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      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年九月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




SURUGA’S詩葉メール便・編集贅言集23
             [第一九一号〜一九七号・二〇〇九月十六日〜九月二十七日]


第一九一号(二〇〇八年九月十六日)
 リーマン・ブラザーズの破綻は、少なくとも次の二点で、サブプライム問題の数倍以上の規模の大混乱を全世界に引き起こすと予想される。
[1]リーマン・ブラザーズ破綻によって、ここで発行・保証された債券は不履行となる。債券というものには、破綻時の債務保証として他の金融機関によるCDS(債券倒産保険)契約がつけられることになっているため、リーマン・ブラザーズ発行・保証の債券に対するCDS発行機関には保険金の支払い義務が生じる。そのための準備金は、もちろん、用意されていて然るべきでもある。しかしながら、なんといってもリーマン・ブラザーズは、ゴールドマンサックス、ロックフェラー、ロスチャイルドなどとともに1913年、12の〈連邦準備銀行〉を総括する〈連邦準備制度〉設立に加わった〈連邦準備制度〉所有者であり(日本政府が株式を所有する日本銀行と違い、〈アメリカ連邦準備制度〉の株式は、複数の国際金融資本が分割所有している)、金融における信頼そのものだったともいえる。そのため、ここの債券のためのCDSを発行してきた機関は、リーマン・ブラザーズの破綻など想定したこともない。当然、準備金もない。となると、この「信頼」そのものの崩壊によって一気に混沌に陥ることになった金融界では、今後すぐに、多数の金融機関が支払い不能に陥り、連鎖破綻を引き起こすはずである。
[2]リーマン・ブラザーズ自身も、その絶対の「信頼」のゆえに、多額のCDSを発行し続けてきた。これらも債務不履行に陥る。そのため、リーマン・ブラザーズ発行のCDSがかけられていた債券の価値が必然的に暴落する。CDSは、発行されると転売が重ねられて、最初の債務者と別の全世界の投資機関や投資家に渡っているのが普通であるため、CDS市場(保険金総額は400兆ドルといわれる)は、全世界規模での複雑を極める収拾のつかない混乱に陥るのは避けられない。リーマン・ブラザーズの他にも、フレディマックとファニーメイ、メリルリンチ、AIG、ワシントンミューチュアルなどについて、すでにCDSの支払不能の可能性が語られている。
 最低限、これらが今後、急速に世界で起こっていくであろうことである。アメリカ政府や連邦準備制度、アメリカ金融界にできることは、どの程度このスピードを遅くし、どの程度小規模に抑えられるかであって、これらを回避することも止めることも、もうできない。
 ところで、理解に苦しむのは、今回、なぜ、アメリカ政府はリーマン・ブラザーズへの公金救済を拒否したのか、という点だ。ポールソン財務長官(ゴールドマン・サックス出身)は、公金注入をすれば、金融機関の自己責任原則に反することになり「モラルハザード」となるという理由で、今回の拒否を決定した。しかしアメリカ政府は、今年3月には、ベアースターンズ救済に乗り出したJPモルガンに300億ドルの融資をしており、フレディマックとファニーメイには1000億から2000億ドルの公金注入を決定している。リーマン・ブラザーズには600億ドルほどの注入で済んだだろうという。なぜ他の機関への救済は「モラルハザード」にならず、リーマン・ブラザーズに対してのみこれが語られるのか。ベアースターンズの場合は多額のCDSを抱えていたため、倒産すればCDS市場が全崩壊しかねない、そのための特例措置だったという意見もあるが、リーマン・ブラザーズに至ってはベアースターンズ以上のCDSを抱えている。アメリカ政府の方針にはこの点で一貫性がない、というか、なにか別の事情が背後にあるのかと思わせられる。

第一九二号(二〇〇八年九月十七日)
 毎日のうちの自由な時間など、わずかしかない。そのうちの1、2時間を早足の歩行や身体運動に使うかどうか、正直言って迷う時もかなりある。多少なりとも時間的余裕がある時ならともかく、月から金まで無休で出勤に出るとなれば、なにをするにも時間が惜しい。他のあれをすべきではないか、これをしていていいのか。そんな自問が寝に就くまで続く。
 1時間や2時間歩けば、その時間、読書はできないし、詩歌も書けない。なにかについて落ち着いて考えることもできない。椅子に身を沈めるようにして読書に没頭していられればいいのに、と、歩きながら思うことも多い。しかし、とも思う。日々のこの歩行や身体運動をせずに、椅子に身を沈めて読書したり、背を屈めてものを書いたりしていれば、その1,2時間分は確実に身体の老化が募る。身体運動と並行されずに行われる読書は、老いや死への近道だ。目もさらに弱まる。読めば読むほど身体は弱まり、生存可能時間は減っていく可能性があるから、ただ読むということをしているだけでは、逆説的に、なにか読むことのできる生涯時間は減っていくことになる。
 そんなケチなことを考えないで俺は読書や研究や執筆に専念する、という人もいるかもしれない。だが、体を壊せば、誰もが散歩やリハビリや食事療法を強いられる。それらに費やす時間が惜しいと言い張ったところで、身体の弱体化を抑えるには運動するしかないのだから、どうしても知と趣味のデスクワーク時間は削られる。体を壊すところまでいかずとも、背筋が衰えれば背が疲れやすくなるし、座り続ける時間が長ければ腰痛になるし、足腰の筋肉は退化する一方なので、駅の階段を駆け上がったり駆け下りたりもできなくなるし、電車に走り込むのもできなくなる。そうなったあたりで、少し運動でもしないといけないか、ということになり、ここでもデスクワークは削られることになる。ようするに、早めに日々の生活の中に身体運動をすすんで取り入れていくか、体調の不調を機会に必要に迫られて取り入れていくか、病気を機会に強制的に取り込まされるかの違いがあるにすぎない。ならば、少し早めに自分ですすんで取り入れていこうか、と思う。若かろうが、中年だろうが、老年だろうが、人間の生活は降下していくグライダーでしかない。他の可能性はない。われらみな、死すべきさだめ(ケネディ)。一日一日がよりよき死の準備のためにあると考えるのは、冗談でも格好つけでもなく、リアリズムというものだろう。
 死の準備といえば、子供の時に、もっと自分の血管を太くしなければ、とつよく願ったのを思い出す。小学生から中学生にわたる5年間、内臓疾患のために運動を完全に禁止され、厳しい生活管理と食事管理を強要された。月に一回は血液検査、ほぼ毎週、血管注射。体調の悪い時には週に数回の太い血管注射をする歳月が長くながく続いた。看護婦さんが腕の血管に注射針を刺す。しかし、子供の頃は血管が細く、しかも注射の下手な看護婦さんも多く、針先で静脈が逃げるのだ。逃げると、それを追って、看護婦さんは針を腕に刺したまま、針先を肉の中で掻きまわす。それで入ればいい。が、なかなか血管に針先があたらず、なおも掻きまわし続けるということも多かった。こうなると、注射がどうにか終わっても、数日間、腕のそのあたりは痣のように青黒くなる。腕の血管にはとうとう入らない、という時もあった。そんな時は、手首や指の血管を使った。「ここでも入らない時はどうするの?」と聞くと、看護婦や医師は「まだ腿もあるし、股もあるよ。そっちはもっと太いから、絶対に入る」と言った。
 いろいろな病院に検査や治療で行った。いまで言うセカンドオピニオンを聞きにもいった。どこでも採血や血管注射の連続だった。こちらもそのたびに辛い思いをしたが、どこの病院でも、腕に点滴をしていたり、やせ細った股や腿に点滴をしていたりする老人たちを見た。あんなお爺さんになって、それで血管に針が入りづらかったら、どんなに老いや死に際は辛いだろうと考えた。当時、病気のあいだは、腕立て伏せも鉄棒も禁じられていて、腕の筋肉はまるでなかったし、少年時になされるべき腕の骨格の養成もできなかった。さいわい、病気は中2の秋に奇跡のように完治して、以来、今現在まで丈夫な身体で生きて来れているが、腕だけは少女のように細い。当時の闘病の跡がここだけにはくっきりと残ったのだ。中学校後半からは、多少の無理をしてサッカー部に入ったりして、身体的な遅れを取り戻すべく筋肉運動にも励んだが、腕の骨だけは成長しなかった。
 しかし、血管は太くなった。毎年、勤め先での身体検査の時に、看護師が腕の血管に針を刺して採血するが、一発で決まる。採血中の看護師に、「下手な看護婦さんに、昔よく、腕の中に針を刺されて掻きまわされた」と、いくらか軽々しい口調で話したりする。そうしながら、少年時代の長かった闘病を包装し、纏めて、笑い飛ばすのだ。老いと死の準備は、個人的にはすでに整った、と感じながら。
   仰向けの額に晩夏の陽は注ぎ微笑まむ若年といふは過ぎきと(春日井健)
 他人に対してでもなく、世界に対してでもなく、過ぎた自分の過去に対してのみ、或る種の生き方を採る。そんなことも、人間には多いものかもしれない。どんな場合にも、自分自身の過去というのは、何事かをもっとも見せつけてやりたい他者なのだ。

第一九三号(二〇〇八年九月十八日)
 鉢植えの小さな山椒に、いつのまにかアゲハの幼虫が三匹もついていた。山椒の木の葉が半分ほどは食べられてしまっていて、どこかの山椒かカラタチにでも移してやろうかと思っていた。山椒の葉が食いつくされるのも困るが、せっかくのアゲハの幼虫にもっとエサを確保してやりたい気持ちもあり、どこか近くにいい木はなかったかと思い浮かべてみた。近所の家に、大きなカラタチの木が、あるにはある。が、通行量の多い道路に面した玄関近くなので、あそこまで幼虫を三匹も持っていって、カラタチの葉にくっ付けてくるというのは決まりが悪い。人が通らないタイミングを見計らって、幼虫をくっ付けてくるということになるが、そんな好都合な瞬間は少なそうだ。幼虫を持って、いいタイミングを待ちながら道路をふらふらするというのも、いかにも怪しい。他人の家の木の果実を盗むのは窃盗ということになるそうだが、他人の家の木にアゲハの幼虫をくっ付けてくるというのも、ひょっとして器物破損とかにあたるのではないか。早急になんとかしないといけないとは思いながら、そんなことを考えると、なかなか踏み出せなかった。
 ところが昨日、山椒の鉢植えを見ると、葉がみごとに食べつくされてしまっていた。木の幹や枝、それに葉の筋だけが残されている。たった一枚の葉も残っていない。やられたなぁ、と思ったが、それだけでなく、アゲハの幼虫も三匹とも消えてしまっていた。
 早朝に雀の群れが来て、毎朝、鉢植えのそこかしこで餌を探しながら、ピイチク鳴き騒ぐ。ちょうど今頃は、シソが花をつけたり実をつけたりしているし、朝顔の種も大きくなり始めているので、雀たちにはそれなりにうれしいエサ場になっているらしい。たぶん、幼虫たちは彼らに見つかったのだろう。山椒の葉があったうちは、葉にまぎれて見つからないでいられた。こちらも毎日山椒を見ていながら、幼虫がかなり大きくなるまで見つけられなかったぐらいなのだ。ところが、葉が喰いつくされ、枝や筋しか残らなくなると、幼虫たちのまるまるとした姿は隠れようもない。一瞬のことだっただろう。何羽かの雀には、ちょっと豪華な御馳走になったに違いない。
 もちろん、ひとつの木を喰いつくした幼虫たちが、みずから移動を開始して、食用になるべつの木を探して鉢から降りて、長い道のりを延々と這っていった可能性もある。特定の木にしか生きられないように見えても、虫というのは、そのぐらいの移動なら平気でやってしまう。そうであってくれればいい、とも思うのだが、そろそろ涼しくなってきたこの時期、彼らが新たな山椒やカラタチまで行きつけるものかどうかとなると、かなり心もとない。

第一九四号(二〇〇八年九月十九日)
「成功」とはなにか、ということについて語った文章のなかで、「美しいものがわかるということ」も「成功」ということの大事なひとつだ、とエマーソンは言っている。英語では、to appreciate beauty。「美しいものの真価がわかること」とも訳せるだろうし、「美しいものに感謝できること」とも訳せるのだろう。いろいろな意味がある言葉だが、簡単な英語で解説がされている英英辞書で、to be grateful or thankful for、to value or regard highly、 to be fully aware of、 understand fullyなどといった語義を読むと(Random house Webster`s English Learner`s Dictionary,1999)、日本語の訳を読むより、もっとよく感じとれるような気がする。
 シンプルながら、to appreciate beautyという表現には感心させられる。beautyとはなにか、どんなものだったか、どんなものであるべきかを考えさせられるし、appreciateという英語の含蓄の深さをつかもうとすると、こちらの心がこの単語の深さや広がりに染まっていく。「理解」と「感謝」と「価値づけ」と「気づき」が、同時に、一語に込められている。英語の羨ましいところだ。
 ぼくはろくに英語ができないので、いつまでも初心者用の英語辞書を手元に置いているが、上のような語義の出ているペーパーバック版のRandom house Webster`s English Learner`s Dictionaryは、他のものより気に入っている。Longman Dictionary of Contemporary English(2003)などは、フランス語辞書のラルースLarousseのようによく語義整理がされ、よくできたわかりやすい辞書で、使っていて感心させられることが多いが、いつも先ずは、Random house Webster`s English Learner`sを引くことにしている。どんな辞書を引いていても、どこか、英語そのものを詩のように読んでいる気がする。辞書の語義説明でさえ、英語の人々の発想をたどるのは、ぼくにとっては思考のヴァカンスなのだ。日本語の中で、窮屈だったり侘しかったりする思いに苛まれる時には、こんな小さなヴァカンスも大いに効き目がある。日本に住む日本人である以上、日々の喜怒哀楽、人生上の問題などは、考えてみれば、つねに日本語の中で日本語で扱っている。そういう問題発生基盤そのものから丸ごと脱出してしまうというところに、外国語とのつきあいの貴重さと喜びがある。
 話はかわるが、「成功」ということでいえば、またもや記録を打ち立てたイチローなどは、これの見本のような人ということになるのだろう。阪急ブレーブス入団時の年棒は400万円だったという。プロ野球では大成しないと言われていたそうだ。それが今では、年棒22億円、年金も年間5億円計算、CMで10億円、390万円の住宅手当、高級車支給なのだから、彼のような人のために「成功」という言葉はあるようなものだ。もちろん、エマーソンがいうような意味とは違った世俗的な「成功」だと限定を加えてもいいが、これほどの格差や不公平への呪詛の渦巻いている地上で、イチローのような人が不快に思われないのは、彼の場合、どれほど収入があっても、すべてはいっそうの肉体的・精神的挑戦のためにしか使わない、というのがはっきりしているからだろう。人間の限界を広げる作業をしている人物に社会が資金提供をしているようなものなのだ。そういう人にとっての「成功」は、すぐ次に登攀すべきポイントのための準備や資料や足場にすぎない。「成功」に酔っている暇どころか、噛みしめている暇さえないだろう。こう考えると、「成功」ということの意味合いも、なかなか単純ではない。Longman Dictionary of Contemporary Englishでは、語義3に
 when someone achieves a high position in their job,course,sport,in society etc.
とあり、語義4には
 when a business makes a lot of money
とある。イチローの「成功」がこれらの意味に限られるものならば、人は彼に喝采はしない。そうでなく、語義1のwhen you achieve what you want or intendという意味あい、どこまでも彼の「成功」がこの意味あいを守り続けるところに、彼の本当の「成功」というものがある。
 こんな語義区分を行うLongman Dictionary of Contemporary Englishというのは、なかなか教育的なのだ。what you want or intendも持たなかった人間がa high position in their job,course,sport,in society etc.を占めていたり、a lot of moneyを得たりしている場合でも、やはりsuccessと呼ばれることがある、と言外に語っているからである。つねによきモラルやポジティブなものや明快なものに向かっていこうとする英語的思考、その教育的な明るい皮肉っぽさが出ているようで、楽しくもあるし、爽快でもある。
もちろん、what you want or intendなき者がsuccessを得ている場合というのは、文学の絶好のテーマではある。what you want or intendもなく、successもない者の物語も、同じく。このあたりのことについては、英語的思考ばかりか、世界のあらゆる言語思考の埒外にあるというべきだろう。文学はつねに、あらゆるものの外を、逸脱を、背をむけることを、さらには背理を意味している。

第一九五号(二〇〇八年九月二十日)
 この編集贅言欄では、書き出す瞬間まで内容も文体も決めていない。なにを書くか、自分でもわからない。よく推敲する時間はない。字句の訂正や論旨の最低限の確認はするが、一気呵成に書き抜けることにしている。
 こんなところで書くことが誰かに読まれているとか、伝わるとか、そんなことを信じるほど甘くない。しかし、「こんなところ」で書くことが激しく近未来の自分に跳ね返る。手書きのメモや日記、パソコン書きの手記などよりも激しく跳ね返る。無償で書かれるものは、極端なまでに利己的な利益を保証されたエクリチュールでなければ。
 伝達のためでない言葉を、絶望が並べ続けさせる。書くことに意味はない。意味もなく、商売文の外で書く者は遠ざけられる。ひたすらな陥没。「それでも、絶望にもかかわらず書くこと。いや、絶望とともに。いかなる絶望か、これの名をわたしは知らない」*。マルグリット・デュラス、『書くこと』。ロラン・バルトを文学の無神経な門外漢として軽蔑し否定し、モーリス・ブランショを認める彼女による線引きは、書く者に共同体などないということを厳しく覚悟させる。友はない。理解者はない。再会すべき者もないだろう。新たに会わない。絶望と孤絶だけがある。それ以上の深淵に落ちるのを防ぐためのように。言葉、永遠の分断溝。
「これの名をわたしは知らない」という救い。言語表現には盲点が要るゆえに。
そう、闇を守り抜くこと。「知らない」という光。
       *《Ecrire quand m?me malgr? le d?sespoir. Non?: avec le d?sespoir. Quel d?sespoir, je ne sais pas le nom de celui-l?.》in Ecrire(Gallimard,1993)

第一九六号(二〇〇八年九月二十四日)
 マスコミが取り上げて騒いだブラジルの預言者によれば、9月の某日に日本のどこそこで大地震が起こるはずだったらしい。そこの町では地震防災グッズがかなり売れ、ひそかに市民は災害に備えていたらしいともいう。たしか、東京にも大地震の来るはずだった日が、9月のはじめのほうにあったのではなかったか。
 トンデモ本好きなので、その予言書については昨年、書店でしっかりチェックしてあった。予言をすると、登記をして公の証明を貰うことにしているという予言者だったが、証拠として写真の掲載されていた書類を細かく見ていたら、実際に事件の起こった日よりも後の日付で登記されていた。なにか起こった後で、その事について登記するなら、誰でもできる。予言者の行為も愚かだが、編集者も愚かだ。彼の預言力を証明ないしはでっち上げようとしている本で、歴然と嘘のばれる証拠を平気で出すなんて、どうかしている。それとも、書類の写真の細かい字をつぶさに追って、いちいち文書を読もうとする読者なんていまいと油断したのか。
 良寛が三条地震に遭った知人にこう書き送っている。「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」。禅者の基本というべきだろう。なにが起ころうとも、その場その場で臨機応変に対処するというのが禅精神で、システムはないし、マニュアルもない。むしろ、それらをつねに逸脱していこうとするところに、より真なるものがはじめて生動する。起こることにぴったり即して、起こること自体を生きていくことを禅者は尊ぶ。それができない時こそ、彼らにとっては「災難」なのである。
『碧巌録』にある「不風流処也風流」という言葉にも、この良寛の言葉は通じるだろう。風流ならざる処もまた風流。気取ったり、味わいを求めて、余裕のある人が金にあかせて、ある種の不足や不便さを拵えて悦に入ることは少なくないようだが、ここでいう「風流ならざる処」は、そういう遊びではなく、本当の不足、望まない不便や欠落や不如意である。災害で家が倒壊した、怪我で体が動かなくなった、人間関係が失われた、破産した、そんな事態を「風流ならざる処」という。そこを楽しむこと、楽しめることを、禅では「風流」という。楽しむというのは、事態にぴったり即して事態そのものとなってしまうことだろう。これができる者を「曲者」という。老子を思い出しておいてもよい。「曲なれば即ち全し」。
 これら、われわれにとって本当の先生たちというべき人々の言にあるズラシやレトリックは本当に楽しい。しかも、日常を生きる頭脳にしっかり効く。というのも、けっきょくこの世とは、徹底した臨機応変の術が習得され、研鑽され、披露される場にすぎないからである。フランス革命期最大の変節漢として有名なジョゼフ・フーシェは、議会の最中、自分の党派の風向きが怪しくなったと見るや、ついと席を立って味方を捨て、平然と歩いていって、敵の党派側に身を移すという芸当を披露した。禅者の振る舞いを学ぼうとすると、こういう振る舞いさえもが射程に入ってくる。価値だの、生きがいだのはもちろん、正義も、理性も、真理も人さまざま、どうとでも言えるとなれば、ようするに、どれも重要ではないということだ。議論も、当面の立場も主義主張も、端から瓦解している。瓦解のなかでも生き延びるとなれば、フーシェとなっていくほかない道理であろう。
 個人的には、ここにこそ真の詩というものがあり、文学があり、思想も政治もあると見る。ああ言えば、こう言う。こうかと思えば、あすは違っている。大事なのはなにを言うか、歌うか、主張するかではない。なにを言い、なにを歌い、なにを主張しようと、どれも意味はないということを、どれだけ巧みに、効果的に、楽しく、しみじみと表わせるかということである。言葉を捨てよ、というのが、文芸の教えというものだ。思考するな、というのが思想家のつねなる到達点だろう。捨ててみたけれど、べつになんていうことなく生きているね、というのが、人類の本当の出発点のはずである。バフチンが言ったように、「この世ではまだ、なにひとつ起こっていない。一切は開かれており、一切はこれからであろう」。

  第一九七号(二〇〇八年九月二十七日)
 一週間休みなしで賃労働をこなしてきた末の金曜日の夕方というのは、なにか底なしに力が抜けていくものがある。今週の帰宅時も、電車の中でうとうと眠り込んでしまった。
乗車時にはガラガラだった車内が、目覚めてみると満員になっていた。少し横のほうに立っている若い女性が、吊り輪につかまりながら、うつらうつらしている。だいぶ疲れているように見えた。下げている白いバッグに目を落とすと、バッジのようなものが付けられていて、「お腹に赤ちゃんがいます」と書かれてあった。彼女の前には若い会社員の男女が座っていて、おしゃべりをしている。彼らもバッジは見ただろう。譲るほどではないと思ったのかもしれない。
 女性の腕のあたりをつんつんと指で突き、「ここに座る?座りたい?」という意味合いの身振りをして尋ねると、素直にうなづいたので、すぐに席を立って座らせた。やはり疲れていたらしい。女性はすぐに眠ってしまった。おたがい、一言も発することなくスムーズに席を入れ替わったので、混雑した車内で、ごく近くにいた人々だけが、わずかにこちらと女性を見た程度だった。
 こんなふうに静かに席を譲れるというのは、悪くない。たかが席を譲る程度のことで、込んでいる電車の中で大仰に礼を言われるのは気恥かしい。なにごともないかのようにスムーズに、というのがいい。
 下車してからも、少し気分がよかった。人間関係ではこの十年ほど、十中八九、不快なことばかりだったといっていいが、最近、人間関係を不快でなくするすべがふいにわかってきた。車中の「お腹に赤ちゃんがいます」の女性に席を譲ったことも、これに連なっているような感じがする。

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