞作の『日蝕』にもサインをお願いしたが、ご本人と、「カネボウの赤い美白」ポスターや昨年までの女性誌「Domani」の表紙、今年からの「GRACE」の表紙などで有名なモデルの奥さん、春香さんにいっしょにサインして戴いた。春香さんからのメールでは、初めてご夫妻いっしょにしたサイン本になった、とのこと。ちょっと貴重なサイン本である。

第169号(二〇〇八年八月七日)
 夏というのは朝から温度も明るさも急上昇するので、二十四時や二十五時などにふつうに就寝すると、五時頃には目が覚めてしまう。時には四時ごろに。また眠れればいいのだが、どうしてもメンコやコマ回しがうまくいかない時のように、ヨーヨーがどうしても歪んでしか戻ってこない時のように、うまく眠りに落ちられないという時もある。
 そういう時には、しかたがないので起きてしまうが、いったん起きると、あれこれやっているうちにあっという間に昼になり、夕方になるので、夏の一日というものは怖い。
 勤めがある日もない日も、朝っぱらから二,三回は洗濯機をまわすことになり、それを干すのにふうふう言い、燃えるゴミも燃えないゴミも資源ゴミもたいていは夜に済ませるが、ゴミというものは後から後から少しずつ出続けるものでもあって、また朝もゴミ捨て場に出かけることになる……などなどとやっていると、早起きしてしまった日など、午後にはもうクラクラになってくる。それでもなんとか乗り切って、居眠りもせずに夕方から夜まで体や頭を操縦できた日というのは、うれしい。昨日も、二十時間完全に活動しっぱなしでやり通せて、なかなかよかった、と自己満足してみたりしている。しかも、二時間半の三軒茶屋←→渋谷歩き付き。池尻、中目黒、代官山経由で。
 多量に重い買い物をしないといけない日にもあたっていたが、それも難なくこなし、帰宅後は料理に取り掛かり…、と、見事な日であった。こういう日が何日か続くと、たいてい、どうにも物憂くてしょうがないという日が必ずやってくる。自分の体や心ながら、なんだか、いつも波乗りをやっているような気になる。
 というより、体や心というのは、いつまで経っても未知の伴侶と言ったほうが当たっている。

第170号(二〇〇八年八月八日)
 北京オリンピックの開会式が今日だそうだが、スポーツ観戦というものにまったく興味がないので、そうかぁ、この暑いのに…と思うほかの感慨が湧かない。以前、アテネオリンピックの開会式を、好奇心(この言葉からはむしろ、ルイ・マルの懐かしい映画が思い出される…)から、明けがたまで見てみたことがあったが、あまりにくだらない盛り下がる出し物なので、今後、一切こういった時間浪費はしまい、と決意したものだった。
 中国文化の底知れない活力と奇想天外さにはつねに興味を惹かれるが、どこの国のことであれ、体制翼賛的な臭いの立つところからは自動脱出装置が働く仕掛けにできているので、オリンピックとかなんとかいうものの前ではこの装置が許さないのである。だいたい、あそこの国の文化の粋は、猥雑下等と一見見えかねないものの領域で爆発的な力を発揮する。オリンピックよりは『少林サッカー』だの『カンフーハッスル』だのを見直していたほうがいい。
 中国の貧乏な農村の人々や都市の出稼ぎ労働者たちや貧困層の人々の生活のドキュメンタリーを見るのも好きだが、彼らからはいつも多くのことを学ばされる。人間はああやっても生きられるものだ、あのようにこそ生きるべきかもしれない、と考えさせられる。
 中国のことではないが、ベトナムだったかインドネシアだったか、アジアのドキュメンタリーを見ていた時、駅のホームで、遅れた列車を八時間ほど、本も読まず音楽も聴かずに座って待ち続けている人たちを見た。参禅の際の課題であるとともに常識でもある人間の意識の常時無限噴出が、人間意識一般にとっての常体だと考えるならば、八時間も人為的外部メディア(書籍、音楽など)に頼らずに過せる彼らの意識がどれほど豊かであるか、と考えてみる必要がある。あるいは、倦怠と外部環境享受とにおける彼らの意識のドライブの巧妙さについて驚嘆しておく必要がある。i-phoneを買うために、i-podで音楽を聴きながら徹夜で待つのとは訳が違うのだ。
 人間の質というのは、何時間も人為的外部メディアなしで倦まないでいられるかどうかを見れば、すぐにわかる。ただ空気を吸って吐くこと、ただ温度の変化を感知し、全身の肌や内臓のたえざる感覚の移り変わりを楽しめるかどうかで、人間性はわかる。
 というより、そちらの方向の人間性を選ぶ、といっておいたほうが、現代のソドムとゴモラがまだ崩壊しない、有史以前のこの微妙な時期においては、穏当だろうか。

第171号(二〇〇八年八月九日)
 東京近県の実家に行ったついでに、あちこちのマーケットの物価を見たり、聞いてまわる。すると、卵1パック12個入りが80〜90円のところがあったり、バナナ5本前後で30円だったり、ふつうの牛乳が133円だったり、近ごろ西友で179円に値上げしたヤクルト5本入りが138円ぐらいだったりする。
 企業努力の限界という表現をよく聞くようになったが、こうした値段の店をみると、「限界」という販売者・生産者側の説明も、そう鵜呑みにはできないものがあると感じる。こういう時期はたいてい、商売や起業においては最大のチャンスだったりするものだ。経営や経済の分野に5年ほど前からつよい関心を持つようになり、かなりの時間を費やすようになったが、そういう者には現在、家計の窮迫もさることながら、あらゆる経済現象が面白くみえる。
 グルジア戦争においては、南オセチア自治州の分離独立派(親ロシア)への攻撃に踏み切ったグルジア(親欧米)および背景勢力の損得計算に興味がわく。
 欧米が建設したカスピ海原油のパイプラインはグルジア領を通っているので、ロシアがグルジアへの攻撃を本格化すれば、ロシアと欧米との対立度が高まる。場合によっては、新たな冷戦構造も形成されうる。そうなってくると、このところ行き詰まり感のつよい世界経済成長戦略にとっては、貴重な飛躍のチャンスが来る。
 世界的軍事対立構造は、数十年ごとに構築されては壊され、また構築される。これによって、大経済の未来が生まれる。自然環境の破壊→再生呼びかけ→破壊、帝国化→その分割→ふたたび帝国化といったストーリーも同様。「善良なる市民」が大がかりにエコ意識に目覚めた頃には、世界の大勢はふたたび自然破壊の方向に向かっているはずだ。時には一国を建国したり破壊したりさえしながら地球規模で儲けようとする勢力たちにとって、重要なのは、トレンドを数十年ごとに変換し、そのたびに大小さまざまの設備投資をし、古くなった設備はパワーにおいて下層の公共集団・民間集団に払い下げるか廃棄し、そうしながら、さらに数十年後のトレンド変換のための準備を開始することだろう。こういう「大きな物語」の紡ぎ手の動きをつねに観察し続けるのでなければ、百年単位での一共同体の文化運営など不可能である。そういう長期的視野を持つ気もない共同体には、はじめから帰属しないのがよい。
  世界を考える上で、対立や緊張関係こそが人類の動力であったこと、あり続けていることを忘れるわけにはいかない。和や相互理解、他への尊重などは実相面ではありえないし、もしあっても、すぐに破壊されるというのが、世界の常識である。よく言われるように、日本人には、これを無視するか、過小評価、さらには倦厭する傾向がある。真実にむけて目を瞑って、そうして安穏に生きていければ確かに楽だが、もともとこの国の国家基盤が、朝鮮よりの渡来人を天皇と奉った上での被侵略状況を固定したものである以上、日本的和とは、体制への隷属の強要でしかない。和とは、確かに美しいフィクションであり、一場の夢としてはふさわしいところがあるが、支配体制と根源的差別制度と階層固定の意思とが凝縮されたおぞましい欺瞞の粋そのものである。
 対立や緊張関係といった動力の存在をしっかり認識した上で考えれば、人類がどうなっていくのか、見通しは簡単に立つ。これまでの数千年程度の歴史をかいつまんで振り返ってもわかることだが、人類は悪意に満ち、他人の不幸には無関心のままであろうし、他人に関心を示すような場合には自分の利益が計上されうる場合だけだろう。経済的理由や本能的理由から戦争は止まないし、物欲や性欲や食欲、見栄などの他人の欲望を利用した商売を大小に展開しながらこの先も数千年、数万年続けていくだろうし、動植物をはじめとする自然の搾取と利用はいっそう巧妙になるばかりだろう。これらが人類という身体の血流であって、これらを取り除こうとすれば人類は死滅する。もっとも、数千年規模でなんら根源的変化なしに続いてきた性質が、第二次大戦後の半世紀ほどで変化するはずもないのだが。
 ここから逃げず、あなたも私も極悪同士、地上では結局マフィア同士、という認識を持ち続ける態度が、フランス革命への反革命運動から生まれた西欧保守主義の基本だが、国際政治経済というのは、どこまでもこの保守主義的思考を基盤にして動いていく。数十年後に敵になりうる勢力にあらかじめ手を差し伸べて、そのなかに入り込み、じわじわと骨抜きにしていくといった活動が、当然のこととして日々の日常の中で行われ続けている。
 こういう人類に雑じっての生活姿勢として大切なのは、一切の夢を見ないこと、希望を持たないことなのだろう。それこそが、夢や希望に一般に求められる内容物に、実質的にもっとも近づく方法でもある。 

第172号(二〇〇八年八月十一日)
 ことしは朝顔の咲くのが遅かったように感じる。種を毎年蒔くが、ようやく先週頃から花がつくようになった。肥料のやり方を誤ったか、うちだけのことかと思っていたが、近隣の朝顔を見ても同じようだった。
 この数日は、ずいぶんと美しい花が開いている。
 旧暦に素直に従うかのように、七日の立秋あたりから秋らしさが肌にはっきりと来るようになっているので、朝顔はやはり秋の花か、と思う。暑い時でもどこかに凋落があり、熱暑の底がすでに抜けている頃に、ようやく開花の盛んになる花。
 オリーブの木もすでに緑の実をつけている。薔薇も秋の蕾をつけ始め、開き出した小さな花もある。
 もう秋なのだ。
 ことしも終わっていく。
 終わっていくという過程にだけは、万物において支障がない。
 そのためだろう、「終焉」の側にインスピレーションの上での身を置き続けるのが、古来、文学的保守主義の常套ともなりうるわけだが、これが時には、老獪で卑小な保身とも映る場合がある。不敗の体制側につく手口。
「終焉」とか「むなしさ」というのは、概念の世界では評価の定まったブランド商品なので、脆弱な自我ほどこれらを装おうとする。
 言語表現で創り出せる差異など、所詮は微細なものに過ぎず、主義や手法の違いに拘泥しすぎるのは大宇宙の中の瞬時の生にとっては愚か過ぎるというべきだが、他者や先行者との差異化をご大層な個性化であるかのように見誤ったり、さらにひどい場合にはいのちの煌きと誤解してみたりする「若い」意識たちの出現は後を絶たないので、「新たな」、「新鮮な」、「斬新な」、「前例のない」、「比類ない」云々といった形容を纏ったざわめきが蟹のあぶくのように立ち続ける。
 それら「若い」意識たちに冷笑を浴びせるでもなく、また、「終焉」というお定まりの衣裳を手離さない文学的保守たちの馴染みの酒を省みないわけでもなく、ほんの少しだが本当に新しいもの、今まで知らなかった愉しみのほうへと向かい続けるところに最広義の「詩」の動きというものがある。もちろん、書く/書かない、読む/読まないなどという差異に拘るのは愚かなことで、書きも読みもしない「詩人」がいっぱいいてよいし、現にいるし、いなければならない。むしろ、語らぬままになにかを見つめ続けるような人たちのほうに「詩」がある。
 いわゆる文学的な「詩」など、広義の「詩」という金魚を掬うための言語によるポイに過ぎない。路地も、大通りも、ガード下も、ビル陰も楽しいと感じられるような人、歩いていようが座っていようが絶えず愉しんでいるような人こそが「詩人」なので、友を選ぶなら、そういう人々こそを選べば過たない。本であれ、原稿であれ、言葉で書かれたものなど、目が衰えればたちまち魅力を失うし、ましてや、死の時には持ってはいけない。死の時に損なわてしまう程度のものは「詩」と呼ばれるべきではないし、そもそも、そんなものに価値を置こうとするのは愚者の最たるものである。

第173号(二〇〇八年八月十八日)
 榛名湖まで行ったついで、せっかくだからと、ボートを借りて湖上に漕ぎ出た。
 東京が36度ほどあった日、むこうでは21度ほどだったが、湖上に出ると、空気の流れがあって、さらに涼しい。湖の中央まで出て、しばらく止まったり、周囲を漕いだりしながら、湖上の水のさざめきや周囲の湖水の動きや濁りを眺め続け、水上の無人環境というものを少し味わう。
 6、7年ほど前までは、夏になると、時間さえあれば海岸に泳ぎに行って、ひとりで沖に出て2時間ほど浮いていた。もちろん足の立たないところで、ときおり沖への水流に行き当たったりもするが、沖から寄せ続けるうねりに体をあわせながら(常時、気を抜けぬ現場感覚)、まわりに誰もいないことから来る意識の緩やかな変容(非現実感覚)を味わい続ける。振り返ってみれば、夏というのは、こんな意識を取り戻すための余暇が多少なりとも得られる季節だった。
 今年、歩く身体というものをほぼ復活させたが、都心を歩くにしても、一定時間以上をひたすら歩く場合には、沖で浮いている経験に近い現場感覚と非現実感覚との同時経験の時間が発生するといってよい。買い物や用事や人付き合いなどを一切捨てた歩行というのは、東京さえもただの土地の起伏に変えてしまう。大げさにいえば、座禅のうちにある、ただ坐ることを第一とする考え方に近い行き方かもしれない。人間の生の唯一の問題は、目的/非目的、ないしは価値/無価値のスラッシュ(/)上にしか存在せず、それ以外はみな煩瑣な厖大な各論にしか過ぎないものだが、生活・人事を棄却した歩行は、すっかり非目的や無価値の領域にあるとまでは言えなくとも、少なくともスラッシュの上を綱渡りし続ける。
 これは、現代において「詩」と呼ばれる言語行為が位置しているあり方に近いとも考えうるだろうが、そう見なすと、自分の生がすべて、スラッシュ上を生きるということに要約できるというわけだったかと思い到る。
 もちろん、「要約」も「思い至る」も、ものの言い様のうちの形式的な素振りにすぎない。
 フローベール。「愚かさとは、結論せずにはいられない心の動きにもとづくものである」。
 愚かさとまで言わずとも、少なくとも、結論や要約や到達好きというものが、衰えや力の減退の如実な兆候であるのは論を待たないところだろう。

第174号(二〇〇八年八月二十日)
 交通機関で行く方法もいくらもあるというのに、暑いなかをわざわざ数時間歩いて、都内をまわり続けている。そうしながら思うのは、当然というべきか、逆説的にというべきか、科学技術の進歩がもたらした便利さを享受しすぎることの恐ろしさだ。
 何時間も歩いたり自転車に乗ったりすると、あたり前のことだが、筋肉を使い、骨や腱にいちいち重量がかかり、カロリーを使う。足を速めると、三十分もすれば汗が噴き出し続けるようになり、腕から手のひらを伝ってぼたぼたと汗が落ち続ける。足腰には調子が出てきて、もっと早く歩けるようになってくる。今どき、仕事の合間を見つけてこんな原始的なことをしているのは愚かしいようだが、体じゅう汗だらけになったり、ときには疲れ切ったりしながら、自分の生涯時間のうちのこの数時間の歩行を、もし今日やらなかったとしたら…と思うと、怖くなりさえする。
 もし今日、こんなふうに歩かなかったとしたら…。
 自分の足腰や背の筋肉は運動量を欠き、その分、衰えが早まり、十年後二十年後には、より弱い身体で日々をよろよろと生きていくことになるのは、もちろん確実だろう(足腰や背筋の弱まった体は、日常の生活でいっそうの疲労感に苛まれることになる)。もちろん、早足での歩行に要するこの数時間には、もし望めば、次のようなことだってできないわけではない。たとえば、軽快な走りの車に乗って、ちょっと湾岸にでも出て、女の子たちとシャレたレストランにでも入って、うまいビールからウィスキーまでのフルコースで飲みに飲んで、今夜は車を置いて海沿いのホテルに泊まることにする…などということも。しかし、こんなふうにする場合、まず生涯運動量の損失を被り、次に、アルコール摂取から来る細胞弛緩と老化促進を被り、(アルコール量が多くなった場合は、食道から胃の粘膜の甚だしい崩壊も起こり、食道ガン、胃潰瘍、胃ガンへのポイントが貯まることになる)、もちろんガソリン代の浪費、交際費や宿泊費の浪費…などなどが嵩んでいく。たまにはこういうことも面白い。しかし、どこかで女の子を拾いたくなるようなステキな車を持っているオジサン、オニイサンたちは、こういう生活パターンをほぼ毎週くり返すことになるはずなので、金銭面のケチな勘定は措くとしても、運動量欠乏やアルコールによる身体被害は毎週積み重ねられていくということになる。
 ある便利さを享受すると、その分、体が確実に衰える。こんなあたり前のことが、現代のふつうの生活をしていると、本当に、怖ろしいほど忘れがちになってしまう。不便さがいかに大切だったか、面倒さや疲れる作業が、どれだけ体と脳の反応を助けてくれていたか、原始的な歩行をしていると、そんなことがつくづく思われてくる。
 五年前までのぼくの生活では、最寄駅までどんなに急いでも片道25分はかかり、夏場のスーツ姿にしろ、豪雨の通勤にしろ、情けなくて泣きたくなるようだった。歩くのが少ない日でさえも、最低一日50分以上はウォーキングを強いられていたわけだ。そんな生活がほぼ二十年は続いた。現在の便利なところに引っ越した時は、うれしかった。
 だが、今の住居に住むようになってから、知らず知らず、脚力は衰えていたらしい。駅まで五〜七分というのは便利この上ないが、体というのは正直なもので、歩かなくてよくなった分、しっかりと弱まり、以前よりも太ってしまった。
 この夏はどのくらい歩いたことになるのかわからないが、ただのひと月で6〜7キロほどは体重が落ちたことに、最近気づいた。ただ長時間歩くだけでこんな減量になるとは思いもしなかったので、かなり驚かされた。くわえて、おとといのことだが、七年ほど前から穿けなくなっていたジーンズを試してみたら難なく穿けて、少なくとも七年前の体に戻ってしまっているのがわかった。雑巾にでもしようかと捨てずに取っておいたズボン類が、どれもこれも再び使えるようになり、この物価高のご時世にはちょっと有り難い話だ。

第175号(二〇〇八年八月二十一日)
 おとといは自転車で、弦巻から桜新町を通って砧公園(十五分しかかからない)、岡本民家園周辺の野川沿い、さらに多摩川へと進み、二子橋公園でしばらく休んでから、二子玉川の高島屋前を通過して瀬田へ(このあたり、殺人的というべき坂があり、二子玉川がどれほどの低地かがよくわかる)。そうして、雨の中を三軒茶屋へ戻った。
 きのうは徒歩で、三軒茶屋から下北沢、富ヶ谷、初台方面をたどって、ついに新宿へ到った。帰りはJR沿いに代々木駅を通過し、原宿、代々木公園、NHKのわきを通って、松濤からおなじみの松見坂、池尻を通って、三軒茶屋へ。
 三軒茶屋から新宿までは、徒歩で1時間から1時間半ほどで行けるのがわかった。東北沢駅を北上する山手通りの支流は、大山で井の頭通りと交差した後、中野通りになる。中野通りを五條橋まで少し歩くと、右手に玉川上水緑道へ入る口があり、それを辿っていくと、幡ヶ谷、初台を経て、新宿までそのまま着いてしまう。この緑道は幡ヶ谷駅周辺を過ぎたあたりから甲州街道と並走しており、新国立劇場やパークハイアットを左手に見ながら進むことができる。西新宿ジャンクションのあたりからは代々木緑道と呼ばれるようになり、高架を走る新宿線をくぐりながら山手通りを渡ってしばらく行くと、巨大な文化学園のビルに出、ここで緑道は一応の終点となる。このあたりからは、新宿副都心のビル群が普段とは違った角度で一望でき、甲州街道の一時も絶えない喧騒のさなかながらも、夜景は美しい。
 ここまで辿ってきた玉川上水緑道〜代々木緑道は、歩きやすいうえ、夜でも通行者が多いので危険さも少ない。世田谷から新宿へ抜ける場合にはとても便利で、新宿〜下北沢間を五十分で歩くのを可能にしてくれる。富ヶ谷や初台の周辺には店や個性的な飲み屋なども多く、何度となく、寄り道してつぶさに見ておきたい衝動に駆られた。
 甲州街道を一本逸れた裏道を通りながらサザンテラス口まで歩いたが、このあたりの裏道には、庶民的な居酒屋やモツ焼き屋がいろいろとあって、仕事帰りのサラリーマンたちがいっぱい入って込みあっている。こんなところまで来て、あんなに込みあいながら飲むというのは、安さもあるのだろうが、それなりの魅力もなければならないだろう。今度、買い物にでも来た時には寄ってみようと思う。
 帰途、代々木駅あたりで足が急に重くなり出した。早く歩き続けていると、二時間ぐらいまで快調で、体も軽くなり、ペースもいくらでも上げられるような気持ちになる。しかし、それを過ぎると急な疲れが来る。NHK脇を通るあたりでは、右足裏に大きなマメができたのがわかり、少しかばいながら歩くようになった。こうなると、疲労度はぐっと増してくる。松濤を越えて、池尻のほうへ入っていくあたりが、きのうは辛かった。もっとも、疲れはしながらも、自動的に歩けるようにはなっているので、歩き方自体は変わらない。疲れても、さほど質を落とさずにとにかく歩き続けられるというのが、歩行力とでもいうものだろうか。考えてみれば、他のどんな活動においても同じことが言えそうだ。人間は疲れるものだし、なにかと調子を崩すものでもある。だが、そんな時にもそれなりの質で活動していけるというのが望ましいし、そのための力を養成し維持するのが求められることにもなる。
 きのうの早歩きでの歩行時間は四時間近くになったが、おそらく、二時間以内程度にまとめるのが、翌日にも響かない快適な歩行実践ということになるのだろう。普通の速度での歩行なら八時間から十時間は問題ないが、高速歩行ではそうはいかない。
 少しでもはやく、疲れないように歩こうとすると、自分の体でわかってきたことだが、足をまっすぐには伸ばさないで歩くようになる。膝をつねに少し曲げていて、自然なクッションを効かせ、まるで足のひらが手のひらにでもなったかのように、地面をつかむようにしながら、短めの歩幅でどんどんと進んでいく。サッカーをしている際の、ボールを間近に追いながら走る時の足の運びに近いかもしれないし、猿が二足歩行で急いで歩こうとすれば、こうなりがちかもしれない。踵を後ろにちょっと蹴り上げるようにもなり、やはり普段の歩き方とは異なった歩き方になっているといえそうだ。自然にこうなっていく。先祖がえりが自ずと起こるのかもしれない。疲れないように、はやく、と心がければ、誰の人体でもこうなっていくのではないだろうか。
 これと別の歩き方を自然にしている場合もある。背を伸ばして、足をまっすぐにして、歩幅を大きくして三段跳びをするように歩いていく場合だ。この場合は、自分の身長に近い歩幅で飛ばしていくことさえある。これはこれで快適なのだが、自然にこうなるのは、道が上がり坂でも下り坂でもなく、障害も少なく、この上なく好条件の場合に限られる。したがって、東京ではほとんど見つからないと言っていいのだが、たまに、道幅のひじょうに広い住宅街などで急に出くわしたりする。ジャマイカのボルトが100メートル決勝の最後で、気を抜いた走り方を見せたが、ちょっとあれに近いかもしれない。

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