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雁信 1



 その人は、私(あなた)の父親であるかもしれない男だから、そして生きかたも、日々も、言葉に乗ってくるだろうから、連綿とあなた(私)にたゆたうものだから、たぶんその人(私たち)の表情にも描かれるものだから、行き着くところまで…とあなたは書いてくださいました。私は、いえ私たちは、この頃、ひとりということについて、よく考えています。いつもヴェンダースで恐縮ですが、「女と寝ていても俺はひとりだ」(『さすらい』)と言うときのひとりについてです。この手紙があなたに出会うことが、できるとよいのですが。

  私は、もしかすると、あなたの言うような意味では、人を愛することを信じていないのかもしれません。それは不可能なまま、私のどこかにしこりとなって残っています。これは育ってきた環境のせいもあります。そのことを書くにあたって、あなたの言葉が思い出されます。「距離のない文章は文学ではない」。距離のない文章、見つめる手前で諦めてしまった、殻の内側で素通りしてしまう文章の謂。
 書くことを選んだのであれば、少なくとも、対象と向き合うこと、見つめることと関係していなければ、と思うのです。書くことで、書くだけで、解消されるというのは幻想にすぎません。それらはいつも逃れてゆくものです。これも、私たちはひとりだから、いつでも対象と距離があるはずだから、だと感じています。
こう書く私にも、まだ対象化できない過去があります。ただ、その近辺で、距離がとれるあたりで、少しでも書けたら、と思います。あなたに宛てて、あるいは自分に宛てて。あなたは互いの損得、互いに得られるもの、とも言っていました。

 十三歳の春、両親が離婚するまで、私は彼らだと思っていました。幼児期の名残です。まだ自我が形成されていない彼(彼女)は、自分と他者の区別がつきません。それはとてつもない一体感でした。その春、親は私と違うのだと悟りました(悟るという言葉を使ってはいけないと、私に書くことを教えてくださった方に言われたことがあります。ですが、この場合は使っていいと思います)。それは痛みですらありません。ただ高熱が出ました。それから私はひとりになりました。独りぼっちという意味ではありません。親も私もひとりなのだと。
 熱がひいたあと、ふしぎな空気が感じられるようになりました。比喩ではなく、磁石の同極同士の反発が、あたり一面にひろがって、私を押し返してくるようになったのです。それは特に同級生たちとの間で感じられました。ここまで書きながら、私はその感触の持つ意味をようやく理解しました。私が彼らであるという場所に、一体感を感じていた場所に、戻りたかった、だからこそ空気全体の反発だったのです。もはやそこに戻ることは不可能ですから。この空気の抵抗は、いつしか薄れてゆきました。慣れたのかもしれません。

 寺山修司は、戯曲『百年の孤独』のなかで、(私のことも、誰それのことも、すべて)「百年たったら判るだろう、百年たったら戻っておいで!」と、言わせています。百年たったら、戻れるのです。それまではせいぜい近づくことだけが。ですが、私自身は、あの頃以降の数年に、まだ近づくことができません。せめてあと十年後…。ですが、それも踏み出す足があるからでしょう。試しにもう一歩、距離のほうへ。
 離婚の後、私は父親にひきとられました。その数年後、私は父親と死ではない決別をしました。死だけなら、まだ良かったのです。私たちはとてつもなく仲が良かった。父は亡くなる直前に、「天国でまた会おう」と言っていました。そのことも、私がどう思っているのか、どう思ったのか、未だにわからないでいます。

 愛することの前で、硬直してしまうという話でした。逡巡が多くて、申しわけありません。あなたに出会えるように、思いついたことを書いてみます。
 村上春樹の小説の、特に初期から中期にかけての主人公は、誰にでも優しい人物ですが、それは傲慢であることと紙一重です。たとえば『ノルウェイの森』。主人公のワタナベ君の友人の長沢さんは「自分が何を感じ、自分がどう行動するか、そういうことにしか興味が持て」ません。他人にどう思われようがかまわない、一見傲岸な人物です。その長沢さんが、ワタナベ君も本質的には自分と同じなのだ、「遅いめの朝食と早いめの昼食のちがいくらいしかないんだ」、と言います。ワタナベ君は、ただほんの一握りの誰かとの、いくばくかの共振だけは、と感じています。彼は、何にでも秀でた長沢くんに、嫉妬も畏怖も感じません。僕は僕でしかないのだから。彼が尊敬するとすれば、それは長沢君の、ひとりから生じる他者の、客観ともいえる眼の働き(彼は自分の否をすぐ認めます)、誠実な態度、などに対してです。けれどもワタナベ君は、とても優しい。その優しさには、傲岸でいるよりも、波風が立たない分、楽だという面も含まれるでしょう。長沢さんは波風を立たせない手間が面倒だというだけにすぎません。朝食と昼食の別の呼び名。
 ここで問題になるのは、もうひとつの優しさです。私の言い方ですと、近づけるかもしれない、触れあうことのできる瞬間、そのために生きてきたのでは、それはほとんと贈り物だから、と他者にむけられた優しさについてです。その意味では、二人とも優しいと言えるのかもしれません。小説のなかで、書かれなかった文脈で、後年の長沢さんは、かぎりなく近づけたかもしれない、他者への眼差しについて、思い知らされることになりますが。あるいは優しさというのは、ひとりであることからしか生じないのでは、とも思います。私は彼(彼ら)とは違うのだから。それは相手を尊重することでもあります。二人で寝ていると一つになれる、そう思っているところからくる優しさは、自分に向けられたものでしかありません。話が脱線しつつあるようです。けれども、もうひとこと。私が、あなたは優しい、というのは、そういう意味です。

 触れあうことのできる僥倖、瞬間としての愛なら、私は信じているように思います。これは誰にでも、たとえば一本のケヤキ、景色に対してもそうなのです。彼ら(すべての三人称)に戻ることはできないのだから、せいぜい近づくこと、触れあうことだけが、それすらも。
 この頃、私は、こうしたことのために詩を書いているのかな、と漠然と思います。パスカル・キニャールは「黙して語ることのできるたった一つの手段だから、私は物を書いている」と言いました。「黙して触れることのできるたったひとつの手段だから、私は物を書いている」。私にはそう言えそうな気がしています。

 この手紙の「あなた」は、最初からすこし、あなたからずれていました。もう最後になりますが、ここからは特にそうなるでしょう。「あなた」たち、複数をふくんだyouとなることで、私が、私たちが、重なることがあればよい、あるかもしれないと感じています。そして私は「わたし」になるでしょう。

 あなたはひとりであることを知っています。そしてわたしよりも徹底して、瞬間の触れ合いを、贈り物を受け取ることの僥倖を知っているように感ぜられます。一期一会は、すぐに逃れてしまうものだから。あなたは優しさと、そうではない片側を併せ持っているから、その男を信頼するとも言いました。あなたにお借りした本のなかで、忘却と記憶は分かたれていない、夢と覚醒がそうではないように、という箇所がありました。そのはざまで、優しさとそうでないもののあいだで、わたしも、わたしのどこかで、珍しくあなたを信じています。ただそのことと、寄りかかる安堵は別です。あなたは、生きること、書くことは、或る種のわたしたち(あなたたち)にとって、おなじことなのだから、と何度も言ってくださいました。ことばは裏切るものだから、あなたもまた、取捨し、わたしのように裏切るものだから。わたしたちは剥がされたかもしれない、ひとりだから。つい先日、あなたの片側をあなたから、あるいは噂話として聞きました。あなたはその片側があるからこそ、彼を見つめる、とも言いました。わたしもまた、あなたのように、あなたからそれて、たぶんうなずきました。

 長くなりました。あなたに出会う、と言うのは、あなたの口癖でした。わたしなら、あなたに触れること、と言うところでした。あなたに触れられたら、と思います。



■追記 : この手紙形式の一文は、NYさんとのメールなどのやりとりを下敷きに、フィクションその他を交えて書いたものです。感謝と尊敬をこめて。彼女へ。あなたへ。




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