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      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年九月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集20
              [第一七六号〜一八四号・二〇〇八月二十二日〜九月五日]



第一七六号(二〇〇八年八月二十二日)
 髭が濃いほうなので、髭剃りはつらい。肌が疲れている時など、血だらけになりながら剃る。どんなにやさしく剃っても、どこかで血が出てしまう。
 梅雨頃から、湿気と暑さとでカミソリ負けがひどくなり、顔の肌のトラブルに悩まされた。使い続けてきたローションや乳液を肌が受けつけなくなり、軽いアレルギーのようになってしまった。髭を剃らずに、しばらく生やしてみて肌を回復させようと思い、一週間ほどそのままにしてみた。
 数日は無精髭のようにし、どこも剃らなかった。しばらくして、あまりむさ苦しくなるのもよくないので、頬と喉だけ軽く剃り、鼻の下も、口の下も、耳から顎のラインも残した。
 これが肌にはよかったようだ。すっかり回復し、たまには髭も生やしてみるものだと思った。さいわい、日本も世界も髭が流行になっていて、つるっとした顔をしている人ほど怪しいのではないか、という風潮さえある。
 生やしてみると、なんとなく世間とのつきあいが楽になるようなところがあった。外で会う人や、店の人とのコミュニケーションが楽になるのだ。むこうから、もっと話かけてきてくれる。気のせいかもしれないが、そう悪いものではない感じだった。
 きのう、すべて剃り落としてみた。毛の長さがそろそろ一センチ以上になってきて、髭初心者としては、今後の手入れに戸惑いと面倒くささを感じはじめてきていた。
 剃り落とすと、鼻の下に髭がない顔が滑稽にも感じ、物足りなくも感じ、髭をはやした自分の顔というものが、すでにかなり意識のなかに定着してきていたのだな、と思った。人間は、こんなふうにして新しいものに馴染んでいくわけだ。
 肌がひさしぶりにつるっとしたのはいいが、しばらくすると、はやくも乾燥が進んできて、髭に守られていた先刻までの肌とは変わってしまったのがわかる。
 数日剃り続けて様子をみて、来週あたりからは、秋にむけて、また生やそうかと思う。鼻の下だけ生やす漱石型、あるいはヴァレリー型は、あまりに型に嵌まり過ぎてどこか滑稽になり、似合わないので、顎のラインを細く生やし、口の下も適度に生やすタイプがよさそうに感じる。フランス国王の例で言えば、フランソワ一世やジャン善良王、あるいはアンリ二世ふうになるのだろうが、アンリ三世ふうの生やし方も、巧くやれば軽さが出せていいかもしれない。日本でいえば、明治天皇や聖徳太子の髭がこれに近い。こういう見方で振り返ると、後醍醐天皇や足利尊氏など、なかなかカッコいい髭だったように見えてくる。平重盛や源頼朝なども、モダンな髭だった。もちろん、中世の肖像画の流儀ということでもあったのだろうが。
 フランス国王たちの肖像画のなかには、めずらしく髭のない肖像画としてシャルル七世のものもあるが、ジャンヌ・ダルクに救われながら彼女を見捨てた彼の、つるっとしたタコチュウのような顔を見ていると、期せずして批判となっている感じがしてくる。髭のない男とはどういうものか、よくよく見ておけ、とでもいうような。
 そういえば、ルイ十四世から十六世までも髭がなく、ナポレオンにもない。あれはどういうことなのだろう。絶対権力は無髭を好む、ということか。そうすると、一見、権力志向が強かったように見えるナポレオン三世が髭を生やしているのは、もちろん十九世紀半ば以降の流行もあるにせよ、どう考えるべきだろう。
 髭の歴史学や社会学といったものは、きっと、すでにかなりの研究があるのだろうが、自分で生やしてみるまでは興味さえ持たなかった。まったく、なんでもやってみるものではある。

    第一七七号(二〇〇八年八月二十四日)
 体を前へと運んで後ろにいった足を、すぐにまた前へ引き戻す。
 これを二時間ほどくり返し続けるのが現在のぼくの歩行で、秋めいてきた涼しさのなかでも、肩から腕を伝って掌まで汗が流れ続ける。
 速めにこんなふうに歩いていると、ルイス・ブニュエルの『銀河』に出てくるイエス・キリストの歩行や、パゾリーニの『奇跡の丘』に出てくるイエス・キリストの歩行の速さを思い出す。ブニュエルもパゾリーニも、イエスの歩く速さの表現において、かなり正確だったのではないかという気がする。のんびりと歩きながら弟子たちに垂訓したのではなく、走るように野や道を行きながら語り続けたのではないか。ブニュエルは、身軽な逞しいスポーツマンのようなイエスを登場させたし、パゾリーニは、弟子たちがついて来れるかどうかなど頓着せずにぐんぐん進み続け、急に立ち止まって「よくよくあなたがたに言っておく…」と言い出すイエスを描き出した。
 宗教的ないし心霊的修行者にとっては、旅や歩行や走り(修験道では吉野や熊野の山中を走りまわるし、チベットでもインカでもそうだった)によって、ヴィクター・ターナーの言うところのbetwixt and between、あるいはエドモンド・リーチの言うところのmarginal state、つまり中間状態というべきものを発生させ、それを維持するのが重要になるが、イエスの場合も、そうでなかったはずがないと思えてならない。同じように、ブッダや孔子、老子なども、ともすれば想像されがちな静的なあり方ばかりしていたのではなく、運動を伴っている場合も多かったのではないかと思える。『トマス福音書』によれば、トマスが「あなたがキリストである証拠はなにか」とイエスに尋ねた時、イエスは「動きと休息とである」と答えているが、ここで言われた「動き」の重要性を、形骸化したり権力化した宗教は見落としたり、あえて隠蔽したりする。もちろん、「動きと休息とである」の「と」andというのも看過すべきでなく、この「と」とキリスト性出現の関係を示唆していることの重要性は比類がない。
 ひとたび「と」が見えてくると、思考者はこれを散種disseminationするようになり、日常のあらゆる現象のなかにキリスト性を見るようになってくる。「と」からこそキリスト性が湧出すると断言したくなるのをこらえつつ、日常の中に物象化して顕現する様々な「と」たちを見続けるのが必要になる境位である。この場合の観照には、ポーからボードレールを経てマラルメに到る流れにおいて詩的思考道具として確定された「類推」の使用があり、構造や機能過程の辿れないようなミスティックな精神事態が起こっているわけではない。これら、道具としての思考概念の連結状態やひとつひとつの由来を閲し直すことは、思想構造史において興味深いのはもちろん、思考において泥沼のような停滞の中にある人類の今にとって急務といえる作業でもある。

第一七八号(二〇〇八年八月二十五日)
 ふだん使ってきたパソコンに加えて、数週間検討した末、似たようなタイプの2008年夏モデルのノート型を購入した。家では無線LAN使用なので、それが内蔵されているもの。IEEE802.11a,b,gからnドラフトまで搭載されている。秋からの諸物価のいっそうの値上げ気配に加えて、各社の秋冬モデルにあまり新味がなかったからだろうが、欲しかったものが、八月半ばから急に数万円規模で値上がりしてしまい、値段と機能と可能スペースのあいだで揺れ動きながらの選択だったが。
 CPUがクアッドコアになっていく時代なのに、ちょっと物足りない気もするものの、ビデオ編集もCGデザインもしないのだし、3Dゲームなども全くやらないので十二分だとの判断から、結局デュアルコアにした。これがどの程度の機能の差をもたらすのか、まだわからないが、今まで使ってきたMobile Intel Pentium4-M CPU1.90GHzレベルのノート型と比べてタフな場面が見られるのを期待したい。
 これまで使ってきたXPと違って、今度は悪名高いVistaだが、最近のVistaはだいぶ安定してきていて、出た当初の使いづらさも緩和されてきている。昨年頼まれて近隣の友人宅に購入設置したVistaによって、すでに大方の使い方はわかっていたが、今回自分で購入したものは、昨年のヴァージョンよりも使いやすくなっていた。
 無線LANの自動接続には驚かされた。アクセスポイントは勝手に検出するし、あっという間に「このポイントを使用しますか」という表示が出て、OKすれば、もう繋がっている。プリンターとの接続も唖然とするほど楽で、プリンターとUSBで繋いだ瞬間にプリンタ機種を認識し、勝手に接続完了になっている。10秒や15秒もすればすべて完了している。無線LANにしてもプリンタ接続にしても、五年以上前ならなかなか説明書通りにいかずにパソコン素人が苦労させられたところだ。
 これで、常時2台を同時に使えるようになったが、とんでもなく軽量で高機能な妻のレッツノートも含めれば、家では3台を同時に使えるようになった。個人的には、あと2台は大画面のものが欲しいところだが、それでも3台が平然と同時に動いて別の画面を表示している様には、やはり素朴に感心させられるところがある。

第一七九号(二〇〇八年八月二十九日)
 新しいパソコンで『ぽ』や詩葉メールを作ろうとしても、いままで通りにはいかない。まず、これまで使ってきた文字フォントがなくなっているのに手こずらされた。これまで、こちらで指定した通りの文字や修飾で届いていないことは何度となく聞かされてきたのだが、新しいヴァージョンのWordを自分で使ってみて、なるほどこうなって届いてしまうのか、とわかる。『ぽ』のタイトル文字からして、まったく再現できない。行のズレも起こっているし、だいたい、今まで使ってきたフォントがなくなっていたりする。  これを機会に、使用フォントやレイアウトを変更することにした。もともと、最高度にシンプルな形体を目指したのだから、こういう機会にその度合いを推進するのは当初の目的にも適っている。号数も、数字を横に並べる方式をやめて、アラビア数字を単純に縦書きするようにした。この部分は、他のOS使用の受け手側にとって、もっとも印刷上の乱れや崩れが出やすいところだったようなので、多少はすっきりするようになるのではないかと思う。
?今回の『ぽ』はOffice Word 2007で制作しており、この詩葉メール便はOffice Outlook 2007で作っている。まだメールの場合の一行の文字数についても、最適な状態が掴めていないので、しばらく手探りでやっていくことになる。一行あたりの文字数を少なめに設定している受け手には、見にくいかたちで届くだろうが、仕方がない。
 パソコンが違ったり、フォントが違ったり、画面の印象が違ったりするだけで、詩などを書く際には大きな影響を受ける。詩歌とはそういうものだと思う。それでいいのだし、そこがおもしろい。詩歌とは、まず、自分が昨日書いた文体にさえ戻らないということだ。もちろん、昨日までの思考法や感覚にも戻らない。記憶に戻らない、とも言いたいところだが、神秘主義の過激派でないとそれは実現できないだろう。だが、記憶は死である、それを捨てなければ現在の生には触れられない、と言っていたクリシュナムルティのことは忘れたくない。プルースト的に(通俗的プルースト理解において、と限定しておくほうが正確だろう…)記憶と芸術を至上主義化するイデオロギーの対極地点から、ぼくは詩歌に触れるようになった。ネイティブ・アメリカンや各地の先住民族のシンプルな詩歌作りをこそ忘れないこと。道端で拾ってきた小石を無造作に並べるように単語を置きながら、その時点での全宇宙をつかむこと… 誰もがそうだろうが、本能的に詩にかかわっていく者は、激しくそこへと回帰し続ける。
 詩人や文学者ほど、真理をつかんでいるように見せながら、その実、真理から遠く、霊性の低い者たちはいない、とラージニーシ(いまは、オショウと呼ばれている)はよく言っていた。しかし、中には真正の詩人というものもある、たとえばシャンカラやイスラム神秘主義詩人たちや老子や荘子や…。彼の詩人批判はいつも熾烈だったが、それを不快に思って聞いていた人でも、歳とともに、自ずとそちらへ吹き寄せられていく。
 ひさしぶりに、ラージニーシを少し思い出しておこう。
「もし本当に宗教的な人間に近づけば、その人のまわりに漂う無気力の優美さが感じられる」
「真の導師は、死のようだ」
「あなたが誰かを好きなのは、その人があなたのエゴを助けてくれるからだ。誰かがあなたを好きなのは、それによって、その人のエゴが強められるからだ。その人があなたを好きなのは、自分の自己のため、自分のエゴのためだ。あなたが好きなのも、自分のエゴが強化されるためだ」
 自然の中に偶然に見つけた小石の配置、おのずからなった木々のあいだの距離の美しさのように言葉を置くこと。それだけが、エゴや数百年の流行の外で言葉を扱いうる秘密に、かろうじてぼくらを導いてくれるかもしれない。

第一八〇号(二〇〇八年八月三十日)
 トロワテの場合も、書式の見直しと改編を余儀なくされた。
 タイトルのそばに付しておいた小見出しは、Office Word 2007で見ると崩れてしまい、句読点が右側に付される始末。すべてをはじめから書き直し、組み直した。
 これまで、こちらで使ってきたWordのヴァージョン以降のものをお使いの方々には、このように崩れたかたちで届いていたのだろう。一度もご注意をいただいたことはなかった。つまりは、八年間ほどの間、一度も読まれたことはなかったということになる。
 そろそろ8月も終わるが、この月は31日のボードレール忌で終わる。1867年の逝去だった。ヴィクトル・ユゴーとボードレールがやったことから少しでも抜け出て、なんとか新味を装おうとして近現代詩はあたふたとし続けてきた。いまだにし続けている。端的に言って、すべて詩に関わるものはボードレールによって表現されつくしてしまったし、彼の書かなかった表現を必要とするほどの本質的な変貌を、世界は遂げていない。

第一八一号(二〇〇八年九月一日)
?このところ、世田谷は夕方以降は豪雨と落雷になることが多く、買い物や散策や帰宅などの際に雨に見舞われることが多い。今年の夏は、傘を持っている場合でも、店や駅の出口で何度となく、豪雨を前にして佇んだ。
 雨が疎ましく感じられるというのは、ようするに濡れたくないということだからだが、夏の服装などは、外に出た時点で汗にまみれていて、濡れてもたかが知れている。となると、つまりは靴だ。靴を、靴の中を濡らしたくない。このために、激しい雨の中に出ていくのをしり込みしてしまったりする。
 遠くまで歩く時間のなかった今日は、最初から裸足にサンダル履きで出た。嵐の時には、これはいい。浜辺を歩いているようなぐあいで、なんでもござれ、である。なんだ、それだけのことか、と思う。なまじっか靴を履いたり、靴下を履いたりしているから、必要以上に雨を嫌ったりしていたのだ。雨、ごめんなさい。悪いのは人間のほうでした。と、全人類にかわって謝っておきました。

第一八二号(二〇〇八年九月二日)
 1リットルの水道水を得るのに排出される二酸化炭素量は、0・3グラム。いっぽう、750ミリリットルのミネラルウォーターを生産し出荷するのに要する二酸化炭素量は、その300倍になる。使用されたぺットボトルのリサイクルまで考えると、二酸化炭素量はさらに増える。ミネラルウォーターという巨大な環境破壊だ。ロンドンのテムズウォーター社の調査による。
 エコロジー運動にどこまでも眉唾ものの胡散臭さがつきまとうのは、エコロジーを徹底して追求せずに、自分の儲けだけをしっかり確保しつつも、他人の儲けは積極的に損なおうとする人間たちの、いかにも善人然とした溜まり場だからである。水ひとつとっても、上記のような矛盾が、すぐに浮かび上がる。
 すでに後戻りしようもなく動き出した全世界のエコロジー意識は、やがて、ポル・ポト派の少年少女たちのように「反地球」勢力に襲いかかるかもしれない。地球環境がなんとか救われるかもしれない前に、かつての共産革命におけるような粛清の嵐が吹き荒れると想像するのは、そう奇矯なことではないだろう。エコロジーというイデオロギーは、徹底した地球コミュニズム・イデオロギーを内含しており、かつてのコミュニズム以上の残虐な錦の御旗になる。現実の自然環境についてだけでなく、今後の世界の政治環境について、あまり楽観しないほうがいいかもしれない。「地球を損なう」とレッテル付けされた勢力や国家などに対する正義の「最終殲滅戦争」が起こる可能性は、たぶん、低くはない。はじめは違う様相を見せつつ各地に発生し、やがて、気づいた時には殲滅収容所が無数に建設されてしまっているといった事態になるのかもしれない。このあたりの問題は、その時代の流行もあるが、法華経を信奉した過激なエコロジスト宮澤賢治と、やはり法華経信者の「世界最終戦争論」の陸軍の石原莞爾などとの関係を考えさせる。宮澤賢治の幸福は、あのような作品を残しただけで早世したことだった。彼が健康で、技術者としても思想家としても恵まれた生育を遂げていたら、恐るべきアジアのナチズムを形成する一翼を担わされていた可能性があると思えてならない。賢治好きの教育者たちや詩人たちは、こういうところを積極的に看過するが、思想と政治に関心を持つ者には看過しえない想像のひとつである。
 「最終殲滅戦争」を避ける知恵と技術を、人間は現在までついに創り出して来れなかったというべきだろう。唯一、フランス革命を根源的に批判し抵抗しようとしたヨーロッパ保守主義の人間観だけが有効だろうが、機械から心理、政治などのあらゆる技術の表層的な進歩に子供のように目を奪われる傾向が強い人類においては、その有効性も怪しいと考えるほかない。いわずもがなだが、アメリカ革命とフランス革命から開始された、平等、自由、民主主義のための戦いは、実際にはそれそのものが「世界最終戦争」である。百年戦争というものがあるが、この「世界最終戦争」は、いわば二百年戦争とでもいうべきものだろう。歴史上では、まだまだごく最近に始まった戦争に過ぎない。

  第一八三号(二〇〇八年九月四日)
 最近届くメール便の字が小さくなってしまった、と聞いたので、今回は大きめの字になるようにしてみた。どのように届くか、わからない。
 Outlook2007でメールをそのまま書くと、自然に「2007」スタイルなるもので書いていくように出来ている。他にも「2003」スタイル他、10種類がすぐに使い分けられるようになっている。
「2007」と「2003」を比べると、前者の文字が格段に小さい。最近のメール便の文字が小さくなってしまったのは、このためだろうと思う。今回は「2003」を選んで書いてみることにした。
 Outlook2007の場合、小さな文字のメールが来てもズーム機能で拡大できるので、困らない。受け取り手のほうに同じ機能がない場合には、このヴァージョンで作った文書やメールを見ようとすると、ちょっと不都合を感じるか、ひどく崩れた文書になって届くのかもしれない。
 Outlook2007で驚いたのは、先方から送られてきたメールをいかようにも編集できてしまうことだ。返信や転送などの処置をしなくても、「編集」をクリックすれば簡単に手を加えられる。これだと、メールというのは、何かのやりとりの証拠には全くできなくなってくる。電子情報を確認すれば、改竄したかどうかはわかるのだろうが、日常のやりとりの中ではそこまで調べないので、ちょっとしたゴマカシなどできてしまうかもしれない。
 なお、現在、このメール便では、一行の文字数を短めに設定するということをしていない。VistaのOutlook2007では、到着したメールはいかようにも変更して読めるので、文字数設定を短くしないほうが逆に融通もきくし、受取り手の邪魔をしない。
 今回の号には、7月にすでに作ってあったトロワテ63号を掲載した。かなり頻繁に配信しているようでも、すでに作ってあるものや書いてあるものの半分も送れていない。もとより、送る必要もないものと言えば言えるのだから、そこは気楽に考えてはいる。
 八年前までは、紙媒体の雑誌を作って郵送していた。月に1〜2冊のつもりだったのが、どんどんと増えて、週に3回も発行して郵送することがあった。最高時200部ほど作って、大量のコピーを安いコピー屋でやって(そのため、年中、体育会系のような大きなバックを下げていた)、家で深夜、数時間かけて、製本や封筒づめをする。一日で送るのは物理的に無理なので、何日にも分けて郵便局に持って行ったり、切手を貼って、30部から50部ほどずつ近所のポストに入れに行った。当時住んでいた世田谷区代田の、代田中筋のポスト、鎌倉通り沿いのポストは、何年ものあいだ、個人誌『ヌーヴォー・フリッソン(Noueau Frisson)』などをもっとも多く呑み込み続けてくれた。代田!ダイダラボッチが歩いた跡だという言い伝えのあるその地には、萩原朔太郎が住み、横光利一が住み、石川淳が住み、西脇順三郎が散策をし、ちょっと行った太子堂の円泉寺脇には林芙美子が住み、十分ほど逆方向に行った松陰神社前には北原白秋が住んでいた。
 昨年から今年、あれらの雑誌発行や郵送にかけた金額を概算してみたら、500万円ほどは使っていた。あんなことに使わなければ、と今にして悔やまれないでもない。しかし、もうやってしまったのだ。そうして、跡形もない。誰の記憶にも残っていない。自分の手元に全号が残っている他は、なにも。Et les maisons,les routes,les avenues,sont fugitives, h?las, comme ann?es.「そうして、あの家々も、あれらの街道も、ああした並木道も逃げ去っていってしまう!、ああ、歳月のように」。プルースト『スワン家のほうへ』末尾。

第一八四号(二〇〇八年九月五日)
 個人的には、総理としての福田康夫が気に入っていた。自民党の政治方針にも姿勢にも全面的に反対だが、福田康夫の場合、地味でも実質的な仕事を進めていこうとしていて、好ましく見えた。いかにも事務的な印象が勝ってはいるものの、優れた資質のある政治家だと思う。なにより、答弁における口吻のよさ、論旨の明快さが快かった。皮肉さの混じった言論もまた、楽しかった。
   そういう彼に「他人事のように」政治を司るという非難が向けられる。語り口の癖や、表現の際に明快であろうと努めるところから出てくる印象に過ぎないのに、そのように理解ができないというところに、明らかに国民側の未熟さが露呈している。総理や閣僚というのは、医学の場で喩えれば執刀医でもある。執刀医に「他人事のように」冷静に手術をする能力がなければ、空恐ろしい事態となろう。福田に向けられた「他人事」批判など、「もうちょっと彼も、親しめる感じだといいんだけどねぇ」という程度の井戸端会議で処理されるべきものに過ぎない。そんなものを過度に問題にし、当面の危急の政治課題処理の芽を潰す方向に動いて行ってしまう環境は、端的に、政治の民度が低いと評されるべきだろう。
 福田の皮肉っぽさに関連して思うのだが、近頃の日本の言論風土における皮肉やアイロニーや批判の需要度の徹底的な低下は、この国のコミュニケーションをますます息苦しくしているのではないか。初対面の人間どうしは、まず相互的な非難や否定や冷笑から入るのが当然であり、それこそが後の付き合いの上で、もっとも健全でも生産的でもある。こういう認識を持つのが、平賀源内や上田秋成や宮武外骨、あるいはラ・ロシュフーコーやボワローやポーやボードレールやフローベールやニーチェ、ソローやホーソンやマーク・トゥエン、チェスタトンやモームやワイルドやバロウズ、もちろんマルクスやヘーゲルやサルトルやイヨネスコやシオランやパゾリーニなども入るが、彼らを先達に持つ私たちの常識というものだろう。オスカー・ワイルドがいま東京に現われでもしたら、『幸福な王子』の印象とは裏腹に、あらゆる階層の人々を情け容赦もなくめった切りにするだろう。皮肉屋を尊重し、自分に批判が向けられたり皮肉を浴びせられたり完膚なきまでに否定されたりということを楽しめる器を持つのが、つい数十年前までの紳士の嗜みだったし、人間的成熟の尺度でもあったはずだ。いまでも、ヨーロッパ人やアメリカ人、ことにイギリス人やユダヤ人やオーストリア人などのうち、文学趣味や哲学趣味を持つ人々は、初対面の相手を平然と見下し、腐して、鎌を掛けてくる。パリのような様々な人種の集う都市で、誰彼かまわず出会いがしらに会話すると、かならずいたぶりを仕掛けてくる。「東京?そんな田舎になにかあるのかい?」とか「日本人なんて、ただのモノマネ猿だろ?」という軽率なジャブから入ってきた会話を、どれだけの普通のニッポンジンが楽しんで紡いでいけるものだろう。日本にいて何かしら発言する外国人は、日本人の許容力など、体験的にまったく信じていないので、大幅な手加減をして、幇間さながらに日本については語る。聞いていると、良いようなことばっかり言っているし、マスコミも、なにかというと海外の日本称賛ばかり流す。この国は、人間関係的にも言論的にも、多義語の多義性を極端なまでに利用するようなレトリックに溢れた日常会話を忌避し、一義的でヘルシーでライトでポジティブな言論しか許されないような、さまざまな責任者が責任逃れをすることだけに汲々としている幼稚園のような場所に丸ごとなってしまっている。これほどストレスフルな環境もないのだから、どこかで爆発するのも当たり前だし、こういう環境自体を避けて内向きになったり、閉じこもるようにもなる。閉じこもり、内向き、閉鎖的というのは、精神科医の診断を待たねばならないほど症状の識別の難しいものではない。他人からの批判や否定にあっけらかんと向き合えなかったり、いつも決まった仲間とつるんでいるような症状が見られれば、かなり病状は進んでいる。
 もちろん、そういった病者たちが悪いというわけではないが、いっしょにいても面白くはない。なにひとつ本音も皮肉も批判も言えないような相手といるのは、こちらにとってみれば、生の時間とはいえない。皮肉や批判の応酬こそが、会話の、さらには人生の最大の楽しみではないか。「すでに死なのだろうか?」。リヒャルト・シュトラウスが『四つの最後の歌』に用いたアイヘンドルフの詩句。なんでもない詩句ながら、ふと思い出して呟きたくなるような光景がまわりには多い。

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